第158話 不気味な仮説


「お前、それ……」

(怪しすぎるだろ)と優馬は心の中で思わず呟いたが、口に出さなかった。


「……いま思えば、なんか変かも。でも当時はあんまり気にしてなかったんだ。酔っ払って歩いてて、ヘンテコなお爺さんとぶつかりそうになって転んで吐いただけと思って、すぐに忘れちゃった」


 腕組みしたまま、優馬は依然、難しい顔をしている。



「あのさ……」


 怯んだように、陽の声が少し弱くなった。数秒の逡巡の末、優馬の表情を窺いながら呟く。


「俺があの爺さんに言ったことが関係あるなら、いま俺の絵が売れてるのは……その爺さんのオカルトパワーのおかげなのかな?」


「そんなわけねえだろ」

 優馬は即答した。


「お前の絵が認められたのは、お前の才能と実力だよ。決まってんだろうが」


 陽の表情が緩み、わずかに微笑む。

「……惜しいね。俺の才能と実力、優馬さんの商才のおかげだよ。あと、栞さんの協力も」


 それを受け、優馬はへの字だった口の端っこを持ち上げてみせる。


「おう、まあな」


「ならお祓いしても、急に路頭に迷ったりしないよね?」

「当たり前だ」


「……うん」


 心細気なその表情に、優馬は力強い口調で念押しする。


「お前は実力で今の評価を得てる。そもそもオカルトのせいだなんて言ったら、お客さんに失礼だろ?」

「うん」


 真剣な顔で、陽は頷いた。その表情に、優馬は確信する。


「それにさ……お前ほんとは、自信あんだろ?」

「……まあね。ちょっと不安になっただけ」


 バレたか、という風に笑うその顔は、以前よりずっと頼もしく見えた。



 一転、陽は首をひねり胸元を摩りながら、不思議そうに呟く。

「嫌な感じとか、別に無いんだけどなあ……」


「試しにもっかい、お守り入れてみるか?」

「え、やだよ」


 からかい気味に言った優馬だったが、ふと気づいて動きを止めた。



「……お守り? ……なあ、こないだ渡したお守り」

「ん? 鍵に付けてあるよ?」


 立ち上がって作業台に歩み寄ると、鍵の束をじゃらじゃらと振ってみせる。手を伸ばした優馬に、陽は鍵の束を放り投げた。



「……やっぱそうだ。これ、栞の安産祈願のやつだったわ」


 陽はプフゥー……と頬を膨らませてみせ、短く笑った。

「意味無いじゃん」


 構わず、優馬はお守りの中を確認し始める。


「なんともないな」

「いや俺、安産関係無いし。それになるべく直接触らないようにしてたし」



 お守りを元に戻したが、優馬はそれを見つめたままだ。


「……恵流ちゃんとの初詣って、どこ行った?」


「え。えっと……名前忘れちゃった。恵流ん家の近所の、なんとか不動尊とか、そんな感じ」



 優馬はいきなり立ち上がった。スツールがガタンと音を立てる。


「ちょっと調べ物してくる。お前は仕事に戻れ」


「え、俺も一緒に調べる。何したらいい?」

「駄目だ」


 強い口調で即座に否定する。


「でも、俺自身のことなのに」

「締め切り近いのがいくつもあるだろ。お前が描かなきゃ、俺の給料はどうなる」


 そう言われると陽が何も言えなくなるだろうと、優馬はわかっていた。卑怯な言葉だが、今は仕方ない。

 後ろめたさを誤魔化すように、優馬は片眉をヒョイと上げ、安っぽい映画の悪役みたいなニヒルな笑みをこしらえた。


「お前が描いて、俺が売る。お前は絵に集中しろ。他のことは俺に任しとけ」


 諦めた陽が、ため息をつく。


「……わかったよ。じゃあ、お願いします」

「おう」


 鍵束を陽に投げ返し、テーブルの上の絵をくるくると巻いて持つと、優馬はそそくさと靴を履いた。ドアを開けて出て行きかけたところ振り返り、ビシッと陽を指差す。


「集中!!」


 陽は「ああ、ハイハイ」とでも言いたげに、それでも同様に指をさし返す。


「……しゅーちゅーう」




   † † †




 陽を絵に集中させておきたかったのには、理由があった。

 依頼されている作品の納期が近いことももちろんだったが、もう一つ。


 痣と謎の老人のことを考えさせない為だ。

 優馬はある可能性に気づいた。そして陽の意識をそこから逸らす必要があった。



 パソコンを起動する間に、部屋から持ってきた謎の老人の絵を抽斗にしまう。

 咄嗟にこれを持ち出したのは正解だった。陽のことだ。おそらく一度絵に集中してしまえば気を取られる心配は無いだろう。だがやはり、この絵は陽の視界に入れない方がいい。



 優馬は恵流の近所に該当する神社を探した。ほどなくしてそれを見つけ、さらに詳しく検索する。次に、栞の安産祈願のお守りを買った神社。


 調べてみるとそれぞれ、主に「交通安全」と「安産&家内安全」のご利益があるとされる神社だった。

 こちらの神社とそこのお守りは、陽の痣に何も変化をもたらさなかった。



「やっぱりそうか……」


 陽に異変を起こしたのは……2回とも同じ神社のお守り。


 この神社は、「天児屋尊(あまのこやねのみこと)」という古い神様を祀っている。国土安泰から合格祈願まで幅広くカバーする神様らしい。

 それに加え、日本書紀の「天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を、美しい祝詞で誘い出した」という伝説から、「言葉」「言霊」を司るとされている。


 編集者だった優馬は、勤めている出版社の近所にこんな神社があったことに縁を感じていたし、「言葉の力」ひいては「有言実行」の神様と勝手に解釈して、ずっとこの神社を贔屓にしていた。

 陽に渡したお守りも、その思いを込めて購入したものだった。



 先ほど陽から聞いた話だと、謎の老人はしきりに「言葉」「声にして言うこと」に拘っていた。


 それは、契約だったのではないか。

 声に出して願うことで、謎の老人との間に何かが結ばれたのではないかと、優馬は考えたのだ。

 そして、既に結ばれた謎の老人との「声の契約」と、神社の「言霊」の力が反発しあった。


 ということは、あの痣と謎の老人は、確実に関係があるということになる。


 神の力に反発するのなら、それはきっと……悪いものだ。



(……悪魔の力? あの痣は、契約の証?)


 痣が大きくなった分、お守りから受けたダメージが大きくなったのだろうか。



 この仮説が正しければ。

 これまでに陽の周囲で起こった不幸の数々は、偶然ではない。謎の老人と不用意な契約を結んでしまったために引き起こされた不幸である可能性が考えらえる。


(もしかすると、恵流ちゃんの死も……?)



 そこまで思い至った時、優馬はゾッとした。

 陽には絶対に、この可能性に気づかれてはならない。だから無理やり意識を逸らせ、絵に集中させたのだ。


 再来週まで待てば、当の神社でお祓いをしてもらえる。それで上手くいけば、陽は何も気づかないままでいられるかもしれない。

 謎の老人はただのボケ老人で、都市伝説なんて子供の作り話だ。陽が絵で成功したのは実力。連続した不幸はただの偶然。お守りの反応は、そこらへんの低級霊でも引っかかったのだろうという話にして、終わりに出来る。



 むしろ、そもそも優馬の仮説なんて間違いで、本当に何の関係もないかもしれない。


 うん、きっとそうだ。そうに違いない。


 この不気味な仮説が杞憂であることを、優馬は強く願った。



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優馬「集中!(σ* ゚ー゚)σ」

陽「……しゅうちゅーう(σ´□`)σ」


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