第190話 ホムセンのアヤ


 年の瀬も近づく慌ただしい雰囲気の中、その男性がおずおずと尋ねたのは、懐かしい名前だった。



「あの、すみません。こちらに、清水恵流さんて方、いらっしゃいますか?」


 ホムセンというホームセンターの出入り口に近い、ペットショップコーナー。爬虫類のガラスケースを拭いていたアヤに声をかけたのは、必然だったろう。



 生前、こちらへ帰ってきたばかりの恵流が公園に通い始めた頃。

 アイスクリーム屋でアルバイトをしていた彼は、遠くから大月陽を見つめる彼女と出会ったのだという。

 想い人とめでたく交際が始まったと報告を受けたのも束の間、いつからか彼らの姿を見なくなった。彼自身もアイスクリーム屋のバイトから正社員に昇格し、現在の仕事に変わった為、その後会うこともなかったらしい。


 現在は大型店舗の店先に出す露店のフランチャイズ営業をしており、恵流に以前聞いていたこの店を偶然見つけ立ち寄ったのだと、その男は説明した。



「もしかして……公園の、池の向こうのアイスクリーム屋さん?」

「そう! そうです」



「恵流は……清水恵流は、亡くなりました」



   † † †



 ホームセンターの遅番シフトを終えたアヤは、店の外の駐車場でその男と落ち合った。恵流とよく休憩していた、自動販売機の近くだ。


 改めて自己紹介をしあった二人は、感慨深く互いを見つめ合った。



「まさか、話に聞いていた師匠さんと、こんな形でお会い出来るなんて……」

「僕の方こそ、『お弁当作戦』のアヤ教官とお話し出来るとは」


 二人は目を合わせたまま吹き出した。ほんの少しの間クスクス笑いあったが、すぐにしんみりした気持ちになって俯いてしまう。


「恵流さんもあの青年も……」

「ええ」

「残念です」


 なんとなく気詰まりになってしまい、アヤはともかく駐車場の出口へと歩き出した。元師匠も黙って付いてくる。



「……恵流はともかく、大月くんの件はかなり話題になったんですよ」

「そうみたいですね。僕、普段テレビも見ないし、ネットもしばらく見てなかったんで、全然知らなくて。さっき待っている間に検索して、すごく驚きました。色んな意味で」


「ええ。ショッキングな話でしたから。私も受け入れるのに時間がかかりました」

「……お察しします」


 元師匠の目礼に、アヤも応える。


「確かにショッキングな事件です。でも……それも驚いたんですが」

「?」


「大月さんとよく一緒に居た、木暮さん? あの、背の高い男性なんですが」

「あ、ええ。私も一度だけお会いしました。とても感じのいい方で」


「あの方、知ってると思うんです。奥様は看護士さんでは?」

「ええ、恵流からはそう聞いてます」


「お恥ずかしい話ですが、何年も前……実は僕、病院の屋上から飛び降りを図ったことがありまして」



   † † †



 暖房の効いた温かな個室は、こじんまりとして落ち着く空間だった。

 今日出会ったばかりの二人は小さなテーブルに向かい合って座り、お通しを突つきながらちびちびとビールを舐めている。


「で、プロポーズに巻き込まれてしまって」

「あははは」


 テーブルに突っ伏すようにしてアヤは笑い、人差し指で目尻の涙を拭った。


「笑っちゃっていいのかわからないけど、面白い。こんなに笑ったの、久々だわ」

「いえ、笑ってもらえて嬉しいです」


 ウケて気を良くしたのか、男は少し身を乗り出し気を持たせるように声を低くした。


「その後しばらくしてバイト始めたのが、あのアイスクリーム屋だったんです。しかも……あの二人、お客として僕の店に来て、何度かアイス買って行ったんですよ」

「ええ! すごい偶然」

「そうなんです。びっくりでしょ」


 思い通りの反応に満足そうに頷くと、男は嬉しげに笑った。


「まあ、距離的にはその病院とも遠くないし不思議じゃないかもしれないけど。でもやっぱり驚きました」

「ですよね。で、お二人はなんて?」


 男は上唇についた泡を手の甲で拭きながら、緩く首を振った。


「二人は僕に気づきませんでした。だいぶ外見が変わってましたからね。昔は引きこもり生活でぶくぶく太ってたんですが、働き始めてからすぐに痩せたし、髪を切って日焼けもしたし。僕の方も、驚いてしまって声をかけられずに」


「あら。声をかけたら喜んだでしょうね」

「ええ。一応お礼の手紙は出したんですけど、その事には触れずじまいでした」


「じゃああの頃、あの公園には運命的な出会いがひしめいてたのね」

「そうですね……もしかしたら、この出会いの種も」


「ええ……え?」

「いえ、いやあの、えっと……すみません。僕、このことを人に話したの初めてで、なんだか浮かれてしまって。不謹慎でした」


「いえ、そんな……」


 律儀に頭を下げる男にアヤは慌てて首を振ったが、なんと言っていいかわからず口籠ってしまう。出会いの種云々という発言も気になるところではあったが、そもそも自分も話を聞いて大笑いしていたわけで、謝られて却って慌ててしまったのだ。


 男は顔を上げ、空気を変えるように明るい声を出した。



「そうだ、食事したら、例のシャッターを見に連れて行ってもらえませんか? 僕、彼の絵を見た事が無いんです。さっきネットでちらっと見たぐらいで」

「え、ああ、はい」

「案内してもらえたら嬉しいんですけど。その、もしお時間あれば」

「あ、はい。大丈夫です。時間なら売るほどありますし」


 店員が注文の品を運んできて、会話は中断された。湯気の立つ美味しそうなメニューが数品並べられる間、ふたりはその仕事を静かに見守りながら、くすぐったいような数十秒をやり過ごした。



 店員が出て行くや否や、男は恐縮した様子でまた頭を下げる。


「図々しいお願いをしてしまってすみません」

「いえ、とんでもない」


 アヤは、気にしないでという風に笑って見せた。


「今の季節ならきっと、雪が降ってる筈です。素敵な絵ですよ」

「楽しみです」

「それに私も、もう少し師匠とお話しがしたいです。今まで恵流の事、話せる相手がいなかったから……」


「僕も聞きたいです。でもその、師匠っていうのはちょっと……恥ずかしいかな」

「あ……」


 はにかむように笑ったアヤにつられ、男も声を上げて笑った。



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