第152話 菅沼の不安
ちょっと気になることがある、と芹沢から電話があったのは、帰国から2日後のことだった。
「すみません。急な帰国だったんで、土産とか買う暇なくて」
「そんなのどうでもいいってば。それより煌月カレンさん、大変だったわね」
「ええ」
「でさ。実はね、スガヌマが煩いんだけど……」
久々に陽と対面した取材の日以来、カメラマンの菅沼が騒いでいるのだと言う。
現在の陽は、少し前に会った時と纏っている雰囲気が違う。陽は陽だけれど、何かがおかしい。このAF-S 400を賭けてもいい。
あの日500枚以上撮った写真を見てみると(撮りすぎじゃないか? と優馬は思った)、胸のあたりを掴む様な仕草をしていることが多いのがわかる。体の具合が悪いんじゃないのか。じゃなきゃ、天本さん、煌月カレンと不幸が続いている今、お祓いに行った方がいい。いや、絶対に行くべきである!
「……ってさ。知っての通り、あいつ普段はお祓い云々とか言うタイプじゃないじゃない? 初詣すら面倒くさがるぐらいで」
「ですね……」
「実を言うと、私も気になってたのよ。あの日最初に顔見た時、雰囲気がだいぶ変わったなって思ったの。でも、木暮くんが入って来てすぐ、その違和感も気にならなくなっちゃったんだけどね。単に痩せたせいかな、って」
「うーん……毎年の健康診断では、異常無いんすけどねえ」
「私も気にしすぎだとは思うだけど、あの変態カメラ野郎があんまり煩いから、さ。変なこと言ってごめん」
丁重に礼を言って電話を切った後、優馬はふと思い出した。
夏蓮の見舞いに行ったあの日、ベンチから立ち上がれなかった陽に、異常なほど焦りを覚えたことを。
「動けないってオイ! 大丈夫か?!」
「うん……ずっと同じ姿勢でいたから痺れちゃって……あ、触らないで」
一瞬で全身の毛穴が開くほど驚いた反動から、優馬は怒りの鉄拳を陽の背中に見舞った。
「ばかやろう! ビビらせんじゃねえ!」
「うああっ! 響く! 足に響くからぁ……マジ、マジでヤメテって」
「黙れ」
優馬は無理やり足を抱え上げ、悶絶する陽を無視して力づくで足首を反らし、曲げ伸ばしさせ、強制的に痺れを治したのだった。
コントの様な流れで終わったためにその後すっかり忘れていたが、確かに一瞬、不幸の連鎖という概念が頭をよぎったのだ。
優馬はパソコンをスリープ状態にして店を出ると、外階段を駆け上がった。ノックもせずにドアを開け放つ。
「陽! あの痣、どうなった?」
「え、なに急に。ってかビビんだけど」
汚れた布で筆先を拭っていた陽が、驚いて固まっている。
「痣だよ、痣」
性急に靴を脱ぎツカツカと詰め寄ると、陽のTシャツの裾をぐいとめくり上げる。
「うお、何だよ」
「何だこれ、デカくなってんじゃねえか!」
「ん? うん」
「うん、じゃねえ! 大丈夫なのか? これ」
初めに相談されてから2年ほど経った真紅の痣は、いまや大人の手のひら大の面積にまで広がっていた。
「なんともないよ。何度か大きい病院で診てもらったし、痛くも痒くも無いし」
「だってお前、これ……」
心配そうに眉を寄せ痣を観察する優馬に、陽は無抵抗ながらも、絵筆の軸先で二の腕の内側のホクロを指し示した。
「これ見て。このホクロ、滲んでるでしょ。これ、元は普通のちっちゃいホクロだったけど、大人になるにつれて滲んできたんだ。今、だいぶ広がってるでしょ。直径5ミリぐらい?」
「いや、元を知らないからわからんけど」
「子どもの頃はさ、優馬さんのアゴの下のホクロぐらいだった」
優馬はキョロキョロとあたりを見回し、洗面所へと走った。電気をつけ、顔を仰向けて、ホクロを鏡で確認する。
そういえば、あった。普段気にすることなど無かったので忘れていたが、サインペンで突いた点ぐらいの、くっきりとした小さなホクロが。
釈然としないまま戻ってきた優馬に対し、陽は平然としている。
「単に、痣・ホクロ広がり体質なんじゃね?」
「そんな体質あんのか」
「知らないけど」
新しい色を筆に取り、絵の続きを描き始める。
「で? なんで急に?」
「いや、マヌ……菅沼さんがさ。お前の、胸の真ん中を抑えるみたいな仕草を気にしてたらしくて。そういや、よくやるよなって思ってさ」
「ああ……これ?」
陽は優馬に向き直り、みぞおちの上あたりに手を当てた。
「この辺触ると、なんか落ち着くし集中できるんだよね。無意識だったけど、癖になってんのかな」
「触りすぎてデカくなってるとか?」
「マジか、それは痛烈な盲点。可能性はあるかもね」
さほど気にする風もなく、新しい色を調合し塗り始める。
「まあ、問題無いならいいんだけど。菅沼さんがさ、悪いことが続いてるからお祓いに行けとまで言い出したって」
「お祓いぃ? いや俺、オカルトとか信じてないし。でもちゃっかりお守りは持ってるから、大丈夫」
陽が指し示した先、作業台の上には鍵の束があった。いくつかの鍵と共に、ダイヤモンドとエメラルドで出来たキーホルダーが付けられている。先日の夏蓮の誕生日プレゼントにとピアスを購入した際、お揃いにしようとねだられたものだった。
ダイヤモンドとエメラルド。それぞれ、アポロンとヴィーナスの守護石だ。
「お守りねえ。カレンさん怪我したし、効いてねえじゃんか、それ」
「効いたから生きてるとも考えられる」
陽は絵から片時も目を離さず、描き続ける。
「ポジティブだな。そういや、カレンさんから手紙の返事きたのか?」
「ううん。でも、五島さんからメール来て、ちゃんと読んでくれたって。毎日何度も読み返してるらしいから、少なくとも迷惑ではなかったと思う」
「そうか……」
「夏蓮が呼んでくれるまで、大人しく待つよ」
「おう」
「藤枝さんからもせっつかれてるし、色々描きながらね」
……こいつも随分タフになったもんだ。
恵流ちゃんの死を知った時のことが思い出される。
あの時の陽は、絵を描くこと自体に縋り付くようにして描き上げることで、理不尽な不幸と無理矢理に折り合いをつけた。極限状態にまで自分を追い込んだのは、感情の持って行き場が無かったことに加え、彼女の異変に気づかなかった自分への罰なのだろうと、優馬は推測していた。
そして今は。
絵を描くことに慰めを見出しつつも、きちんと自分の足で立ち、自分の中で感情を整理出来ている。
「それでもとにかく、生きててくれてよかった」
病院の庭で聞いた、陽の言葉を思い返す。
本当に、そうだ。生きていてくれて、良かった。
(あの時、もしカレンさんが……)
ふとそんな思いが浮かび、優馬は急いでそれを振り払った。全く、縁起でもない。
その時、陽はどうなってしまうのか……そんなこと、考えたくもなかった。
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陽「優馬さん、大丈夫? 息上がってるみたいですが。ほら、ここ座んなよ。ホクホクだよ?」
優馬「それを言うならホカホカだろ。つーか、お前のぬくもりつきの椅子なんてヤダね」
陽「えー、階段ダッシュが厳しくなってきたお年頃の優馬さんのために、わざわざあっためておいたのにぃ」
優馬「……お前、なんかムカつくな! (人が心配してんのに……)」
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