第153話 ジレンマ

 もう、何度目になるだろう。陽からの手紙を、私はまた読み返した。


 メールではない。手書きの、手紙。年賀状やビジネスレター、礼状などではない、心のこもった温かい手紙。


 改めて陽の直筆文字を見てみると、訓練された達筆ではないけれど、素直で読みやすく、力みや余計な飾り気のない文字だ。彼の人柄をよく表している、と思う。

 書いてある内容も同様だ。率直でありながら、思いやりに溢れている。「美辞麗句」という言葉は、陽からかけ離れているどころか、真逆に位置するものだと思う。



「ねえ、ごーちゃん」


 ああ、まただ。ここ数日、私は「カズ」ではなく、「ごーちゃん」と彼を呼んでしまう。無意識に、子供の頃のように。


 彼は気にすることもなく、普段通り「うむ」みたいに唸った。



「私あの時、『こんな脚で、どう踊れって言うのよ』って言った?」


 彼は初めて、PCの画面から顔を上げた。ほんの数秒、動きを止めたがすぐに、「ああ。そうだったな」と微かに頷いた。



「陽がね、” その言葉が、とても私らしい ” って」

「……そうか」

「うん」


 折りたたんだ手紙を封筒へ戻し、ギュッと胸に押し当てる。手紙を読み返すたび、胸が喜びで熱くなり、後悔で苦しくなる。




 夏蓮は、「こんな脚で、どう踊れって言うのよ」って言ったよね。「踊れない」とは言わなかった。

 その時はわからなかったけど、時間が経ってみて、とても夏蓮らしい言葉だと思った。夏蓮の心の中には、踊りへの強い思いがある。諦めてない。

 もし、足が元どおりにならなかったとしても、君はいつか他の表現方法を見つけると思う。


 俺も同じです。

 もし両腕を失ったとしても、俺は絵を描くと思う。足の指や口で筆を咥えてでも、描くのを止めないと思う。



 辛いだろうけど、きっと乗り越えられる。

 俺はずっと、傍に居ます。夏蓮が嫌じゃなければ、いつまでも一緒にいさせて欲しい。





……まるで、プロポーズね。


 少し前までの、あの自信なさげな陽とは別人みたい。絵の中にこっそりと願掛けを描き込んでいた、あの頃の陽とは。

 でも、「一緒に乗り越えよう」などと安易に言わないところは、やっぱり陽らしい。強引に手を引くのではなく、私自身を尊重し応援しながら寄り添ってくれると感じる。



 陽に、会いたい。


 陽に、会いたい。


 陽に、会いたい。




 でも、会うのが怖い。また酷いことを言って傷つけてしまいそうで。


 装わず閉じ込めずただ其処にある、まるで生まれたてみたいな、あの無防備な魂を。



 陽の側にいると、自分の魂まで浄化されていく気がしていた。

 胸の中を綺麗な水が通り抜けて、いつの間にか溜まっていた澱が流れ去ったみたいに、心がスッキリする。肩の力が抜けて背中が軽くなるのだ。


 自然体、というより、もはや自然の一部といった様子でありのままに生きている彼を見ていると、自分がいかに飾り立て虚勢を張って生きてきたかを思い知らされる。


 もちろん、それは悪いことじゃない。私にはそれが必要だったし、自分が好きでやってきたこと。改める気なんてさらさら無い。きっとこれからも、私はそうやって生きてゆく。


 私はどこまでも私なのだから。




 だけど。


 美しく武装した私が動けずに踠いている間、陽は変わらずに素晴らしい作品を描き続ける。一切の虚飾も纏わず無防備なまま、指先で美を紡ぎ出す。


 私が留まっている間に、陽はどんどん先へ行ってしまう。

 私は暗闇の底へ、陽は光の向こうへ………



 私のために絵を止めて欲しいなんて、思ってはいない。それは本当だ。素晴らしい才能は遺憾なく発揮されるべきだし、何より私は陽の絵が大好きだ。


 でも、それでも。どうしても。

 羨ましさ妬ましさ、焦りを禁じ得ないのだ。悔しくて悔しくて、仕方ないのだ。



 陽の才能が素晴らしければ素晴らしいほど、陽が優しければ優しいほど、そして陽を愛すれば愛するほど。


 私の心は見苦しく悲鳴をあげ、穢らわしい血を流し、醜い色に染まっていく・・・・・



______________________________________



夏蓮「頑丈であるほど、鎧は重たいの。そして美しく研ぎ澄まされているほど、扱いを誤れば自分自身をも傷つける……」


五島「今は丈夫で軽い材質もあるが」

夏蓮「ちょっと黙ってて」

 

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