第145話 妖怪甘党ジジイ
旅行のお土産を渡すからと呼び出された渡辺は、分厚いガラスの扉に手をかけた。
7月も半ばを過ぎればすっかり夏の陽気で、ようやくクーラーの心地よい冷気を浴びられる。そう思ったのも束の間、扉の向こうから吹き出してきた冷気には、甘ったるい香りが含まれていた。
「やあ、いらっしゃい。わざわざ呼びつけちゃって、悪いね」
「いえ、とんでもない」
カウンターの上には色とりどりの包み紙が雑に丸められ、店内は甘い香りで満たされている。
「やっぱさ、色んな味も美味いけど、結局プレーンなこしあんが最強だな」
「優馬さんったら、いくつ食べるのよ。見てるこっちが胸焼けしそう」
「だよね。甘党にも程があるって。栞さんたちの分、無くなるだろ」
「大丈夫。ちゃんと確保してある」
幸せそうにもみじ饅頭を頬張る優馬を、陽と夏蓮が呆れ顔で眺めている。
充満する甘い匂いに、渡辺はわずかに鼻に皺を寄せつつ慣れた仕草でカウンターの向こうへ回り込んだ。
「麦茶いただきますね。あ、優馬さんおかわりは?」
「おう。さんきゅ」
トポトポと麦茶を注ぐ渡辺に、陽が小さな紙袋を差し出した。
「渡辺君は甘い物に好みがあるから、これ。広島のお好み焼きせんべいと、優馬さんからは牛タンジャーキー」
自分の嗜好を陽が覚えていてくれたことに驚き感激しながら、渡辺は包みを受け取り礼を言った。
渡辺は生クリームが苦手で、一番の好物は某ケーキ店のアップルパイだ。
以前インコのピロちゃんを観察しに、陽が自室を訪れた際に手土産として持ってきてくれたものだ。
一度も話題に出していないにも関わらず、優馬が自分の好物を指定してきたと聞かされ、渡辺は少なからず驚いたものだった。
が、後にその理由を聞いて、さらに驚くことになった。
渡辺が絵を購入した時に財布を開けた際、たまたまそのケーキ店のメンバーズカードが見えたことと、その後も時おりその店のアップルパイの香りを漂わせていたことから、優馬が看破したのだという。
当時、優馬の観察眼と嗅覚の鋭さに若干引いたのを思い出し、渡辺はクスリと笑った。
「今この部屋、空気が甘味に染まってるから、家に帰ってからいただきますね」
「あー、どうもすいませんね。スイーツ王子なもんで」
「ウエ、王子だって。オヤジの間違いだろ。いや寧ろ、妖怪甘党ジジイだ」
陽の言葉に吹き出した夏蓮が、わざとらしい裏声で叫びながら陽の肩に取り縋る。
「きゃあ、怖い! 妖怪甘党ジジイだわ! 陽、助けて」
陽はカウンターの上に散乱した包み紙をぎゅっと丸め、優馬に投げつけ始めた。
「えい! あっち行け! 甘党ジジイめ!」
優馬は投げられた紙つぶてを物ともせず、陽と夏蓮に向かっておどろおどろしく両手を差し伸べた。
「おまえも甘党にしてやろうかああああ」
「いやあああああ!」
大人達の馬鹿馬鹿しい遊びに苦笑いしながら、渡辺は床に落ちた紙つぶてを拾い集め、ゴミ箱へ捨てる。
「いいですね、妖怪甘党ジジイ。キャラクターになりそう」
「あはは。触れた食べ物全てが甘いお菓子になって、抱きつかれると甘党になるのね?」
陽が急にニカっと笑い、カウンターの端へ手を伸ばした。すかさず優馬がペン立てを取り上げ、陽に手渡す。
サインペンを選んだ陽は辺りを見回すと、渡辺の背後を指差した。
「渡辺くん、その紙袋、いい?」
3人が覗き込む中、陽はサラサラと淀みなく線を描いてゆく。
ふわふわしたくせ毛とちょっぴり猫背気味な特徴をうんとデフォルメした妖怪が、板チョコとソフトクリームを両手に掲げている。
顔の横の吹き出しには、「辛い子はいねぇがあああ」と書き込まれていた。
「ねえ、これって、からい? つらい?」
「両方。カライとツライをかけてみました。からい物好きな子もツライ子も、みんな甘党にしちゃう」
「あら。なんかちょっと良い妖怪っぽいわね」
「ツライ時に甘いもの食べると、癒されるらしいしな。俺、癒し系妖怪?」
「でもさあ、糖尿やメタボの人が増えそうだから、長い目で見たら悪い妖怪じゃね?」
くだらない会話の間にも、イラストは細部を書き込まれ陰影が足され、完成度を増してゆく。
渡辺は感動で胸を詰まらせながら、その光景をじっと見ていた。
「出来た」
満足げに呟いた陽は、だぶだぶのパンツのポケットから小さな皮革のケースを取り出し、指先で中を探る。
ケースから印鑑を取り出すと、イラストを描いた紙袋の片隅に、慎重に判を押した。
「はい、これ」
絵を描くために一度取り出した土産を再び戻し、紙袋を差し出された時、渡辺はほとんど泣きそうだった。
「いいんですか? ほんとに? ……すげえ……」
両手で押し頂くように紙袋を受け取ると、涙で潤んだ目でイラストを見つめている。
「いや、ただの思いつきの落書きだから。そんな……」
渡辺の反応が予想外だったのか、陽は急にそわそわし始めた。
「だってこれ、優馬さんが描いてあるし……大月さんが優馬さんを描くとこ生で見れて、しかもそれ貰えるとか、すごいレアだし……」
「それは俺じゃなくて、妖怪甘党ジジイです。あくまでも」
そう言いながら優馬は渡辺に忍び寄り、ちゃっかりイラストを写真に収めた。
夏蓮はなぜか、とても嬉しそうに微笑んでいる。
「ちょっと渡辺くん、どんだけ陽のこと好きなのよ。私の陽は誰にも渡さないわよ!」
楽しそうに笑いながら陽の肩に縋り付き、とびきりのウインクを飛ばす。
「え、ちがっ! そういうんじゃな‥‥」
夏蓮の発言か、もしくはウインクに動揺したのか慌てふためく渡辺の弁明を遮り、優馬も負けじとカウンター越しに陽の腕にしがみついた。
「渡さないわよ!」と下手くそなウインクを飛ばしてくる。
肝心の陽はといえば、両側から引っ張られグラグラと揺れながらもがいている。
「ぐあああ、優馬さんうざー」
「ウザイって言うな」
「うざ~ & キモ~」
「うふふふ」
仲良くじゃれ合っている3人を前に紙袋をしっかりと抱えながら、胸の中がほっこりと暖かくなっていくのを渡辺は感じていた。
それは、さっき言った理由だけではない。
「ツライ自分」に「甘い物で癒してくれる妖怪」の絵をくれた。その意味を、じんわりと理解したからだった。
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