昨日の不器用くんと今日のものづくり部

鍵雨

初めの一歩編

第1話 水平線から

至は、ぼーっと空を眺めている。妄想をしているらしい。彼の視界には薄っすらと霧がかかり、青空が白く見えていた。


運命までの残酷な猶予、自由。不器用な人々は、いつこの刑から解放されるのだろう。世界は、多くの弱者を見放している。


至は、いつも通りの習慣で、中学生の時と同じようなリズムで日常を送る。1人で屋上で寛ぎながら昼食を食べているように。高校生になったら明るくなるとか、そんな理想は一丁前に抱いているようであった。しかし、人柄というものを変えるのは難しい。至は、高校へ入学してから8日が経つ。彼は、まだ友達というものを作っていない。彼の脳裏には、一人の少女の存在が浮かんだ。しかし、友達と思える確証はなかった。彼に、気さくに彼に話しかける少女がいる。伊藤文乃といって、ポニーテールの可愛らしい髪形をしている少女である。誰にでも気さくに話しかける性格ようで、彼女には、友達が多い。最近、彼女は、自身が参加する部活について悩んでいる様子だった。至は中学生の時は帰宅部だった。彼は、今後も帰宅部のままでいようと、どこか諦めているようだった。


至だけの孤独の屋上に、錆びた扉が歯ぎしりをして、徐々に広い空気に分散する音が響き渡る。至は、このままでは二人きりになってしまうと、急いでベンチに立ち上がった。扉から、頬を緩めた表情をした、身長180㎝程度の長身の男性が顔を出す。慌てている至の背中を見て、彼は咄嗟に気を利かせた。


「気にしなくていいよ。俺なんか空気みたいなもんだから。」


至に向けられた柔らかい声を彼は受け取り、その方向に向かって、彼はそっと振り向く。


「あ、あの、えっと、すみません。」


彼は、数十時間ぶりに発声する。言葉の発し方を忘れていた。しかし、他にも声が出せない要因があった。彼は緊張していた。至が向けた声の方向には、とても端麗な容姿で、液晶の向こうを通して見ることでしかないような姿があった。

彼は屋上のフェンスに腰をかけて、至の正面に立って話した。


「一年生だよね。俺もよくここ来るんだよね。気が合うね。友達と過ごさないのか。入学したてなのに。」


「友達はいないんですよ。さみしいことに。」


「悪いことを聞いてしまったね。俺が相手になろうか。俺の名前は桐生庵。2年生だ。よろしくな。」


桐生庵。至は、どの名前をどこかで聞いたことがあった。彼は5秒ほど考えて、思い出した。数学オリンピックだった。至は、勇気を出して、彼に質問した。


「あの、もしかして、数学オリンピックとかで優勝してたりしてます?」


桐生は驚いた表情をした。彼にとっては、思いがけない話題であった。


「よく知ってるね。去年の話だけど。嬉しいよ。」


至はその言葉を聞いて、安堵の表情を浮かべた。至は、どこか得意げに、うれしくなった様子で、桐生との会話を進めた。


「新聞で見た記憶があります。数学オリンピックで優勝するなんて、天才じゃないですか。勉強とかも忙しいですよね。」


「いや、そんな勉強はしてない。部活のほうが今は大変かな。手続きとかで。」


至は、その桐生の余裕を持ったセリフにどこか驚く。彼は、数学オリンピックに優勝した天才が、熱心に取り組めるようなものとは、何か気になった。


「どこの部活入ってるんですか。」


桐生は、やっと、自分が言いたかった話題を切り出せると思い、得意げに話を進めた。


「ものづくり部って部活。変わってるでしょう。先輩が引退して、同級生もみんなやめちゃったから、今は僕だけ。だから休止中なんだけど、部員が入ってくれたらなって。」


至は、ものづくり部という言葉を聞いて、確かに変わっていると思った。彼は、どのような部活なのだろうと思い、詳細を聞いた。


「まあ、適当に色々物作ったり研究するんだよ。他分野なんだけどね。音楽とか科学とか美術とか。楽しかったな。本当。興味、あるかな。」


至は、楽しそうに、自慢げに話す桐生の姿を見て、羨望の意を憶えた。しかし、彼は、自分には高度なスキルは持ち合わせていないから諦めようとした。しかし、どこか至を引き留める意志がそこには存在した。彼は勇気を振り絞って、桐生に向かって話した。


「何の取り柄もないですけれど僕に出来ますか。」


桐生は笑顔を浮かべ、彼を抱擁するような、暖かい雰囲気を作り出した。


「ああ。別にそんな難しすぎることはしない。まったり楽しむだけさ。7人以上集まったら再開できるのだけれどね。まったり集めようか。」


至は、安心して、勢いよく”はい”と返事をした。至は、今の二文字と、桐生が彼にかけた言葉を思い出す。しかし、至は、後悔しなかった。自分が受け入れられたことへの自信と安心が、彼を一歩前に進ませた。たった20分間の昼休みの中の数分の会話が、自分の人生が変えることになる。このことを至は、良いように受け止めるようと、自身の僅かな不安を踏み消した。彼は、いつのまに、希望が腹から無尽蔵に沸いてくるように、安堵した。


規則的な予鈴の鐘がスピーカから発せられる。彼らは、顔を上げて、話に区切りをつけた。桐生は、最後に、至に対して、重要な問いを発する。


「じゃ、またね。あ、名前何だっけ。」


「古橋至です。」


「じゃあね!至!また会おう!」


桐生は颯爽と扉を開けて、階段を駆け下りていった。至はランチバックを手に取り、立ち上がった。彼の足取りは軽かった。至は彼の残した足跡を辿って、教室へと戻った。


至は、いつもより、席に着くのが遅かった。しかし、彼にとっては、そんな些細な事は今はどうでもよかった。上の空の様子のまま、授業の話が頭に入らず、右から左へと抜けていくようであった。5時間目、6時間目が終わると、珍しく至に声が向けられる。伊藤文乃の声だった。彼女は、少し彼に疑問を感じて、話しかけた。


「古橋くん。授業上の空だったけど、どうしたの?」


至は、その言葉を聞き、自分の態度はそんなあからさまであったかと少し反省をする。しかし、至は自分の考えていたことを打ち明けることに躊躇しなかった。大きな自信があった。


「部活のことが気になって。」


彼女は、その言葉を聞いて、驚いた様子を見せる。普段無気力な様子を見せる彼が、そんな部活動というものに関心を寄せていることは、珍しいことだった。彼女は、好奇心を彼に寄せた。


「古橋君、部活入るんだ。とっても意外。何部?」


「ものづくり部っていうんだけど。」


彼女は、その聞きなれない単語を聞いて、好奇の幅を広げていく。


「聞いたことないな。詳しく聞かせて。」


彼は、自慢げに、言葉を紡いで、嬉しそうに、彼女に今日の出来事を話した。


「色々な分野の知識とか持ってたり興味持ってたりする人が集まって、作品を作るんだ。部長は頭脳明晰な人でね。今日誘われたんだ。」


彼女は、今まで考えなかった選択肢を見て、好奇を向けた。


「へえ。古橋君すごい。私もそれ興味ある!入りたいな。」


「じゃあ、一緒に部員集めようよ。7人以上必要で、今足りてないんだ。あと4人必要だ。」


「わかった。知り合い辿ってみるよ。」


彼は、あの伊藤文乃が入るとは思わなかった。もっと溌剌とした活発な部活に入ると思っていた。こういう部活を作るエピソードには、もっと熱意が篭った青春じみた大袈裟な展開がベタだが、このような軽い会話で終わるのかと思うと、彼は、どこか達観する。


やっと高校生活が始まった実感が彼に湧いた。なんとなくのんきに生活していた彼であった。水平線から、曖昧な理想を追いかけていただけの日常が、現実味を帯びてきた気にさせた。

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