第189話 友達
鶏肉と魚介の寄せ鍋、締めの味噌煮込みうどんからの卵入り雑炊まで平らげ、宮内は苦しそうに横たわっている。
「腹が……千切れる……」
「だから言っただろ、食べ過ぎだって」
「美味かったから……」
ゲフ、と下品な音をたてた宮内は、苦しげなのに幸せそうに見えるという不思議な表情を浮かべている。
膨大な量の夕飯をあらかた食べられてしまったので、渡辺は仕方なく、冷凍してあったアップルパイをレンジにかけた。
「俺、それいらない。もう食えない……」
「やらないよ」
甘い香りが漂ってくる。いつもの店の、いつものアップルパイ。
優馬さんの言いつけで大月さんが買ってきてくれた、アップルパイ。
この香りを嗅ぐ度、思い出して鼻の奥がツンとする。
「あのさ、宮内。少し休んだら、腹ごなしに散歩行かない?」
「おお、それいいな。俺、行きたいとこあんだけど」
「どこ?」
「大月陽のスタジオ」
レンジに伸ばしかけていた手が、止まった。
「俺も、そこ行こうと思ってた」
「前に見たのも、ちょうど今ぐらいの季節だった。まだ覚えてるよ。店のシャッターに描いた、湖に雪が降ってる絵。今もあんのかな」
「あるよ。この前、俺が照明付け替えたんだ」
例の放送から、3ヶ月あまり。
スタジオの中の絵は全て高値で売却され、書きかけだった絵は藤枝の画廊に移され保管されていた。ほぼ空っぽになってしまった建物は、元々の持ち主である天本夫妻が戻ってくるのを待っている。
渡辺は時々シャッターの絵を見に行き、汚れていれば水をかけて洗い、季節が変われば照明の色セロファンを自作し取り替えていた。
「まじで? お前ら相当仲良かったんだな。まあ、俺も部屋にお邪魔して絵見たけどな」
口が悪くなったとはいえ、「お邪魔する」などと言ってしまうあたりに本来の育ちの良さが垣間見える。
「俺だって見せてもらったことあるよ。部屋だって上がった。マネージャーの木暮さんとか恋人のカレンさんとだって」
「わーかったよ。悪かったよ、変な自慢して。それより、他の絵も見たい。いくつか買ったんだよな?」
レンジのアラームが鳴り、少し焦げてしまったアップルパイを取り出す。
熱くなった皿を一旦棚に乗せると、渡辺は部屋に戻り、ごそごそとクローゼットを探った。日当たりの良い部屋なので、絵が日焼けするのを恐れて普段はしまい込んであるのだ。
寝転がっている宮内の横に、作品を並べる。お土産の紙袋に描かれた妖怪甘党ジジイの落書きまで、丁寧に保管されていた。
初めこそ寝転んだまま片肘をついて絵を眺めていた宮内だったが、渡辺がアップルパイの皿を持って戻って来た時には、胡座で絵を見つめていた。
「なあ、これ……」
宮内が見つめているのは、裏面に「渡辺博己宅」と書かれた紙だった。スケッチブックから破り取られた紙が、クリアファイルに納められている。
「この飛行機から出てる顔、俺?」
「うん。海外からの友情出演だって」
「やべえ。ってかアイツ、何無断で描いてくれちゃってんのよ。あ? 違うよ、迷惑とかじゃなくて。肖像権っつーの? あんじゃん?」
渡辺は焦りながら、大月陽がこの部屋を訪れてその絵を描くに至った経緯を話した。
肖像権云々は冗談で言ったことだったが、黙って話を聞くうち、宮内の顔には少し不服そうな表情が現れていた。
「あのさあ、俺、お前のこと、ふつーに友達だと思ってたんだけど。何気に今、傷ついてんだけど」
「え、なに?」
節の目立つ手で膝頭をつかみ、宮内はわずかに身を乗り出した。
「なに、じゃねえよ。お前こそ何なの? 友達でもない奴に、わざわざ国際便で漢和辞典と命名辞典送ってくんのかよ。餅だの煎餅だの蕎麦だのと食料品まで詰め合わせてさ。高え送料払ってまでさ」
「いや、だって……向こうでの漢字アートが受けてるって言ってたから。食べ物は、その……ついでだよ。懐かしいかと思って」
「だからさあ、そういうのが……あ、そうだ。俺も土産あったんだ」
顔をしかめていた宮内だったが、ふと思い出した様に部屋の隅まで這って行き、スーツケースに手を突っ込んでくしゃくしゃのビニール袋を引っ張り出す。
「ん。金ないから、そんないいモンじゃないけど」
ビニール袋を渡辺に突きつけると、宮内は元の位置に座り直した。
「あ、ありがとう……」
エッフェル塔と凱旋門のミニチュア、悪ふざけしたモナリザもどきTシャツ、地図柄のメモ帳、謎のキャラクターがプリントされた大判のエコバッグ……
「俺はぁ、友達でもない奴に土産とか買わないから。っつーか、向こうの奴らにはお前のことツレとか言ってるから。ざけんな、マジで」
宮内の口調から本気で機嫌を損ねた様子が窺え、渡辺は妙に萎縮してしまう。
「うん……あの、ごめん」
「ま、いいや。メシ作ってもらったし、暫く泊まるし。許す」
「しばらくって……」
「あ゛?」
「あ、いや、別にいいけど。でもさ」
「なに」
許すと言った割には不服げな目つきで睨む宮内に、渡辺は恐る恐る切り出した。
「面倒くさくない? 俺みたいの……その、さっき言ったことだけど、前に同じようなこと話したら、距離置かれたり、変な噂流した奴も居たから」
「あー、人を好きになれないだのなんだのって? まあ、めんどくさいな。確かに。でも俺には関係無いし」
「え?」
「お前の悩みと、俺らがダチなのは関係なくねえ? お前の悩みはお前が解決しろよ。俺も、俺の悩みは自分で解決するし。まあでも、漢和辞典送ってもらった恩があるからな。愚痴くらいなら聞いてやるよ」
「……ありがとう」
「気が向いた時だけな」
「……うん」
それで、充分だ。
この距離感。突き放すけれど見離しはしないという感じが、ホッとする。
「んじゃ、そろそろ散歩行こうぜ」
「うん」
苦しげに息を吐きながら立ち上がった宮内が、そろそろとコートに腕を通す。
「うー、ゆっくり動かないと口から色々出そう」
「やめて。マジで」
「つーかお前、月イチかそれ以上にメールしてきてたくせに、友達と思ってなかったとかさあ」
「だから、ごめんって」
「大月陽の絵買ったとか喋ったとか、散々自慢してきてたくせに」
「ごめんってば!」
「どんだけだよ。大体、『今日から僕たちおトモダチね!』とか言うかよ。ガキじゃあるまいし」
「もー、謝ったじゃん。しつこいなあ……」
「あ、そういう態度ね。わかった。俺はこの先何年もからかうわ。決定だわ」
「へー、じゃあ泊めない。このまま叩き出そっかな~」
「……嘘。嘘です。ツレないこと言うなって。トモダチだろ?」
「……しょうがないなぁ」
玄関の鍵を閉めて振り向くと、宮内は既に歩き出していた。
年末の夜の空気が頬を刺す。ひやりとした空気に思わずため息をつくと、口から白い煙の塊が立ち上る。
月明かりを受けてのんびりと歩いている宮内の背中を眺めながら、渡辺はまた、大月陽の言葉を思い出していた。
『上辺だけでも、やってたことは友達付き合いには違いないじゃん?』
大月さんが言ってたのって、こういうことなのかな……
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