第154話 連鎖


 陽は先ほどから一言も発さず、虚ろな目で呆然と空を見ていた。

 昼間の暑さが残っているにも拘わらず、さすがの優馬も冷たくなった額を摩りながら、沈痛な面持ちをしている。



 依頼されていた3連作を納品した帰り、陽と優馬は久々に連れ立って天本の見舞いへ立ち寄ったのだった。

 そこで知らされたのが、天本社長の妻、静江が夫の見舞い中に過労で倒れ、さらに大腸癌が見つかったということ。現在彼女は、夫と同じこの病院で検査入院中だというのだ。


 静江が「心配をかけるから知らせるな」と言うし、天本もそう思い連絡しなかった。だが、それが裏目に出てしまった。

 せめて優馬にだけでも知らせておけば、ふたり揃って「せっかく近くまで来たから、天本さんの顔見に行こう」などと呑気に見舞いに来ることも無かった筈だ。


 社長の車椅子を押して病室を訪ねると、静江は「この歳になれば、誰だってどこか悪くなる」と笑ってみせた。だが、陽の動揺は抑えられるものでは無かった。




「何なんだよ……」


 静江の病室を出て以来初めて、ようやく呟いた。


「……やっぱ行っとくか? お祓い」

「………」


 優馬の声も、いつもより弱々しい。朝の歩調とは対照的に、ふたりはトボトボと駐車場へ向かった。



 車に乗り込みエンジンをかける頃には、空が暗くなり始めていた。

 空気がやけに湿っぽく感じられる。夕立が来るのだろう。


「そういえば」

 暗い表情の陽が、シートベルトを締める。


「前に優馬さんに貰った初詣のお守り、返してなかった」

「じゃあ、ついでにお焚き上げしてもらうか」


 まず家に帰ってお守りを回収、レンタカーを返却がてら神社へ寄ることに決め、ふたりは病院を後にした。




   † † †




「……っ」


 陽の足が止まった。


「どうした?」


 俯いた陽を覗き込むと、ひどく顔色が悪い。額には脂汗が光っている。



「なんか、気持ち悪い……」

 鳥居の柱に手をついたかと思うと、そのまましゃがみ込んでしまった。

 優馬も一緒になってしゃがみ込み、そっと背中をさする。


「大丈夫か?」


 答えず、陽は顔をしかめ小さく唸った。


「よし。あそこのベンチに座ろう。立てるか?」


 優馬の手を借りてなんとか立ち上がり、支えられながら今来た道を戻る。


「あのベンチ、木陰だからちょっとは涼しいだろ。それに、鳥居の手前には悪霊がうろついてるって言うからな。あんま立ち止まると良くないらしい」


「……そうなんだ。詳しいね」

「おう。田舎育ちのジジババっ子だったからな。よく脅かされたもんだ」


 陽をベンチに座らせると、優馬は傍の自動販売機で水を2本買い、ひとつを手渡した。


「ほら、水分補給」


 頷いてボトルを受け取った陽は、喉を鳴らして水を飲むと大きく息をついた。優馬も陽の傍に座って足を投げ出し、水を飲む。


 人心地つくと、優馬は飲みかけのボトルを陽に預けた。


「お守り納めてくるから、お前はここで休んでな」

「大丈夫、俺も行くよ」

「いや、帰りは歩きだろ? また具合悪くなったら困る。今日はただでさえ、色々あったしな」



 世話になっていた天本夫妻が揃って入院してしまったことは、陽にとって相当ショックだったろう。

 実子こそ持たない夫妻だったが、人情派で腕のいい親方と、如何にも肝っ玉母ちゃん然とした静江の存在は職人たちの親同然だったし、両親を失った陽にとっても心の拠り所だった筈だ。

 その夫妻がいくら強がったところで、天本社長は心細げな様子を隠しきれてはいなかったし、静江さんにしても「何もこんな時に」と悔いているのが透けて見えた。


 彼らを慕っているからこそ、度重なる心配事と不幸がストレスになって具合が悪くなるのも無理はない。



「ついでにお祓いしてもらえるかどうか聞いてくるから、ここでじっとしとけ」

「……わかった。お願いします」


 陽の手から紫色の小さな巾着を受け取り鳥居へ戻ると、優馬は軽く一礼して鳥居をくぐり、奥へと消えて行った。



______________________________________



陽「優馬さんって、意外と信心深いよね」

優馬「まあな。子供出来てから特にな……」



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