第160話 手紙


” 一度バレリーナだった者は、一生バレリーナである ”


 そんな文章を目にしたのは、いつだったろうか。

 五島はそれを読んだ時、なるほど上手いことを言うと感心したものだった。


 そして今、改めてその言葉を痛感している。


 両脚が動かなくなってから、一週間。

様々な検査や治療を繰り返しながら、夏蓮はようやくこの生活を受け入れ始めた様に見える。車椅子への移動や取り回しにも慣れ、すっかり自分のものにしている。


 先の言葉通り、夏蓮は車椅子上にあってもこの上なく優雅で気高く、美しかった。凛として顔を上げ、まるで新たな振り付けを踊っているかの如く、その動きはしなやかで確信に満ちている。

 見舞客への対応も、謁見に応じる女王の様に華やかで落ち着いた態度で、車椅子が玉座に見える程だ。



 そう。

 彼女は今、脚の不自由な女王の役を演じている。


 あれ以来一切の弱音を吐かず、ただ強く、目の前の問題に対処し、努力し、戦っている夏蓮の姿は、五島にはそう見えた。

 女王を演じるのは、現状を受け止め乗り越える、彼女なりの方法であるかもしれない。



 だが一方、大月陽に対する葛藤については、未だ乗り越えられていないらしかった。


 新たな検査を終える度、転院が決まる度に五島から連絡させるのみで、夏蓮自身は動けずにいる。受け取った手紙やメールは何度も読み返し、返事をしようと試みるのだが、いつも途中で止めてしまうのだ。


 一度だけ、夏蓮は笑いながら涙を浮かべたことがあった。


「ごーちゃん、見てよ。これ」


 手渡されたのは、花籠に添えらえれた手紙だ。


” 心を込めて祈りました。君は気休めだと笑うかもしれないけど、受け取って下さい ”

 短いメッセージと共に同封されていたのは、「とげぬき地蔵のお守り」だった。



「こんなの、笑うに決まってるじゃない。ほんとバカなんだから、全く………」


 夏蓮は泣き笑いでそう言うと、布団を被って蹲ってしまった。



 五島は気を利かせて部屋を出たのだが、彼女は長いことそのままで居た。



   † † †


 自分がこれほど狡い人間だとは、知らなかった。

 狡いうえに、弱虫で見栄っ張りの小心者だ。



 本当なら、私から離れるべきなのかもしれない。

 この脚がいつ治るのか、もしくは一生治らないのか。それすら不明な今、私は自分で選ばなければならない。潔く陽に別れを告げるか、さもなくば、支えてもらうかを。


 正直なところ、陽を手放すことは考えられないし、ましてや陽が他の女性と親しくなるなんて我慢出来ない。

 ならばさっさと謝って、思い切り甘えて、頼ればいいのだ。陽なら絶対、受け入れてくれる。


 でも私には、それが出来ない。

 勝手気ままに振る舞うことは出来るのに、弱みを見せたうえで甘えるのがこんなに勇気の要ることだなんて、思ってもみなかった。

 陽を酷く傷つけたくせに謝ることも出来ず、彼の気持ちを素直に受け取ることも甘えることも、挙句には完全に突き放すことすら出来ないのだ。



 そして私は、知っている。

 陽が自ら離れていくことは無いと。あれだけ理不尽な仕打ちを受けても、傷ついた恋人の前から去ることは無いと。


 だから、ごーちゃんに頼んで近況をいちいち報告してもらっているのだ。宙ぶらりんのまま、陽の優しさを利用し、自分の醜さを隠しているのだ。


 もう少し。

 もう少しだけ、待っていて欲しい。

 ある程度、今の自分を受け入れられるまで。焦らず、八つ当たりせずに、陽の傍に居られるようになるまで。あなたに、素直に感謝出来るまで。



 待っていて欲しい、けれど。





 会いたい。


 陽に、会いたい。


 いますぐ、会いたい・・・・・





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