第156話 中原探偵社
古びた黒い革張りのソファはクッションが薄く、お世辞にも座り心地が良いとは言えなかった。が、目の前のガラステーブルと共によく手入れが施され清潔で、不快な印象は無い。
汗をかいたグラスの中の氷が、カランと小さな音を立てた。
渡辺が妙に緊張した面持ちで来客用のグラスに手を伸ばし、冷えた緑茶を一口飲んだ。
隣に座った男がメモを読み返すのを横目で窺い、かと思うと、向かいに座る優馬に好奇心と心配が入り混じった視線を投げかける。
「おかしなお願いだとはと承知しているんですが、是非。噂の内容や成り立ち、その出処などを、出来るだけ詳細に知りたいんです」
「都市伝説、ですか……」
柔らかな物腰のその男は、佐伯と言った。渡辺青年がアルバイトをしている「中原探偵社」のエース、らしい。
「黒の山高帽に、サイズ大きめな黒のロングコート。黒革の眼帯、銀色L字型持ち手のステッキ。持ち手は年季の入った銀色で、細工が施されており、杖本体はおそらく黒檀……身長は170センチ前後、痩せ型の老人、と。ふん、これは興味深い」
「今どき山高帽なんて、なかなか見ませんよね」
優馬に紹介を頼まれての依頼とあって、若干興奮気味の渡辺が意気込んで頷く。
「ええ、それもそうなんですが。都市伝説にしては、妙なところでディテールが細かい。黒檀、なんて普通そうそうわかりませんよ」
優馬は少しひやりとした。
依頼の手前、あくまでも「都市伝説の調査」としてあるので、陽が実際に見た情報だとは知られたくなかった。
どんな細かい情報でも思い出せと言ったのは優馬だったが、元・木工職人の陽の鑑定眼を意外なところで発揮してしまい、少々焦ったのだ。
本当は、陽はその老人の特徴を絵に描いていた。が、それを見せれば、陽が実際にその男を見ていることがばれてしまう。
「大月さんの次の作品は、この都市伝説がテーマなんですか?」
「あー……うん、まあ。未定だけどね」
言葉を濁した優馬に、佐伯が微かに反応した。とはいえ、ほんの一瞬瞬きが遅れた程度のことだったが。
「渡辺君。依頼内容以外の詮索は、禁物です。申し訳ありません、木暮さん」
頭を下げる佐伯に倣い、渡辺も「すみません」と小さな声で言って頭を下げた。
「いえ。えーと、そちらの資料……」
優馬が指し示した書類を手に取り、佐伯は表紙をめくった。
「先ほどお話しした、以前ティーン誌で取り上げられたいくつかの記事とその周辺資料、それとネットで拾った情報をまとめてあります」
感心した様に小さく唸り、佐伯は資料をめくりながら頷いた。
「ほう、実に分かりやすい。以前は編集のお仕事をなさっていたとか。こちらの記事はその伝で? ……そうですか」
佐伯は一連の資料をひとまとめにし、ガラステーブルの上でトントンと整えた。
「都市伝説の解明。このような依頼は、非常に珍しい」
その言葉に渡辺の表情が不安げに曇り、食い入る様に佐伯の横顔を見つめる。
「……ですが、とても興味深い。出来るだけのことをお調べ致しましょう」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
佐伯は小さく笑い、隣の渡辺を指差した。
「真横で、こんな風に噛みつかんばかりに睨みつけられちゃね。断れませんよ」
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