第185話 夏蓮の回想と、決意
当時、他のレッスン生に溶け込めずバレエの練習でも行き詰まっていた。自分のやりたい道は、バレエの外にあるのではないかと、悩んでイライラしながらの帰り道。 夏蓮は石畳の狭い路地を歩いていた。
「やあ、お嬢ちゃん」
突然声をかけられ顔を上げると、薄気味悪い老人がインチキ臭い笑みを貼り付けて立っていた。
「強い目をしたお嬢ちゃん、君の望みは何かな?」
(……なにこの変質者)
いつの間にか、辺りには人気が途絶え、午後から夕暮れにかけての穏やかな日差しは陰っている。
老人が小さく一歩、踏み出した。
「望みを言いなさい。言葉に出して。望みが叶う力を、私があげよう」
老人の偉そうな物言いにイラつき、昂然と言い放った。
「アンタに叶えて欲しい望みなんて無いわ。欲しいものは自分で手に入れるから結構よ」
「それは頼もしい。だが、 ”力” が」
「うるさいわね! 私に話しかけないで! 近づいたらこれをお見舞いするわよ!」
老人が近づく素振りも見せていないのに、夏蓮はバレエシューズの入ったケースを思い切り投げつけ、反対方向へ走って逃げた。
曲がり角まで全力で走って、こっそり覗き見た時には、男はもう居なかった。
† † †
「後から思うと、ただの八つ当たりだったのかもと思う。でもあの後、なんとなくバレエシューズを取りに行く気になれなくて、放置したの。それで吹っ切れて、バレエをやめて転向したのよ」
「……話しかけられたから走って逃げた、としか聞いていなかったと思うが」
「そうだった? まあ、日本に連れ戻されたくなくて、黙ってたのかもね」
夏蓮はあっけらかんとした様子で、ヒョイと肩を竦めた。
「とにかく。私は会ってるのよ、その男に」
「あの! ちょっと、待ってください。信じるんですか? その、都市伝説を? 過去に会ってると言っても、十数年前のことだったら、夏蓮さんの記憶違いってことも」
「それは無い」
思わず、といった勢いで会話に参加した外村を、五島が一蹴した。
「夏蓮の記憶力は確かだ。特に、人の顔や特徴は忘れない」
「でも……色んな事が立て続けに起きて、混乱してるのかも」
「ショックのあまり記憶を都合良く改竄したって言いたいの? 私はそんなにヤワじゃないから」
「……すみません。差し出た事を」
しゅんとした外村を、夏蓮が真っ直ぐに見上げた。
「いいのよ。心配してくれてるのはわかってる。ありがとう」
微笑むでもなく、自明のこととして言い切った夏蓮の眼差しを受け、外村は感極まったように目を潤ませる。
(煌月カレンに心酔する者が、またひとり……)
こんなに簡単に懐柔されてしまって、新米とはいえ刑事として大丈夫なのだろうかと五島は内心訝った。が、今はむしろ都合がいい。
「わからないのが、アドラメレクだかその手先だかが、陽に何をしたのかってこと。陽は『騙された、呪われた』って言ってた。私には『力を与える』って言った。『チカラ』って、何?」
「力の正体、か………実は、この資料と動画を見て最初に浮かんだのが、『エナジーヴァンパイア』って言葉だった」
明らかに初耳です、という夏蓮の表情を見て簡単に説明する。
「かいつまんで言えば、無意識に或いは意図して他者のエネルギーを吸収し、代わりにマイナスエネルギーを注入する者。相手は嫌な気持ちになったり疲れを感じたりして、病気や怪我をしやすくなると言われている」
「迷惑ね。妖怪か何かなの?」
「いや、普通の人間だ。ただ、そういう性質の人間は割といる。ああ、心配ない。夏蓮みたいな強い人間は、無意識のうちに跳ね返しているものだから」
夏蓮の背後で、外村はブツブツ呟きながら手帳にメモを取っている。
「彼が『自分のせいで周囲を不幸にした』と言っていたのでそう思ったんだが……アドラメレクが実在するのであれば、それとは別の物だな」
外村が手帳に大きくバツ印を書き込んだ。
「別の、似た何か………これはもちろん、推測だが」
「聞かせて。どんな可能性でもいい。陽に何が起きたのか、突き止めたいの」
「彼は……大月陽は、人好きのする性格だったろう。自分から働きかけることは少ないが、いつも周囲の人間に好かれていた」
そんな彼を、心底憎んだ俺以外は……いや。そんな自分でさえも、どこか憎めないと感じてしまう何かが彼にはあった。
頷く夏蓮と目を合わせられず、五島は一瞬瞼を伏せた。
「力とは、彼のそんな性質を助長するものかもしれない……元々持つ性質を利用しパワーアップさせる。人々の好意を吸収し、彼の望みを叶えるためだけにそれを注ぐ……」
夏蓮はきつく目を瞑った。
あの痣に頻繁に触れ、同じ場所に、ふたりの象徴であるモチーフのネックレスを提げ……
今もその場所にあるペンダントを、服越しに握りしめる。
私が陽に惹かれたのは、あの痣のせいじゃない。悪魔の力に引き寄せられたんじゃない。私は自分から、陽自身を好きになったの。
「だが、全ては推測に過ぎない。たとえアドラメレクとやらが実在したとしても、呪いやら力やらを立証することは不可能だ」
断定的なその口調に、夏蓮は物想いから引き戻された。顔を上げ大きく頷くと、五島の目を見据える。
「実はね、今の時点で陽を批判する声も少なくないの。逃げただけじゃないかって。辛い事から逃げる言い訳にあんな人騒がせな動画まで作って自分を正当化したんだ、って。冗談じゃないわよ。陽は絶対に、私を置いて逃げたりしない」
夏蓮は車椅子の上で身じろぎし、五島のベッドに向けて身を乗り出した。
「私、陽のしたかった事を引き継ごうと思う。ごーちゃんの言う通り、確かに立証なんてできない。でもね、私は、アドラメレクを追い詰める。ねえごーちゃん、手伝って」
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五島「変質者どころか悪魔に先制攻撃するとは……危ないところだった………」
夏蓮「先手必勝、攻撃は最大の防御よ」
五島「いや、危険すぎる。今聞いても動悸が………どうか頼むから」
夏蓮「……わかってるわよ。もうしません!」
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