第187話 想い
数秒前までの慈悲深い微笑みは何処へやら、夏蓮はじれったそうに手を振り声を張り上げる。
「そうよ赦さないわよ! 怒ってるわよ! でも私にも責任があると思ってる! 同じことを何度言わせるのよ! 悪かったと思ってるならね、四の五の言わずに手伝いなさい!」
夏蓮の激変に驚愕し凍りついたように固まっている外村に構わず、夏蓮は尚も言い募った。
「私だってわかってるの! アドラメレクの存在を広めることが贖罪になるなんて、他人から見たら馬鹿げてる。でも、陽が文字どおり命がけでやったことを、無駄にしたくないのよ。それに……栞さんだって、悲しみのぶつけどころが出来るでしょう?」
「ああ……」
五島は打ちのめされた思いで、額に手を当てた。
自分と大月陽のことだけでなく、木暮栞のことまで考えている。それで彼女が喜ぶかどうかはともかく、残されたものがその悲しみをどう扱うのか、精一杯考えている。
俺が自分の罪ばかりに拘っている間に。
全く……このひとには、敵わない。
「栞さんが言ってたの。まだ実感が湧かないって。私もその気持ちがわかる。自業自得とはいえ、私はしばらく陽に会っていなかったから尚更………未だに、いつかひょっこり顔をみせるんじゃないかと思ってしまう。怖いのよ。それを実感するのが、怖いの。それを受け入れることがどれほど辛いのか、想像するだけで怖いの。だから、何かしたい。精一杯やったって思える、乗り越えられる何かが欲しいのよ」
愛する人を失ったことへの、実感。
直に言葉に出来ずに「それ」と言い表していることで、彼女がどれほど「それ」を恐れているかが、五島には痛いほどわかった。
なにせ五島自身、一時的とはいえ似たような経験をした身だ。
「とにかく。私はこれから、栞さんに会ってくる。優馬さんから何か聞いてないか、当時の様子はどうだったか聞いてくる。その間に貴方は、その資料とか私の経験談とかを書き込んで、情報を……要は、渡辺くんの援護射撃をしてちょうだい。ただし」
ヘマをしたら承知しないという殺気に近い気迫を込めて、夏蓮は命じた。
「陽があの老人と出会ったタイミングについては、絶対に悟られないで。いい?」
「タイミング……理由は?」
「報告書をよく読むと、渡辺くんの友人とのイザコザが一連の件のトリガーになった可能性があるの。イザコザの内容までは書かれていないんだけど……とにかく、渡辺くんがそれを知ったら、そのお友達と仲違いするかもしれない。陽はきっと、それを望まない」
「……」
……そこまで配慮しているのか。
おそらく夏蓮は、動画と同様、何度も報告書を読み込んだのだろう。単なる思いつきや勢いだけで言っているのではないのだ。
「私がPCの操作とかタイピングが苦手なの、知ってるでしょ? カズがやった方が断然早いし解りやすいんだから、頼んだわよ」
答えない五島に、当然のように仕事を割り振り、夏蓮は車椅子をドアへ向ける。
「ああ……一応あなたにも拒否権はあるから。まあ、考えてみて」
「一応、ですか……」
思わず零れた声は、五島ではなく外村のものだった。
「じゃあ、行ってくるわ」
「アポイントは取ったのか?」
ようやく発した五島の言葉に、夏蓮はぎくりと立ち止まる。
「……まだだったわ。だって、栞さんに会うことは今思い付いたんだもの。まあ、向かいながら電話するわよ。いいわよ、それぐらい自分で出来ますから!」
ほんの一瞬、しまったという表情をしたものの、夏蓮はすぐに復活し、車椅子を器用に操りベッドと椅子の間を縫って進んだ。
ドアを抜けようとした所で、不意に立ち止まる。
「ねえ、ごーちゃん?」
夏蓮にしては実に珍しく、口籠っている様子だ。
「……一度しか聞かないから、教えて。もし嫌だったら、何も言わなくていい」
「ああ」
……やはり、そうなるか。
五島は覚悟を決めた。
「……いつから? その……私のこと……」
「……わからない。ただ、初舞台を見た時に、隣のお嬢ちゃんじゃなく、ひとりの人間として、尊敬した。初めて自覚したのは、ドイツで変質者に遭遇したと聞いた時だ」
出来るだけ正直に、言った。肝心の言葉を省いた言い回しではあったが、正直に打ち明けた。
夏蓮には、通じた筈だ。
「そう……」
五島の思った通り、夏蓮は頷いてくれた。
そして部屋を出て行く時、振り向かぬまま小さな声で言った。
「ずっと何も言わずにいてくれて、ありがとう」
たとえ心臓を刺し貫かれたとしても、これほどの痛みはないだろう。
夏蓮がそっと置いていった言葉に、内側から爆ぜたかと思うほど熱く大きく、五島の心臓がドクンと音を立てた。
言葉の意味をつかみ損ね、耳鳴りとともに思考回路が遮断され頭の中が真っ白になる。が、徐々に夏蓮の言葉が脳に染み込み遮断された回路が復活するにつれ、五島の全身の細胞が温かな何かに満たされていった。
報われた、と思った。
十数年にわたる時間が、想いが、報われた。
もとより夏蓮の心を得ようなどと思ったことは、一度も無かった。
だからこそ、自分の気持ちを知られた上でのこの一言が、どれほどの救いになることか。もし、今後二度と夏蓮に会えなくても、その声すら聞けなくなったとしても、もう何も、思い残すことは無い。
「俺、エレベーターまで見送ってきますね」
外村はそう言い置き、足音を忍ばせ部屋を出て、静かに扉を閉めた。
そんな彼の気遣いに気づく余裕もなく、五島は歯を食いしばり懸命に声を押し殺していた。引き結んだ震える唇と角張った顎の上を、熱い涙が伝って落ちた。
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