第171話 夏蓮、覚醒


 目を覚ましてからの三日間程、私は嵐の中に居る様だった。

 いや、実際に台風の真っ只中だったのだが、そういう意味ではなく、情報が次々に降ってきて錯綜し、非常に混乱していたのだ。


 まず、カズが通りすがりの女性を助けて意識不明だと告げられ、翌日には木暮優馬の訃報と陽が行方知れずになっている事を知らされた。

 さらには警察がやって来て、話を聞かせて欲しいと言うのだ。


 なんでも、優馬さんが刃物を持った男に襲われたと通報があり、その犯人の服装とカズの服装が似ていた事、そして事件現場とカズが事故にあった現場が非常に近かったのだと。


 ただ、カズは刃物を所持していなかったし、通報された服装というのもごくありふれた物だったので、警察が本気で彼を疑っている様子には見えなかった。おそらく「人を襲った直後に、身を呈して人を守る」という行動がちぐはぐだから、ということもあるかもしれない。


 私は訪ねて来た警察官に、「何もわからない。思い当たることは無い」とだけ答えた。



 嘘ではない。


 優馬さんの事件と陽が行方不明であること、カズの事故との関連。

 あの日、病院に来た時には普段通りのスーツ姿だったのに、搬送時には何故濃灰色のウインドブレーカーを着用していたのか。

 私が眠った後すぐに病院を飛び出して、どこへ向かったのか。

 カズの携帯電話に陽との通話記録があったらしいが、何を話していたのか。


 薬によって眠っていた私には、何もわからないのだ。



 ただ、ひとつだけわかっていることがある。


 カズが何をしたにせよ(或いは何もしなかったにせよ)、それは私の為だった筈だ。彼が起こす行動はすべて、私の為になることなのだ。



 ベッドの中でメソメソしている場合じゃ無かった。何が起きているのか、私は知らなければならない。



   † † †



「カレンさん、お久し振りです。体の具合は」

「ありがとう、渡辺くん。私は大丈夫。それより……」



 陽の電話には何度かけても繋がらず、次に私は渡辺青年に電話をかけた。

 憔悴のにじみ出る声で語るには、彼の方でも陽と連絡がつかず、困惑しているとの事だった。


 ただ、彼は気になる情報をくれた。

 木暮優馬は予てから、彼のバイト先の探偵事務所に「都市伝説の捜査」を依頼していて、事故の直前に探偵に電話してきたというのだ。

 その電話の内容も知りたかったが、「守秘義務」とかで、アシスタントとして一緒に調べていた彼さえも全貌を教えてもらえないらしく、不平を言っていた。


 ならば、と私は、カズの住所録から木暮優馬の携帯に電話をかけた。



   † † †



 台風一過の空は、これでもかというほど青く美しく、澄み渡っている。


 なのに、木暮優馬はもうこの世にはおらず、カズは昏睡状態が続き、陽は依然として行方不明。何もかも理不尽に思え、夏蓮は苛立っていた。


 車椅子を下ろすのを手伝ってくれたタクシーの運転手に礼を言い、陽のスタジオの扉に向かうと、中から木暮栞がドアを開け迎え入れてくれた。



 電話で既に済ませてはいたが、改めてお悔やみを述べ挨拶を交わす。

 だいぶ前に一度会ったきりだったが、木暮栞は相変わらず聡明で凛とした女性だった。少しやつれて涼やかな目元に疲れが見えたが、取り乱した様子ではなかった。



「……まだ、実感が湧かなくて。やらなきゃいけないことがたくさんありますし。いえ、どのみちここも整理しなきゃいけなかったので、丁度良かったんです」


 大変な時に妙なお願いをしてしまったことを詫びると、彼女は理知的な目を少し伏せ微かに点頭した。



「こちらが、探偵に依頼していたという捜査のレポートです。コピーなので、どうぞお持ちください。それと、陽くんの自室を写真に撮ったんですが、ご覧になりますか?」


 階段を登れない夏蓮のために、写真を撮っておいてくれたのだろう。

 プリントアウトした写真を見る限り、陽の部屋は以前と変わっていない様子だった。描きかけの絵もそのまま、生活感に欠けているのも同じだった。


「陽くん、短い時間で色々と整理をつけてから失踪したみたいです。自分の全ての現金預金は天本夫妻に、未完のものを含めた今ある全ての作品、会社としての資産、全ての権利を私に譲る手続きを済ませてありました」


「陽が……?」

 意外に思ったのが、そのまま声に出てしまった。


「会計関係でお世話になっていた事務所に一任したそうです。それと、もうひとつ……陽くんの部屋にありました」


 手元のバッグがら取り出された小さな封筒には、特徴的な陽の字で「夏蓮へ」とだけ書かれていた。

 中に入っていたのは、キーホルダーだった。夏蓮のピアスとお揃いの、ダイアモンドとエメラルドで作ったキーホルダー。


 心臓がギュッと縮んだ気がした。



 やめてよ、こんなの。これじゃまるで……形見みたいじゃない。


 動悸がして、夏蓮は思わず大きく息を飲み込んだ。



「……片付けがあるので、私はもうしばらく残りますが」


 柔らかい声に顔を上げると、労わるような目で栞がこちらを見守っていた。


「その資料、今ここでご覧になりますか?」


 有難く甘えることにすると、彼女は静かに頷いた。


「私も読みましたけど……なんだか不愉快な内容でした。子供じみたオカルト話。馬鹿馬鹿しい。私はこんなもの、信じない」




 この資料のことになると、彼女は少し怒っているように見えた。


 受け取った資料を読んでみて、彼女の気持ちがわかった。一見、ただのくだらない都市伝説だ。


 だが。



 夏蓮には、思い当たることがあった。



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