第181話 苛立ち
夏蓮はイライラして、前髪の端を噛んだ。
例の放送から連日、巷では孤高の天才画家の変死というショッキングな話題で賑わっていた。
ネット上では様々な憶測が飛び交い、有る事無い事書き立てられ……絵画に全く興味の無い人々にまで様々に噂され、昨日はついに夏蓮のところまで雑誌の記者とかいう者が訪ねてくる始末だった。もちろん会わずに追い返したが。
世間では、大月陽の気が狂れたという意見が多勢を占めているように見受けられた。
理由として、彼が語った内容はもちろんだが、カメラに向かって話す表情や口調がコロコロ変わったとか、たまに目線が虚ろになるところがあったとか、知った風な分析結果をひけらかす者も多い。
が、最も大きな理由となっているのが、容姿の変化だろう。
失踪前の画像が多数アップされており、ご丁寧に例の放送時の映像と比較されているそれらは、まるで別人の様に見えた。
迷いの無い真っ直ぐな視線をキャンバスに向け絵筆を揮う陽、誰かと会話して快活に笑っている陽、子供達に絵の書き方を指導している楽しげな陽、少し緊張した面持ちでインタビューに答える陽……夏蓮との動画の静止画もあった。
その画像のほとんどは優馬がSNS上に掲載したものだったが、数々のイベントや、夏蓮も憶えのあるパーティーで撮られたもの、明らかに共通の友人が撮った写真も見られた。
一方例の放送時は、端正な顔立ちはそのままだったが、眼窩は落窪み、どこまでも白く澄んでいた白目は充血し、頬はこけ、放送の直前まで絵を描いていたのであろう手と顔は、絵の具で汚れていた。
また、大月陽生存説も唱えられ始めていた。ほんとうはまだ生きていて、絵を売る為の話題作りの為の放送だったのだという説だ。
事実、彼の絵の価格は放送後跳ね上がり、日本の外からも問い合わせが多数来ているらしい。
実に馬鹿馬鹿しい話だったが、あの放送の中で、陽は最後に祭壇の裏に隠れたし、映像は文字通り煙に巻かれたまま終了した。
また、陽の死因について、公式な発表はされていない。
アルカロイド系の薬物による服毒死。薬物の入手経路は不明だが、比較的安易に入手出来、あるいは自身で抽出した可能性もある。
そのことを知っているのは、警察等関係者を除き、ごく限られた少数の者だけだ。
……変な噂が立つのもしょうがない。陽はそれだけの事をしたのだ。
夏蓮は齧っていた前髪を、耳にかけた。
今朝衝動的に美容院へ駆け込み、思い切り短くカットしてもらったのだ。アシンメトリーなミニマムショートは気に入ったが、子供の頃からロングヘアだったので、まだ慣れない。
木暮栞から送られてきた調査結果のコピーに手を伸ばした。
散々読みつくしたページを繰り、陽の書いた黒服の老人の絵を指で弾く。
「追加の調査結果ですが……やっぱり私、こんなの信じません。陽くんは服毒、優馬は、台風で脆くなっていた看板が直撃しての頭部外傷。死因ははっきりしてます。私が信じるのは、それだけ」
電話の向こうで、木暮栞はそう言い切った。
ふたりの死が、こんなオカルトに振り回されてのことだったなんて冗談じゃない。そう言いた気だった。
その気持ちは、夏蓮にもよくわかる。
この内容が事実だとするなら、陽の絵の才能はもちろん、私の陽への気持ちも優馬さんの友情や努力も天本夫妻の気遣いも、清水恵流の一途な想いさえも、全て仕組まれ操られていた……そう言われている様に感じてしまうからだ。
でも。
これがただのオカルトではない事、そして陽が狂ったのではない事を、夏蓮は確信していた。
あの窶れ方から、相当に迷い追い詰められ、参っていたのはわかる。だが、決しておかしくなったわけではない。
陽は最後まで正気を保ち、本気で、あれを決行したのだ。
カズと、話したい。この件について、カズの意見が聞きたい。だって、誰にでも話せるって内容じゃないのよ。
なのに……ああ、忌々しい。
車椅子を操り、眠っているカズの枕元へ近づく。
耳元に口を寄せ、思い切り怒鳴った。
「ちょっとカズ! いつまで寝てる気なの! さっさと起きなさい!」
† † †
開け放ってあるドアの向こうから、夏蓮の声に驚いた警官が飛び込んで来た。それに目もくれず、夏蓮は怒鳴り続ける。
「話す事がたくさんあるのよ! カズ! あなたが居ないと……色々と、不便なの!」
「不便って……その言い草はさすがに」
夏蓮を取り押さえ宥めようとした警官が思わず呟いた時、眠っていた五島が僅かに身じろぎした。
「カズ?! カズ、起きたの?! ……ちょっと、早く先生を呼んできて」
「えっ、あ、ハイ!」
夏蓮の命令に瞬時に反応し、警官は病室を飛び出していった。
「……髪、切ったのか」
焦点が合わないのか、眩しそうに目を細めた五島の掠れ声が聞こえた。
「ちょっと。二週間も眠ってての第一声が、ソレ?」
夏蓮の怒りを含んだ呆れ声に、五島はのろのろと目を擦った。
「ああ、すまない……ちょっと驚いたから………え、二週間? あれ、ここは……」
バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、医師と看護師、その後ろから警官が駆け込んできた。
「陽と優馬さんが死んだわ」
端的にそう告げたところで警官が車椅子を押し、夏蓮を強制的に引き離した。
夏蓮は抵抗もせず、大人しくそれに従いつつ振り返ったが、五島の姿は医者たちに囲まれ見えなかった。
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