第155話 異変
「おい! 陽!!」
鳥居を抜けて一目散に駆けてきた優馬の顔は、青ざめていた。
「……具合、どうだ? 大丈夫か?」
陽の隣に腰掛け、顔を覗き込む。陽はなんとか弱々しい笑顔を返し、ほぼ空になったペットボトルを振って見せた。
「うん。水飲んだら、だいぶ楽になったみたい」
「……そうか」
「優馬さんこそ具合悪そうだけど……何かあった?」
預けておいたペットボトルを手渡され、優馬は半分ほどを一気に飲み下す。
「あのさ……お前、何かやった?」
「何かって、なんだよ?」
言いづらそうに口元を拭い、キャップを固く締め直した優馬が、何故かペットボトルのロゴを凝視しながら声を落とした。
「……あの、さっきのお守りさ。中身の札が、真っ黒に煤けてたんだ」
「え………?」
「社務所の人にお守り預けたら、なんか変な顔されて。その場で一緒に中を確認したんだよ。そしたら………なあ、なんか心当たり無いか?」
向き直り顔を覗き込むと、陽は慌てた表情で首を振る。
「無いよ! 中身なんて見たことすら無いし」
「だよなあ……」
「優馬さんに貰って以来、ずっとバッグの内ポケットに入れっぱで」
「ああ、あん時紙袋ごと首から服の中に突っ込んだんだよな、確か」
「うん。しばらくチクチクして大変だった。しかもその後、チョコ無理やり食わされたし」
優馬がフッと吹き出す。
「……そういや、あったな」
「笑い事じゃ無いから」
突然、優馬が陽の手を掴んだ。
「お前、それ……」
陽の手は、無意識に胸の辺りをさすっていた。
「ん? ああ、この辺がさ、チクチクしたなあって思い出して」
「あの時か? 俺がふざけて服の中に突っ込んだ時?」
「うん」
「痣のとこ?」
「え……まあ、うん」
「……それじゃねえか? お守り……」
時が止まり、ふたりは数秒間見つめあった。
「「いやいやいやいや!!」」
ふたり揃って急に身を起こし、あやふやな笑顔を浮かべる。
「だよな! まさかな」
「うん。まさかだよ」
「なあ! こえーよ」
「……」
「……何だよ、黙んなよ! か、帰ろーぜ。暗くなってきたし」
「だね。っていうか優馬さん、気にしすぎだから」
妙にせかせかと、ふたりは歩き出す。
「いや、マヌガッさんがさ、変なこと言うから」
「だからって真に受けるとか」
「お前だってさっき、ちょっと気にしたろ」
大通りに出て安心したのか、「あ」と、優馬が立ち止まった。
「これ。新しいお守り貰ってきたから」
「まじすか」
「なんならまた服の中に……」
「ふざけんな。やーめーろって、ちょっ……」
服の裾からお守りを掴み出し、払い除ける様に投げ捨てる。
「………」
「………」
陽は荒い息をついてTシャツの胸の真ん中を握りしめ、投げ捨てたお守りを凝視している。
「おま……」
混乱に歪んだ陽の表情が、険しくなっていく。
「いま、一瞬……なんか、バリバリバリって……掻き毟られたみたいに」
「嘘だろ………まじかよ」
そろりそろりと、優馬はお守りへにじり寄り、震える指でそれを拾い上げた。
† † †
「いいか? 開けるぞ?」
タクシーの後部座席で、陽が神妙な面持ちで頷くのを確認し、優馬は布袋の中から小さな札を取り出した。
頼りない車内灯に照らされたその小さな札は、書いてあった文字が判読出来無いほど黒く染まっていただけではない。真ん中を斜めに切り上げるように、亀裂が入っている。
見てはいけないものを見てしまったという様に、優馬は急いでお守りを元に戻し、自分のポケットに仕舞った。
「……それ、俺が持つよ」
「いや、いい。明日また神社に納めてくる。それよりお前、痣はどうなってる?」
「もう何とも……どう? デカくなってたりする?」
シャツの裾をぐいと持ち上げ、痣を優馬に見せる。
「……変わらん、と思う。色も形も」
後部座席の様子に、タクシーの運転手はチラチラと怪訝な視線を向けるが、ふたりにとってはそれどころではない。
「……どうしよう」
「お祓い、お祓い頼んできたから! 再来週の週末に予約してあるから、な」
「再来週……」
今日行った神社の神主はいくつかの神社を兼務しているため常駐しておらず、祈祷は再来週まで待たなければならないのだ。
「他にすぐにお祓い出来るとこがあるか探すし、それまではほら……お前、あれだ。カレンさんとお揃いの」
陽はポケットを探り鍵の束を取り出すと、ダイヤモンドとエメラルドのキーホルダーを取り外した。優馬に目配せして頷くと、おそるおそる、首元から垂らしてみる。
息を止めて目を閉じ、服の上からグッと胸を押さえつけた。
「……なんともない」
ほう……と、優馬が盛大に息をつき、シートにもたれかかる。
「……まあ、お守りつっても、ただの宝石だしな。一応これも持っとけ」
ゴソゴソと鞄を探り、自分のお守りを陽に手渡す。
「いいよ」
「いいから持ってろ。気休めだけどな。あ、服ん中には入れるなよ」
言いながら、優馬は陽の手から鍵束を取り当げ、自分のお守りを結び付けた。宝石のキーホルダーを寄越せと示し、それも元どおりに取り付ける。
スタジオの前でタクシーを降りると、優馬はすぐさま自転車に跨った。
「神社のことは俺に任しとけ。お前は、その痣のことについて思い出せるだけのことを思い出せ。些細なことでもいいから。宿題な」
陽が頷くのを見届けると、優馬はなんとか拵えた固い笑顔を返し、ペダルを踏み出した。
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お守りを服の中へ突っ込んだあたりの経緯は、92話「栞(心の声を混じえてお送りします)」に出ています
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