第164話 特性、力、対価


「そんな……何故、そんな」


「当然のことだ。其の者が最も大切にしているものが代償として支払われる。考えてみたまえ。例えば、借金のカタにするなら、大きく手堅いものから持って行く方が取りっぱぐれが無いだろう?」


「でも、陽はそんなこと知らなかった。何も知らせずにそんな仕打ちをするなんて、詐欺じゃないか。当たり屋同然だ」


「……ふむ。人をヤクザ呼ばわりしたことは不問にしよう。まだ混乱しているのだろうからね。何度も言うが、そのシステムを作り上げたのは君達自身だよ。私には責任が無い」



 頭が、胸が、焼け焦げるように熱くなる。燃えるような怒りに体を震わせ、優馬は咆えた。


「理不尽だ!」



 老人はそれを軽く去なし、空惚けた風を装う。それが尚更、優馬の怒りを誘う。


「どこがだね? 君たちは自らのエネルギーを餌として彼に与え、彼は餌を喰らって芸術を生み出し続ける。後世に残る芸術をね。実に美しい。みんなハッピーだ」



……なにがハッピーだ。こいつが何者か知らないが、絶対に気が狂ってる。ただの狂人だ。


 ギリギリと歯軋りをしながら、優馬は荒ぶる呼吸を必死に整えた。


 まだ、聞かなきゃならないことがある。




「……お前の言うことが本当だとして。ひとつおかしな事がある。何故、俺はなんともないんだ?」


「ふむ。実は、先ほどから気付いていたんだが……」

 もったいぶった前置きと共に、老人は目を眇めた。


「貴殿は、何か見えない力によって幾重にも守られているため、彼の吸収の影響を受けづらいようだ」


 優馬は無意識のうちにポケットを探り、例の神社のお守りを握りしめる。


「ああ、そうそう。ポケットの中の、それだ。だが、私と接触したことで、その護りも徐々に薄くなっている。これ以上私に近づかないほうが良いのでは?」


「言われなくてもそのつもりだ。二度と俺たちに近づくな」

「ずいぶんなご挨拶だ。礼のひとつもあって然るべきかと思うがね」


 ポケットから取り出したお守りを突きつける優馬を、老人は小馬鹿にした様に鼻で嗤った。


「陽から手を退け。そんな力、陽には要らない」

「それは無理だ。彼の紋章は既に堅く結びついている。貴兄や周囲の者たちの惜しみない好意によって、深く、強く、分かち難く」


「紋章って何だ?! あの痣のことか! あれを消せばいいのか」

「無駄だよ。あの痣は、ただの印。私がつけた目印だ。消しても力は失われない」


「ふざけるな!」

 老人に飛びかかり胸ぐらを掴む、筈だった。が、老人が面倒臭そうに杖を一振りしただけで、優馬はふわりと転がされ電柱の下のゴミ溜めに突っ込んだ。


「乱暴は良くないな。美しくない。私はそろそろお暇しよう」


 老人は一歩も動かず、顔だけを優馬に向けた。優馬は老人を睨みつけながら立ち上がろうとするが、ゴミが邪魔をしてなかなか抜け出せない。


「では、最後にもう一度聞こう。……貴兄は何を欲する?」


 ステッキで帽子のツバを僅かに持ち上げるその口元には、狡猾な笑みが滲んでいる。

 自由に動けぬ苛立ちをぶつけるように、優馬は怒鳴った。


「黙れ! お前から欲しいものなど何も無い!」



 老人の口元の笑みが濃くなる。


「……かつて、同じことを言った者が在った。美しい少女だったが」

「黙れ! このキチガイが!」


 老人の一人語りを遮り、優馬はもがきながら怒鳴りつける。なんとか立ち上がると、お守りを握ったまま指を突きつけた。


「いいか、これ以上俺たちに何かしたら、絶対に許さない!」


 肩で荒い息を吐く優馬を憐憫の目で眺めながら、老人は微かに頭を傾けた。その仕草は「ご自由に」とでも言っている様で、さらに優馬の怒りを煽る。


 優馬の怒りなど一顧だにせず、老人はゆっくりと背を向けた。不恰好に体を揺らし、濡れたアスファルトに一歩毎ステッキを突き立てながら、雨の中をゆらりゆらりと遠ざかって行った。




 老人の消えて行った曲がり角を睨みつけていた優馬は、強烈な突風にハッと我に返った。お守りを握りしめた右手は力を込めすぎて震え、白く浮き上がった関節の周りは赤紫色になっている。

 お守りをポケットにしまい、腰の周りを軽く払うと、纏わり付いていたゴミが道路に落ちた。


 辺りを見渡すと、いつの間にか手放していた傘が離れたところに転がっている。優馬はゆっくりと傘を取り、震える手で畳みながら、安普請なビルの軒先に避難した。

 壁に傘を立てかけ、濡れた前髪を両手で後ろへ撫で付ける。その眉がうんと険しくなっているのは、頭の中が高速回転しているからだ。

 上体を折って前屈みの姿勢で壁に寄りかかる。両手は頭を離れ、膝を掴んで上体を支えた。



……『力』は、その者の特性により独自の形で顕れる………大きな望みを叶えるには、大きな対価を……




「大きな対価、とは何か。彼にとってそれは、『周囲の人間の幸福』だ」


 先ほどの老人の言葉が、頭の中を駆け巡る。



 あの話が本当だとしたら。俺は、なんてことを……



 ギュッと目を瞑り、食いしばった歯の隙間から小さく呻き声を漏らすと、優馬は徐に体を起こした。ひとつ深呼吸をして、内ポケットの携帯電話に手を伸ばす。



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