第157話 あの日の回想
「都市伝説、って。優馬さん、そんなオカルト、まじで信じてんの?」
「……お前ね。あのお守り見て、オカルト以外の何があるんだよ」
陽の描いた絵を前に、ふたりは険しい表情で腕組みしていた。
「鳥居の前で具合悪くなったってことは、やっぱ何かに憑かれてんじゃないか?」
「あれは熱中症になりかけただけでしょ、休んだら治ったし。それに今まで、修学旅行や遠足で神社仏閣色々行ったけど、何とも無かったよ?」
ふーん……と、優馬が唸る。
「最近行ったのは?」
「えっと……恵流と、初詣に。Takさんとこの壁塗るちょっと前だね」
「っていうと……その爺さんと遭遇して痣が出来たのが12月半ば、そのちょっと後で初詣。2年半前ぐらいか」
陽は頷きつつも納得出来ないという顔をしているが、優馬はやはり、怪しいと思っている。
2年半前。
痣が出来たばかりの頃、優馬が渡した神社のお守りは痣の辺りにチクチクとした刺激をもたらした。(中の札が黒く変色したのはこの時か?)
そしてつい先日。
痣は大きく広がっており、掻き毟られたと感じるほどの痛みを感じた。真新しいお守りはまたも変色したばかりか、亀裂さえ入っていた。
時間の経過、痣の様子、痛みの変化など、どうも無関係だとは思えないのだ。
また、先日佐伯に渡した資料作りのため色々調べて回るうち、優馬はなんともいえない気味の悪さを感じ始めていた。見えないところで得体の知れないものが蠢いているような感覚。
陽が見たというその男の特徴を検索したところ、ネット上に奇妙な噂がチラホラと見受けられた。
黒の山高帽にロングコート、黒の眼帯、ステッキを持った老人。
帽子を深くかぶっているせいかもしれないが、顔がよく見えなかったということも陽の情報と共通している。
この老人に出会い願えば、望みが叶うのだという。
いかにも胡散臭い、子供達が喜びそうなオカルト話だ。
「でもさ、昔の記事やネットには、痣のことは載って無かったわけでしょ? なら、この痣とお爺さんは無関係かもしれない」
陽はどうしてもオカルトに結び付けられるのが嫌らしい。優馬とてそんな話はご免被りたかったが、現にあんな現象を見てしまっては考えざるを得ない。
承服しかねると言いたげな表情の陽に、優馬は諭すような口調で促した。
「お守りと痣。痣と爺さん……爺さんに会った直後に痣が出来てたわけだろ? もしかしたら無関係かもしれないけど、その辺のこと、一応聞いてみたい。詳しく思い出せるか?」
「えーっと……」
† † †
2年半ほど前の、冬のある日。
恵流と一緒に公園で似顔絵を描いていた陽は、とある学生(後に「宮内」と名乗る)に絡まれ、絵を貶され汚される。
気持ちの収まらなかった陽は恵流と別れ、ひとり深酒してしまった。泥酔して街をふらついていると、いつの間にか見知らぬ薄暗い路地にいた。
絵を踏みつけられた怒りに代わり、徐々に悔しさがこみ上げてきた。
……悔しいけれど、あいつのいう通りだ。確かに似顔絵も楽しいけど、本当に描きたいのは違うものだ。
作品によって賞賛を浴びたいとは思わなかった。ただ、描きたい、と強く思いながら歩き続けていた。
ふと気配を感じ顔を上げたのと、ふわりと体が浮いた気がしたのは同時だった。次の瞬間には、陽の体は道端のゴミ溜めの上に放り出されていた。
一瞬息が止まり、噎せた。うっすらと涙の滲む目をこじ開け見上げると、弱々しい街灯の下にその男が立っていた。
時折途切れ点滅する光は弱々しいといえどそれなりに眩しく、さらに帽子の庇の影に遮られていて、男の顔はよく見えなかった。
「いい目をしている。強い欲求を持った、強い瞳だ」
嗄れた低い声が降ってくる。
噎せてケホケホ言っている陽を見下ろしながら、ゆらりと一歩、近づく。
ステッキをつく小さな音が、コツ、と響く。青白い光を着ぶくれたロングコートが遮り、男の影が陽を飲み込もうとする。
「だいぶ酔っているね」
男は手を差し出した。乾いた枯れ枝の様な萎びた手が、陽を引き起こす。
「……すみません、飲み過ぎたみたいです。怪我は、ありませんか?」
コートの袖口で口元を拭いながら陽が詫びると、男は首を振った。
「いや」
「……よかった」
「すみません、ありがとうございました」と再び頭を下げて離れようとした時、男が言った。
「君の願いは、何だね」
「え?」
立ち止まり振り向いた陽に、男はさらに言った。
「そんなになるまで飲むからには、何かあったのだろう。君の、願いは?」
「……」
「言ってみなさい。口に出せば、思いは強くなる。強い思い、意志こそが願いを叶える」
「俺……俺の、願い……」
視界がぐらりと揺れる。ふらつく足を踏ん張るが、なかなか真っ直ぐに立つ事が出来ない。頭がぐわんぐわんと回っている様だ。
思わず目を閉じ、すんでのところで吐き気を堪えた。
再び目を開くと、目の前に、男が立っていた。ほとんど鼻先が触れそうなほど、近くに。
「言いなさい。声に出して」
生臭い悪臭が漂い、黒革の眼帯で覆われていない方の眼が、ぬらりと光った。
「……絵を、描きたい。自分の中の全てを、描ききりたい」
頭の中に浮かんでくる様々な絵を、あの風景を、光景を、思う存分描きたい。一心不乱に余すところ無く全精力を傾け、描き上げたい。
見るの者の心に刻まれ一生消えることのない作品を、血を絞り出し細胞を潰し魂を叩きつけるほどの情熱で。
ほんの一瞬、酔いを忘れさせるほどの強い思いが、陽の声に力を取り戻させた。
「俺は、絵を、描きたい」
「……心得た。君はそれを叶えるだろう」
繰り返した陽の言葉にニンマリと笑った老人は、左手で握ったステッキを上げ、鈍く光る銀色の取っ手を陽の胸に軽く押し当てた。
途端に吐き気がこみ上げ、陽は弾かれた様に飛びすさった。
ぶち当たった壁に手をついて、涙を流しながら何度も吐き、やがて胃の中のものを全て吐き尽くした。
胃液さえ出なくなってもなお続く吐き気がようやく治まり顔を上げると、老人は既に姿を消していた。
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陽がおじいさんと出会った時のお話は、50話「深夜の電話」に出ています。
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