第178話 生贄
全ての絵をゆっくりと、順番に映し終え、PCを台の上に戻した。
祭壇が映るようにカメラの位置を調節して、再びPCの前に座る。
「今お見せした絵は、生贄です。アドラメレクへ、生贄を捧げます。この力を、消し去る為に」
言った。言葉にして、言ったよ。これでいいんだろ?
「自分の手で生み出したこれらの絵と、俺自身の命を」
胸がざわめき、唇が震える。
言うんだ。最後まで、言うんだ。契約を結ぶために……
「生贄に捧げます。だから、この力を消して下さい。俺の大切な人たちを、これ以上不幸にしないで下さい」
痣がざわざわチクチクする。皮膚の内側から無数の針で突かれ引っ掻き回されてるみたいだ。
この方法は、本当に有効なのだろうか。わからない。いや、きっと効くはずだ。言葉による、アドラメレクとの契約なのだから。信じるんだ。強く、強く。
台の隅に置いておいた薬品に手を伸ばしかけたが、思い直して引っ込めた。
「予定していた時間より、だいぶ早いですね。時間が余ってしまった。言わなきゃいけないことはもう言ったと思うんだけど……最後に、もう少しだけ」
背筋を伸ばして、ひとつ深呼吸。
「俺が今からすることは、悪いこと。批判されるべきことです。それは自覚しています。でも……言い訳するわけじゃないけど、こうするしか無かったんです」
ちゃんと伝わりますように。
誰のせいでもないんだ。責任を感じたりして欲しくないんだ。そんな必要は無いんだから。
「悪魔との契約のせいで、俺が絵を描くと大切な人が不幸になる。だったら絵を描かなきゃいいんだって、思いました。それなら誰も不幸にならない……でも駄目だった。気が狂いそうになって……眠ることさえ出来ないぐらい、イメージが頭の中を駆け巡るんだ。次々に襲ってきて、外に出せって暴れる。逃げられない。描くんじゃなくて、描かされるんだ……赤い靴、って童話、知ってますか? 赤い靴を履いた女の子は、呪いをかけられて踊り続けるんです。どんなに疲れても、足が痛くても、踊るのをやめられない。俺も、ちょうどそんな感じなんです。今、この時も」
血を流して倒れている優馬さんの絵が頭から離れなくなった時点で、もう駄目だと悟った。人として終わりだと、そう思った。その後も足掻いてはみたんだ。でもやっぱ、駄目だった。
……視線が、偏る。カメラを真っ直ぐに見つめながら話してるのに、左目が強くなっている。右目に力を入れなきゃ。ああ、なんだか目がチカチカする。ちゃんとしないと、見てる人に伝わらないかもしれない。視線の加減を意識したら、余計にわからなくなってしまった。今までどうやって物を見てたんだっけ……? いや、混乱してる場合じゃない。話を続けなきゃ。
「死ぬのは、怖いよ。ほんとは生きていたい。俺はこの世界が大好きだし、大切な人だっていっぱい居る。でも……生きている限り、俺は絵を描く。心臓が止まるその瞬間まで、描く。辞めたくても辞められない。皮肉だよね。死ぬまで描き続けたいって、それが俺の望みだったのに」
思わず自嘲めいた苦笑いが漏れてしまう。
「でも、どれだけ凄いものを描いたって、世界中に賞賛される作品を遺せたとしても……それじゃ駄目なんだ。人を不幸にしてまで、絵を描きたくないんだ。俺は、悪魔になりたくなかった。人で、ありたかった」
だからどうか、悲しまないで欲しい。そんなこと言っても無理だろうから、口には出さないけど。
母さんがもう帰ってこないと聞かされた時も、父さんが出て行ったとわかった時も、なんとかその状況を受け止めてきた。無理矢理受け止めて、その時自分に出来ることを必死でやってきた。
でも、これは無理なんだ。自分のせいで周りが不幸になるなんて、絶対に受け入れられない。
俺は悲観して死ぬわけじゃない。知識が欲しいとかほざいてた、ヤツの ”観察対象” を無くしたいんだ。悪魔と戦うことを選んだのだと、知って欲しいんだ。
「今この時も、頭の中に絵が渦巻いてる。イメージが外に出せって暴れてて、頭が爆発して気が狂いそうなんです。もし本当に狂ってしまったら……正気を失って自分を押し止められなくなったら、俺は、絵を描いてしまう。だから、こうすることに決めたんです。今から俺は、俺を……この力を、殺します。自分の浅薄な行為の責任を、取ります。そして、後の犠牲者が出ないように、ヤツの悪行を広く知らしめたくて、このような放送をしました」
……ねえ、あれ、五島さんだよね。ナイフ持ってたの。あの時は混乱してて気づかなかったけど、後から色々考えて分かったんだ。直前の電話とか、現れたタイミング、あと体型とか……
俺を狙ってたんだね。理由はわからないけど、いいよ。五島さんのすることだもん、きっと夏蓮の為だよね。あなたは間違ってなかったよ。俺は消えた方がいい。
結局無駄になっちゃったけど、でもあの時、優馬さんを刺さないでくれて、ありがとう。
自分を責めたりしないで下さい。夏蓮を、宜しくお願いします。
「……ここまで見てくださった方、ありがとうございました。それと、今まで俺に関わってくれた方、お世話になった皆さん、ありがとうございました。たくさんの素晴らしい人達に出会えました。みんな大好きだった。俺はとても、幸せでした。25年間、いろいろあったけど、それでも幸せでした。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
どれだけ頭を下げても、何度礼を言っても足りない。
言い尽くせない程の感謝が、少しでも伝わって欲しい。
「皆さんも、幸せに生きてください。辛いことや悲しいこと、醜いこと、思い通りにならないこと、いっぱいあるけど……ちゃんと見れば、この世界は、とても美しいです」
そう。この世界は、美しい。知ってたけど、こうすると決めてから更に、思い知ったよ。目に入るもの全てが、美しくて愛おしい。
生きていこうとする力、在り続けようとする力。目に見えないけど、見えるんだ。それは震えるほど、美しいんだよ。
「予定よりまだちょっと時間余ってるけど……もういいや。そろそろ終わりにします」
PCを操作して画面を確認する。よし。これでいい。
席を立ち深く一礼し、悪魔の絵を持って祭壇へ向かう。
全ての絵を祭壇に積み上げ、引火性のある仕上げ用薬材を振りかけた。持ってきたライターで火を点けると、あっと言う間に大きな炎が立ち昇った。
火のまわり具合を確認し、もう一度PCカメラに向かって一礼。そして、カメラに映らないよう祭壇の裏側へ回りこみ床に座る。
あらかじめ用意しておいた小瓶と、ウイスキーボトルの蓋を開ける。不思議と、心は落ち着いていた。
ステンドグラス越しの光を浴びながら、空気を胸いっぱいに吸い込む。
濃密な緑の気配と、木と布、絵の具などの燃える匂い。これが、自分の罪の匂いか。
(この力を、断ち切る。彼らの不幸は、もう終わる。絶対に、終わらせる)
ある植物から抽出した液体を、一気に飲み下した。続けざまにウイスキーを生のまま呷り、ビリビリとする痺れを押し流す。
ぐにゃぁ、と視界が歪んだ。頭の中がぐらんぐらんと揺れる。
思っていたより随分と早い。中毒症状が出るまでに、少なくとも10分ほどかかる筈なのに。
ここ数日間の不眠や、食事を摂らなかったりした事が関係しているのかもしれない………
耳元でゴトン、と音がして、視界が揺れた。目の前に薄汚れた木の床が見え、側には琥珀色の液体が半分ほど入った瓶が倒れている。
体を支えきれなくなって床に倒れたらしい。さっきの音からして強く頭を打った筈だが、痛みは感じなかった。ただ、胸が、熱い。心臓が灼かれてるみたいだ。
そうだ。焼き尽くせ。こんな痣、胸の中から焼き滅ぼせばいい。
全身がドクドクと脈打つ。熱い。苦しい。痛い。熱い、熱い、熱い………
酸素を求めもがいていると、白い煙の向こうから光の粒が瞬くのが見えた。
スローモーションの様にゆっくりと渦を巻く煙の中からキラキラと、七色の光の粒が降り注ぐ。まるで粉々にした虹を撒いてるみたいだ。
なんだろう。なんて、綺麗なんだろう。
昔、恵流と一緒に花火とシャボン玉で遊んだのが思い出された。宵の闇に浮かぶ、色とりどりの花火と白い煙。その中を揺蕩う虹色の玉。
思わず、手を伸ばした。
その手に絵筆が無いことに驚き、声をあげて笑ってしまう。
何だよ、こんな時にさえ、俺は絵を描こうとしてる。
やっぱり、間違ってなかった。この選択は、正しかったんだ。
上手く断ち切れたかもしれない。
もしかしたら、赦されたのかもしれない。ほんの少しだけでも。
だってほら、もうそんなに、苦しくないもん……
視界が狭まり急激に暗くなっていく中、煌めく光に向かってさらに手を伸ばそうとする。だか、腕はすでにその力を失っていた。
この美しい虹の飛沫を、もう少し見ていたい。もう少しだけ……
願いも虚しく、瞼が降りてくる。
終わりだ。もう、終わるんだ。
奇妙な達成感に包まれて、薄く微笑みさえ浮かべながら、目を閉じた。
ああ、父さん。昔あんたが教えてくれた通りだ。
この世界はやっぱり、すごく、綺麗だった……
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