第183話 限られた時間


 昨夜外村と名乗った付き添い君は、朝から落ち着かぬ様子だ。病み上がりのこちらの方が心配になってしまう。


「あの、大丈夫ですか?」


 彼が7回目に病室のドアの外を確認したところで、五島はとうとう声をかけた。


 外村は足早に戻ってきて、ベッドとドアの間に置いた折り畳み椅子に浅く腰掛けた。夏蓮が来たらすぐに動けるようにだろう。


「大丈夫です、大丈夫です。もう殴らせたりしません。今度はちゃんとガードしますから」


 昨日のビンタが余程ショックだったのか、すっかり警戒モードになっている。

 夏蓮の付き添いだとばかり思っていた彼は、実は五島の付き添いだった。目が覚めるのを待ち、担当刑事へ連絡するよう云われていたのだ。

 それが、夏蓮にこき使われるうちいつの間にかお世話係みたいになってしまい、あげく昨日の失態だ。挽回しようと、相当気合を入れているらしかった。



「彼女なら大丈夫です。一通りの護身術こそ身に着けてますが、本来暴力を振るったりする人間じゃありません。実際私も、手を挙げられたのは昨日が初めてで」


「そうなんですか……いや、昨日は驚きました。元々、気が強く人使いの荒い……いや失礼、その、突然だったので」


 恐縮してしきりに頭を掻く若い刑事は、決まり悪そうに頭を下げた。これで何度目だろうか。


「いえ。昨日は私があまりに不甲斐なかったので、喝を入れてくれたんでしょう。実際、あれで目が覚めました。それに、トレーニングをきっちりこなしていることも、よくわかりました。あれは腰の回転といいスイングといい、良い張り手だった。しかもスナップは極力緩めて、ちゃんと力を加減していた」


 納得顏で頷く五島に、外村は少し呆れた様な、怪訝な表情を返した。


「五島さんがそうおっしゃるなら……まあ」

「ええ。彼女はあれでいいんです。むしろ、そうあるべきなので」


 微笑む一歩手前、というふうに強面の五島の表情が緩むのを見て、外村は不思議な感慨を覚えた。長年にわたり培ってきた絆、精神的な繋がりを見た気がしたのだ。


「そういえばカレンさん、五島さんの件で事情を聞かれた時、開口一番言い切ったらしいですよ。『五島が何をしたか知りませんが、それは私のためにしたことです。五島は悪くありません』って。すごい信頼関係ですね」



 夏蓮のことだ。言い切ったというより、正確には啖呵を切ったという表現が近かったに違いない。

 だが、彼女自身、先の見えない不安と身体を引き裂くような悲しみに身を置く中で、咄嗟に自分を守ろうとしてくれたのだと思うと、罪の意識に胸が引き絞られるほど苦しくなった。

 しかし同時に、胸の中に光が灯り、熱くなった光が全身を駆け巡り、喜びが満ち溢れる。


 罪悪感もこれから訪れるであろう喪失感も全てどうでもよくなる程、その喜びは強烈だった。もう、死んでもいい。いや、この気持ちを持ったまま死んでしまえたならと願うほど。


 だが、自分のしたことを思えば、喜ぶなど言語道断。恥ずべきことだ。

 妙に感激した面持ちの外村に向かい、感情が表に出ないよう、五島は奥歯を噛み締めて首を振った。


「いえ……昨日も申しました通り、あれは私怨でやった事です。彼女には責任も関係も一切ありません。私は裁かれ、しかるべき罰を受ける事を望んでいます」


 外村は神妙に頷いたが、言葉は返さなかった。


「それで、この後私は、どうなりますか」

「……わかりません。お話しした通り、彼らの死に五島さんが直接関わったとは言い難いし、状況が状況でしたし……今後の捜査次第じゃないですかね。正直自分、下っ端なんで詳しいことはわからなくて。ただ、もう数日検査が続くそうなので、しばらくは入院生活です」



 おそらく、検査と拘束を兼ねての措置なのだろう。そう推測して、五島は静かに頷いた。


 不意に、外村がピンと耳を立て、飛び上がるように立ち上がった……ように見えた。素早くドアの外へ飛び出すと、夏蓮の車椅子を押して戻ってきた。千切れんばかりに振られている尻尾が見えるようだ。警戒しているつもりが、すっかり夏蓮に飼い慣らされている。



「おはよう、カズ」

「……おはよう」


 いつもの様に、堂々とした女王の如き登場だ。

 夏蓮は昨日の告白には触れずにいてくれるつもりらしい。正直なところ不安だったのだが、安心した。こちらも同様に振舞うことが出来る。



「体調は?」

「問題ない」

「今日の予定は?」

「昼までは暇だ。で、昨日言ってた話というのは?」


 普段通りの簡潔な遣り取りが、かつての様な会話のテンポが、この上なく幸せに感じられる。今後どうなろうと、今はこの空気を壊したくない。この、限られた時間を。



「陽と優馬さんのことは聞いたわね?」


 何故か感情を見せない真顔で、夏蓮が尋ねた。悲しみや痛み、怒りが感じられない。それが却って恐ろしくて、五島は自ら切り出した。


「俺は彼を殺そうとした。本気だった」

「待って」

 すかさず夏蓮が制止する。


「貴方が何をしようとしたのかは、関係な……くはないけど。今は置いておいて欲しいの」


「だが俺は……未遂だったとはいえ、許されないことを」

「許すか許さないかは私が決めるわ」



 夏蓮その言葉に、体の奥が痺れ細胞が開く感じがした。これだ。この感じだ。

 無意識ではあったが、”許されないことを” と発した時には既に、五島はこの言葉を待っていたのかもしれなかった。



「まずこれを読んで、どう思うか聞かせてちょうだい」


 手渡された紙の束には、簡潔に「報告書」とだけ書かれていた。



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