第177話 儀式


「これから、儀式を始めます……そしてこれが、俺の最後の作品になります」


 PCを持ったまま、祭壇の方へ向かう。そこに立てかけられている数枚の絵を、一枚ずつ映していく。



 青と水色の濃淡で描き出された女性の絵。湖のほとりに斜めに座り湖面を覗き込みながら、片手を差し入れて水と戯れている。手から零れ落ちた水は細い肘を伝い、小さな白い膝を濡らして、また湖面に滴り落ちる。


 清水恵流。その名の通り、彼女には愛の恵みが流れ出すように溢れ、それを周囲に惜しみなく与えてくれた。周りの人間全てを幸せにしてくれる、そんな存在だった。優しくて真っ直ぐで、健気で、強くって……とても愛おしい、女の子。俺が初めて、本気で好きになった人。

 多分ずっと前から好きだったのに、俺は自分の気持ちに気づかなくて。

 今思えばきっとさ、あの時だったと思うんだ。初めてのバイト代で何を買うかって話になった時、恵流は「東西家紋大全」って即答したよね。満面の笑顔でさ。その時、自分の気持ちに素直で、人からの評価より自分の感性に忠実なところに惹かれたんだ。

 自分の気持ちに気づいてからもどうしていいかわからなくて、しばらくウジウジしてた。それでも君は、鈍くて馬鹿な俺なんかをずっと想っててくれた。

 吃驚して嬉しくて……ほんと、夢みたいだったんだ。毎日が楽しくて、幸せで。ずっと、一緒に居たかった。居られると思ってた……

 ごめんね、恵流。いっぱい辛い思いさせて、何も気づけなくて、本当にごめん。俺もう、誕生日と命日の墓参りすら行けなくなっちゃった。

 俺はきっと、そっちに行けないからさ、もし優馬さんが彷徨ってたら、天国に連れて行ってあげてよ。頼むよ……




 大きな樹の下に佇む、栗毛の馬。その背中には小さな男の子が跨り、鬣を掴んだままその背にうつ伏せて眠っている。

 傍らに立つ女性がそよ風に髪をなびかせ、馬の鼻面を優しく撫でている。馬は優しい目で彼女を見つめ返す。繁る木の葉が、草の上に影を落としている。注意深く見なければわからないが、その陰影は優馬の笑顔を描き出していた。俺の大好きな、心から寛げるおおらかな笑顔。


 木暮優馬。大きくて優しい人だった。いつも笑って軽口叩きながら、他人のために力を貸してくれる。大きな手で支えてくれた。背中を押してくれた。優馬さんと一緒なら、何だって出来る。そう思えた。言ったこと無かったけど、兄貴分……っていうかもう、兄貴だと思ってた。頼れる兄貴で、楽しい親友で、何でも話せる相棒で、俺の憧れで……大切な、人だった。

 優馬さんは自分のせいだなんて言ってたけど、それは違うんだよ。優馬さんに無理矢理独立させられたわけじゃない。そりゃ最初は尻込みしたけどさ、俺はちゃんと自分の意思で、優馬さんと組んだんだ。毎日すごく楽しくてさ。幸せだったんだ。

 ごめんなさい。優馬さん、ごめんなさい。栞さんと優侍、ごめんなさい。

 約束通り、栞さんたちには近づかない。でも、出来る限りのことはしてきたから。これ以上迷惑がかからないように、ちゃんとするから。

……優馬さんはきっと、怒るだろうね。でも、仕方ないんだ。これしか無かったんだ。許してほしいなんて思ってないけど、謝らせて下さい。本当に、ごめんなさい。




 満天の星の下、満月には少し足りない月を見上げる老夫妻。夫は妻の丸みを帯びた肩に手を回し、妻は夫の腰の辺りを掴んでいる。煌々と照らす月の光に長く伸びたふたりの影が、頬を寄せ合う様に仲睦まじく寄り添っている。そこに流れるのは、温かく静かな時間。


 オヤジさん、静江さん。工房の屋上で、ビールを片手に空を見上げる貴方達が、大好きでした。仕事を終えて夏の夜風に吹かれながら、ゆったりと過ごすふたりの後ろ姿を、俺はよく部屋の廊下の窓から眺めてました。穏やかな、落ち着いた気分になれた。でもちょっと、泣きたくなる様な……感傷的になったりもして。

 ごめんなさい。就職して以来ずっと、あんなに良くして貰ったのに。ふたりが居なかったら、俺はどうなっていたかわからない。捨て鉢になって荒んだ人生を送っていたかもしれない。でも、結果的にはその方が良かったのかな。少なくとも、こんなに多くの人を不幸にせずに済んだのかも……

 いや、そうじゃないね。そんなこと言ったら、逆に失礼だよね。俺、やっぱりふたりに出会えて良かったです。

 恩返し、したかったな。静江さんの手術代は足りると思うけど……ふたりとも、完治しますように。大丈夫。俺が消えれば……この力が消えれば、きっと……

 どうか、ふたりとも末長く、仲良く幸せに過ごしてください。今までありがとうございました。感謝してもしきれません。本当に、ありがとうございました。




 真っ暗な空へ向かい、今にも羽ばたかんと力強い翼を広げる美しい鳥。その緋色の羽根に紅蓮の炎を纏い、火の粉が振りまかれている。その火の粉を受けた赤い蓮の花が夥しく燃え盛るがごとく咲き乱れ、またその美しさを呼吸するかの様に、しなやかな漆黒のとさかをなびかせた火の鳥は、あでやかにつややかに闇に浮かび立つ。美しさと強さが幾重にも循環し、昇華する。


 煌月夏蓮。俺の、運命の恋人。俺の、ヴィーナス。夏蓮がそう言ってくれたから、俺は信じたよ。今でも信じてる。

 そういえば、最初は吃驚したっけ。あの時は……強引っていうか、有無を言わせない迫力でさ。正直、引き摺られた感じだったよね。でも、その強引さが、俺を救ってくれたんだ。首根っこ掴んで起き上がらせて、ビンタかまされたみたいにさ。あんたの居場所はココ! って。ここで私だけを見てなさい! って。もう、マジで衝撃だったよ……

 夏蓮の強靭な意志の力とか、情熱、勢い、迷いの無さ……こんな人間が居るんだ、って。気づいたら、呆然としながら見つめてた。目を逸らすなんて無理だった。何から何まで衝撃的で刺激的で、凄まじく魅力的で。全身でそれを感じ取ろうとしたし、表そうと思った。俺が夏蓮から貰ったものは、計り知れない。

 ごめんね、夏蓮。一番辛い時に側に居てやれなくて。もう少し時間が経ったら、君の隣に、俺の場所に、戻るつもりだった。不死鳥の様に羽ばたく君を見守り、支え、寄り添って……描いていくつもりだったんだ。

 最期に一目会いたかったけど、それも諦めたよ。俺はもう、君に近づくべきじゃない。

 いま君に働いてる悪い力は、俺が全部持ってくから。

 君はきっと復活するって、信じてる。

 強気だけど本当は優しくて、隠してたつもりだろうけどちょっとだけ少女趣味なとこも、大好きだった。

どうか、幸せに。幸せに、なって下さい。

今まで、ありがとう。夏蓮。




全ての絵をゆっくりと、順番に映し終え、PCを台の上に戻した。


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