第5話 葬送

 そして、ザギンッと金属がぶつかりあったような鈍い音が周囲に響いた。

 その音に反応して、沙希さきは恐る恐る目を開けた。そこには、


「ええっ!!」


 幽魂ゆうこんの拳を短刀で押しとどめる夕雨ゆうさめの姿があった。拳と短刀の間には、火花が散っている。

 沙希は力が抜けたように、その場に座り込んだ。


「なに……これ」


 沙希はもうそれ以上、何かを言うことはできなかった。非現実な出来事が重なって起こり、思考が機能しなくなっているのだ。

 じっと、目の前に広がる光景を見る彼女は物言わぬ人形のようであった。隣にワタリがいることにも気づけていない。


「ぬぬぬっ! ここまで実体化しても、姿がはっきりせん、ということは」

「自分が何者なのかは、忘れてしまっているようですね。自らでは癒せぬ想いの未練で、この世にしがみつくしかないうつろな魂にすぎません」

「な、なら……!」


 攻撃に耐えながら、夕雨は左手を右手に添えた。短刀に意識を集中させていく。


「想いを伝えるしかあるまい!」


 短刀の刀身から、赤い光がすっと立ち上った。まるで刃自体が伸びたかのように見える。


「はあああぁぁっ!」


 気合とともに夕雨は光が伸びた短刀に力を込め、幽魂を大きく振り払った。白い光が幽魂からはじけ飛ぶ。幽魂は光を辺りに散らしながら、後ろに飛ばされていく。

 飛ばされた光のいくつかは、球となって夕雨に向かって飛んだ。夕雨はそれを軽々と跳んでよける。

 よけながらも次の行動に移る。短刀をゆっくりと構えなおす。


「お前の想いは、我が聞き届けよう。――生成、束縛」


 夕雨はつぶやくと短刀を幽魂に向かって、投げた。短刀は赤い光を伴ったまま、まっすぐに幽魂に向かって飛んでいく。

 幽魂に当たると、短刀は強い閃光を辺りに散らした。閃光と同時に風が吹き荒れ、周りの木を激しく揺らす。

 沙希は猛烈な風に、顔を腕で覆った。思考が動かない中で彼女は腕の隙間から、夕雨の背を見ていることしかできなかった。


 光が消えると、地面に倒れた幽魂が見えてきた。ちょうど池の柵の前で倒れており、胴体の上部に短刀が刺さっている。

 白い体には、短刀が刺さった部分から伸びる赤い鎖が何重にも巻き付き、幽魂の動きを阻害しているようだった。

 幽魂は動こうとしているのか、何度も激しく体を揺らしている。


「どうした? もう終わりか? お前の想いは、我より弱いのか?」


 夕雨は、少しずつ幽魂に近づいていく。


「――違うな。もう疲れたのであろう。死してなお、苦しい想いを抱き続けることに」


 夕雨は、その顔に寂しげな微笑を浮かべた。


「苦しみのあまり、暴れているのにすぎないのだろう? ……もう、暴れなくてもいいように、お前を現世に留めるくびき、我が解き放ってやろう」


 彼女はそのまま幽魂の前に来た。

 その頃には、幽魂の動きは止まっていた。夕雨をじっと見ているかのように、少しも動かない。

 幽魂をしばらく見てから、夕雨は祈るように両手を合わせ目を閉じた。それを見たワタリが、幽魂に向かって飛んでいく。


「雨のごとき悲劇に生まれし、我は願う」


 夕雨の声が、広場に、現世に重なる影の世界に響いた。


「かの魂の想いの浄化を、来世における救いを」


 夕雨は合わせた手を、前に向かって輪を描くように広げた。

 それと同時に、周りに白い光と赤い光が現れる。その光は幽魂を徐々に囲んでいく。


 飛んできたワタリが、幽魂から短刀をくちばしで抜き取った。赤い鎖が幽魂の体から離れて、地面に落ちる前にかき消える。

 そのまま、ワタリは夕雨のそばに短刀を持ってきた。夕雨は目を開けると、右手でしっかりとそれを受け取った。


めいへの道は我が導こう。現世と冥界の境界、影の世で迷わぬように。次の世でその願いが叶うように」


 夕雨は短刀を構えると、その場で舞うように横に一回転した。するとその瞬間、夕雨の赤い着物が、白い着物に変わった。


 幽魂を囲む光が、空に向かって伸びた。

 沙希には見えなかったが、その光は現世と重なる影の世界に繋がりその先の冥界にへと貫かれていく。


「夕雨の名において」


 夕雨は、影の世界に伸びる光を見つめた。そして優しげな笑みを浮かべると、両手で短刀を横に向けた。


「――葬送」


 彼女がそう言った瞬間、幽魂から白い光が解き放たれた。その光は白から変化して、赤や緑や青、黄――七色の光を帯びた。

 幽魂自体も七色の光となって空に昇り、現世から影の世界へ、そして冥界にへと消えていく。

 それは儚くも、見る者を引き込むような、美しさを伴った景色であった。


「綺麗――」


 沙希は小さく声を上げた。その目には、七色の光が映り込んでいる。

 思考が半分停止している沙希でも、その光は美しく感じられた。沙希に見えるのは、現世で立ち上る光だけだが、それでも十分に美しく見えた。


 夕雨は、七色の光が影の世界から冥界に消えていくのを見届けるまで、動こうとはしなかった。

 やその光が影の世界のはるか上空、冥界に消えるのを確認してから、夕雨は手の構えをといた。その手から、想器そうきを消す。

 それから夕雨はゆっくりと振り向いた。その時にはすでに、彼女の服は赤い着物に戻っていた。

 夕雨は座り込んでいる沙希を見ると、にっこりと笑った。


「怪我はないか、沙希」

「え……、うん」


 沙希は曖昧あいまいにうなずいた。

 ようやく、少しずつ思考が回るようになっていた。落ち着かせるように、両手を握りしめる。

 夕雨は笑みを浮かべたまま、沙希に歩み寄った。沙希の近くまで来ると、左腕を伸ばした。

 夕雨の腕に、ワタリがひらりと止まった。そのくちばしには何か薄いものが挟まれている。


「それ……」


 それは、沙希が幼い頃に描いたあの絵だった。見たところ破れてはいないようだ。

 ワタリはその絵を沙希に差し出した。その絵を取ろうとして、沙希は手を止める。


「あの……」

「大丈夫じゃ、もう光が出たりはせぬ」

「そう? じゃあ……」


 恐る恐る、ワタリのくちばしから絵を抜き取る。ワタリが、挟んでいた箇所を確認したが、不思議なことに跡はついてはおらず、それまでと同じ姿を見せてくれている。

 沙希は近くに落ちていたクリアファイルに、その絵を挟んだ。


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