第182話 懺悔


「ちょっと煌月さん、困りますよ」

「……ごめんなさい。気が急いてしまって、つい」

「わかりますけど」

「体調のチェックが終わったら、話させてくれるんでしょう? 約束よね?」

「違います。我々の質問が終わってからという約束だったでしょう」



 夏蓮と車椅子を押す男の声が、遠ざかっていく。



 あの男は、誰だ?


 ここは……病院だ。


 二週間眠っていた?



 そして、大月陽と木暮優馬が、死んだ……?




……ああ…………ああ、そうか。俺は………俺が、やったのか?



   † † †




 医師達からチェックを受けている間に、意識を失う直前までのことをすっかり思い出していた。

 医師達と入れ替わりに入ってきた2人の男が身分証を提示した時には、心は決まっていた。全て、正直に話す。元々、事を為し終えたら自首するつもりだったのだ。


 夏蓮は部屋の隅で付き添いの男と小声で言い争っている。おそらく下っ端の刑事なのだろう。車椅子をがっちり掴まえながら、夏蓮を宥めている様子だ。



 二人連れの片方に当日の行動を聞かれたので、五島は迷いなく一気に言った。


「大月陽を殺そうとしました。明確な殺意を持ってナイフを購入し、電話で彼を誘い出し刺殺しようとしましたが、失敗したので逃走しました。その途中、階段で転げ落ちそうになった女性を助けました」


 途中、男達の向こうで夏蓮が息を飲んだのがわかった。彼女を見てはいなかったが、気配を感じ取った。



 何故殺そうとしたのかと問われ、一瞬言葉に詰まる。


 理由は、明白だった。

 だが、この言葉を発した時が自分の人生の終わる時だと知っていた。

 今まで頭の中でさえ考える事を封印してきた言葉だった。


 自分の手で、終わらせる。

 大月陽を殺すと決めた時から、その覚悟は出来ていた。




「理由は、私が……煌月カレンを、愛していたからです」



 部屋の中の時間が止まった。


 それはおそらく2、3秒の間だったが、暗く深い真空の空間に感じられた。



「大月陽の存在が彼女を苦しめる。だから消さなければならない……そう思っていました。でも、本当はそれだけじゃなかった」


 本当は、最初からわかっていた。ただ気づかないふりをしていただけだ。


 夏蓮との関係を、終わらせたくなかったから。

 彼女の苦しみを消すことより、自分の気持ちを優先していたのだ。



「自分が夏蓮を守れなかった。自分のせいで夏蓮が怪我をして、踊れなくなった。その後悔を、怒りを、恐怖を、彼にぶつけたんです」


 嫉妬や苛立ち、羨望、そういったものを全て、ぶつけたのだ。自分には永遠に手の届かないものをやすやすと手にした、憎い男へ。



「どうして……どうして!」


 夏蓮の声に、混乱が滲んでいる。



 五島は顔を上げられず俯いたままだった。


 言えるわけがない。

 夏蓮の叫びに、漫然と首を振る事しか出来なかった。




 付き添いの男に諌められ夏蓮が引き下がると、五島は質問を続ける刑事たちに淡々と答えた後、状況の説明を受けた。


 時間にして15分程だろうか。自分でも驚くほど、冷静だった。あの一言の後は、何を話しても何を聞いても、心が動かなかった。

 あれを言った瞬間に、心も死んでしまったのだろう。でも、それでいい。心なんてもう、必要無いのだ。



 話が終わればそのまま連行されるものと思っていたが、彼らは意外にも壁際の椅子に陣取った。そして、夏蓮が進み出てきた。


 五島の心はやはり止まったままで、冷たく強張ったまま何も感じなかった。ただ、やはり顔は上げられず、腿の上で組んだ両手をじっと見つめていた。



「カズ、こっち見て」


 夏蓮の声だ。いつもの、決然として抗いようの無い、強い声。


 だが、五島は動かなかった。

 習慣というのは恐ろしく、夏蓮の声に逆らうのには強い意志を必要としたが、頑なに自分の無骨な手を眺め下ろす。



「こっちを見て。私を、見なさい」


 声が、怒気を孕む。静かだが有無を言わせぬ迫力がある。少しだけ、意志が揺らいだ。

 さらに深く俯き、目を閉じる。


 組んだ手に熱い感触が乗っかり、強い力で握られた。組み合わせた指に痛みを感じるほど、強くギリギリと締め上げられる。

 どれだけ体を鍛えていても、指というのは弱い箇所だ。夏蓮はそれを重々承知で、絡めた指を締め上げているのだ。

 折り重なった指の骨と関節が痛んだが、手を振り払うという発想は全く浮かばず、頑なに目を閉じ続けた。



 ふと、指への圧迫が消えた。


 と思うと突然、大きな破裂音とともに頬に熱い痛みが走った。思い切りビンタされたのだ。これには流石に反応してしまい、反射的に目を開いてしまう。


 続けざま、顔に向かって布切れを投げつけられた。夏蓮のひざ掛けだ。


「見なさいって言ってるでしょ!」


 思わず見返すと、夏蓮は付き添いの男に後ろから肩を掴まれていた。

「起きたばかりの患者に何を」と泡を食っている男を無視して、夏蓮は足元を指差している。


「ほら。よく見て」


 夏蓮の白い爪先が、桜色の形の良い爪が張り付いた美しい爪先が、ピクピクと動いていた。よくよく見れば、足首から先が微妙に蠢いている。


 信じられない思いで顔を上げると、夏蓮と目が合った。夏蓮が強い眼差しで見つめ返し、小さく頷く。


「動くの。まだ少しだけだけど……治ってきてる」



 解放された両手が、震える。薄く開いた唇が、震える。心臓はもっと、震えている。




……ああ、ああ………




「私、踊るわよ」


 夏蓮の瞳に、強い決意が瞬いたのが見えた。




……夏蓮だ。夏蓮が、戻ってきた。俺の愛した、煌月夏蓮が。


 熱い思いが大量に溢れ出た。吠えるような声と火のような吐息、それに熱されたように熱く沸る涙が止めどなく流れ、顔を覆う両手を濡らした。



「……良かった……よかった……」


 号泣の合間に零れ出た言葉は、夏蓮に聞こえただろうか。どちらでも構わなかった。

 頭の中に強く温かい光が満ち溢れ、真っ白になった。大月陽も木暮優馬もその存在ごと、強い光の向こうに消し飛んだ。



 夏蓮の足が、動いた。夏蓮が、本当の夏蓮が、生き返った。

 それだけが大切な事実だ。他のことは何も要らない。ただただ、神に感謝した。


 滂沱として止まらぬ涙が夏蓮のひざ掛けを濡らす中、五島は信じてもいなかった神に、心の中で感謝の言葉を捧げ続けた。


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