第159話 報告書


 驚くべきことに、似たような噂は古くから世界中に存在していた。ある時は噂話として、ある時は物語、地域に残る伝承として。


 その存在は、非常に狡猾に「対象者」を出し抜き甘言を弄する。


「対価と引き換えに、欲するものを与える」

 そう聞くと、死後の魂を捧げる悪魔との契約を思い浮かべるかもしれないが、その存在はそういったものを求めるとは限らない。

 対象者の望みを叶えるための「対価」が何を指すのかは不明。


 これまでの対象者は社会的に成功を収めたが晩年に発狂したり、幸福の絶頂でいきなり頓死したりと不吉な結末を迎えたとの言い伝えが多く残っているが、あくまでも噂や物語としてであり、真偽は不明。


「対象者」と思われる人々は多種多様で、対象者間に人種性別年齢貧富等の明らかな共通項は見られなかった。また現時点では、上記の件と思われる新聞記事や文書等は見つかっていない。



「その存在」の外見については、時代によって様々である。

 近年では、先日拝領した資料とほぼ同様、「黒づくめ、山高帽に着膨れたロングコート、隻眼に黒の眼帯、銀の取っ手の黒ステッキを持つ老人」であるとされている。

 尚、ステッキの材質についての記載は見受けられなかった。



   † † †



 佐伯からの報告書にはたくさんの資料が添えられていたが、まとめると上記のような内容だった。


 覚悟はしていたつもりだったが、前の仮説との共通点に、優馬は少なからずショックを受けていた。ましてや、世界中に古くから同様の話があるとは。


 しかも。

 あまりにも抽象的であり、優馬の知りたかった具体的な情報はひとつも無いときている。


 優馬としては、除霊とまではいかなくとも、撃退法や、せめて封印の方法のヒントぐらいは欲しかった。

 昔からよくある、口裂け女に「ポマード」みたいなレベルでもいい。それを取っ掛かりにして何かわかるかもしれない。




(とりあえず、引き続き調査しつつ、お祓いに期待するしかないか……)


 優馬は資料の束をファイルに綴じ、デスクの引き出しの一番奥へ隠す様に仕舞った。


   † † †



 陽は弁当に特別な思い入れがあるらしいというのは、前に聞いたことがあった。理由は知らない。


 今まで以上に仕事に没頭している陽のために、栞監督のもと作った豪華特製弁当。陽は殊の外喜び、盛大に平らげた。

 お守りの一件以来、満足げに腹をさする様子を久しぶりに目にした気がする。


「お前、また痩せたろ」

「んー……どうだろ。毎日食べてるけど」

「ちゃんと眠れてるか?」

「寝てるけど……すぐ起きちゃうんだよね。あんま眠くならない」


 優馬の表情が曇ったのを見て、陽はにへらと笑ってみせた。


「そんな顔しないでよ。体調は絶好調。むしろ漲っております」



 小さなダイニングテーブルの上、陽の携帯が小さな音を立てた。手を伸ばしてメールを確認した陽が、振り返って携帯をかざす。


「夏蓮、転院先の病院に着いたって。検査は明後日。車椅子の扱いも上手くなったってさ」


「そうか」



 もう一度メールを読み直すと、陽はパチンと音を立てて携帯を両手で挟んだ。そのまま胸の前で押し潰す勢いで手を組み合わせ、目を閉じる。

 きっと、「頑張れ」と胸の中で応援しているのだろう、と優馬は思った。


 その読みを裏付ける様に、陽は勢いよく立ち上がる。


「よし。俺も頑張る。いっぱい稼がなきゃね」


「お前ね、もうちょっと休めよ。こう、食後の余韻をだね」

「だって、ここ買い上げるんだもん。休んでらんない。ガシガシ描く」



 天本静江の病状は楽観視出来るものではなかったらしく、手術は大掛かりになりそうだった。当然、入院手術費用も高額になる。

 そのために陽は、家賃の前払いなどとではなく、いっそ天本夫妻からこの建物ごと買い取ってしまおうと考えているのだ。


「優馬さんの報酬さえ払えれば、俺は金要らないし。オヤジさんたちだって、お金の心配が無い方が治療に専念出来るでしょ」


 陽は当たり前のようにそう言ったものだ。



 頼もしい言葉ではあるが、優馬は「おい、ちょっと待て」とも思ってしまう。お前はそれでいいのか、それで満足なのかと。



 もし「何のために描くのだ」と聞けば、きっと陽は「描きたいから描く」と答えるだろう。何を今更、とでも言いた気に。


 だがおそらくその頑張りの裏には、不安が隠されている。カレンさんのこと、天本夫妻のこと、そして自分の痣のこと。だから却って仕事に没頭し、不安を忘れよう、払拭しようとしている。

 優馬に心配をかけぬように黙ってはいるが、顔を見ればわかる。元々顔に出やすい質なのだ。



 そんな心理状態でも、陽のことだ。作品に影響が出ることはほぼ無いだろうが……


 早くもキャンバスに向かっている陽の背中を眺めながら、優馬は自分用に取り分けた弁当のおかずを箸の先でつついた。


「お前は仕事に集中しろ」

 陽が余計なことを考え無いように、そう言ったのは自分だが。こう何日も続けて根を詰めるとは思っていなかったのだ。



(……なんでそう、極端なんだ。眠れないってんなら、殴ってでも寝かすぞこの野郎)


 優馬はため息まじりに、鳥の唐揚げを箸で突き刺した。



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栞「人を殴って眠らせるのは、普通、睡眠とは呼びません。それは、昏睡って言うのよ」



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