第188話 時は過ぎて
「だからなんでうちに泊まる前提なんだよ、実家帰れよ。ってか宮内、君キャラ変わってない?」
戸惑った表情の部屋主の横をすり抜け、宮内はダウンジャケットを脱ぎながらズカズカと部屋に入り込んできた。
渡仏以前にも何度か訪れた、勝手知ったる部屋の隅に手早く荷物を置くと、勝手にクッションの上に陣取って足を伸ばし、早くも寛いでいる。
「実家には元旦だけ顔出すからさ。いいじゃん、泊めてよー」
足を伸ばすだけでは飽き足らず、宮内はそのままごろりと寝転んだ。
「あー、落ち着く~。やっぱ床生活はいい。家ん中で靴履きっぱとかクソだわ。あ、あれか! 大月陽の絵!」
寝転んだかと思うと飛び起きて机に取り付き、壁に凭せ掛けた絵に顔を近づける。
「……やっぱ凄いな」
渡辺に断りもなく額に手を伸ばすと、恭しく絵を手に取った。
「勝手に触るなよ。お前、前科あるだろ」
「だーいじょうぶ。絶対汚さないって」
絵の中の渡辺と目の前にいる仏頂面を、何度も見比べる。
「こんな顔のお前見たことないけどさ、なんか違和感無いもんな」
「大きなお世話」
宮内は両手で絵を掲げたまま腹這いに寝転がった。
「絵の説得力が凄まじい。全っ然、追いつけない。クッソ、俺に断りもなく死にやがって。勝ち逃げかよ」
怒りを含んだ荒い足音が近づき、宮内の両手から絵をひったくった。
「お前、いい加減にしろよ。大体、大月さんは勝ち負けとか」
「わかってるよ」
空になった両手をじっと眺めたまま、宮内が小さな声で呟く。
「あいつは勝ち負けなんか拘らない。人の目とか評価なんか全然気にしない。自分の好きなように好きな絵を描いて、ヘラヘラ笑ってんだ。そういう奴だった。だから大嫌いだった……今だって嫌いだね。ムッカつく」
「そんなに嫌いなら」
「絶対追いついて、いつか追い抜かしてやろうと思ってたのに。参りました、って言わせてやろうと思ってたのによぉ。何なんだよ、クソが」
「……宮内、お前口悪くなったな」
久々に会った宮内秀人は、印象が随分変わっていた。どうやら髪を短くして多少痩せたというだけでは無いらしい。
取り上げた絵を元どおり立てかけると、渡辺も床に座ってローテーブルに肘をつき、寝そべっている宮内の背中を見下ろした。
「向こうで半年も暮らしたら、口も悪くなるって。あいつら二言目には罵ってばっかりなんだ。いや、人種差別とかじゃなくてさ、なんか全方位に罵倒する感じ。口癖みたいなもんなんだろうな」
「へえ。罵詈雑言が伝染ったんだ」
「かもな。おまけにみんなかなり図々しいっていうか、自分勝手だしさ。おかげで俺も図太くなった」
「そうらしいね。かなり馴染んだみたいだ」
渡辺の皮肉に、宮内が顔だけこちらへ振り返る。
「そういうお前も、雰囲気ちょっと変わったな」
「……かもね」
ふいに体を転がして頬杖をつき、宮内は渡辺をじっと見つめた。
「……なんだよ。ジロジロ見んなよ、気色悪い」
「いや、俺だったらどう描くかなって思ってさ」
「大月さんみたいなこと言うなよ」
「……冗談だよ」
元の腹這いに戻ると、宮内は大きく伸びをした。
「普通に日本語が通じるっていいなー、とか思って」
「如何にも”おフランス帰り”って感じだね」
笑いを含んだ渡辺の言葉に、宮内がフランス語と思しき聞き慣れない言葉を返す。
「え、なんて?」
「腹減った。メシ食わせろ。米のメシと鍋が食いたい。魚介の出汁は偉大なり」
渡辺は思わず吹き出してしまい、口元を拭った。
「わかったよ。買い出し行こう」
「鳥鍋でもいいけど」
ピロちゃんの籠を指差した宮内に、渡辺は冷たく言い放った。
「ピロちゃんに手ェ出したら、お前を鍋で煮てベランダから投げ捨てるから」
「いや、せっかく煮たなら捨てる前にせめて食えよ」
「やだよ。腹壊したくない」
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