第140話 五島の懸念、再び
「そんな大変な時に傍に居てあげられなくて、ごめんね……」
耳を疑うような夏蓮の言葉に、五島の眉がピクリと動いた。
スカイプの画面からも窺えるほど気落ちした陽を気遣ってのことだろうが、五島にはそれ自体が信じられない事だった。
「他人の不安」を共有したり、ましてや傍に居られないからといって謝ったりなど、以前の夏蓮なら有り得なかったからだ。
もちろん、同情や心配する気持ちはある。ただ、「それはそれ」として、「不安というものは、基本的に個人で解消すべきもの」というのが、彼女の考え方だった筈だ。
実際、夏蓮自身はそうしてきたし、友人たちや今までの交際相手にもそう接して来た。そしてその姿勢は、五島にとっても同意出来る、いや、むしろ賞賛すべきものだった。
それなのに。
甘やかすのもいい加減にしろと言いたくなるのを堪え、五島は引き続きふたりの会話に耳を傾ける。
スカイプでなく電話で直接喋ってくれれば、こんな会話を聞かずに済んだのだ。時々、文明の発達を呪いたくなる。
大月陽の恩人である天本良治が負傷し現在入院中だと聞いたのは、つい先刻のことだ。まだ意識は戻らないが、手術費用を工面出来たので、これから大掛かりな手術の準備が始まるらしい。
大月陽がその費用を提供したらしいが、なかなか受け取って貰えず、結局家賃をまとめて前払いする、という格好になったのだとか。
独立してからこれだけの短期間で、それなりの金額を捻出出来る木暮優馬の経営手腕には感心する。また、大金を惜しげもなく提供しようとする大月陽の決断力と心意気も、まあ、評価しないでもない。
だが正直なところ、「知った事か」というのが本音だった。
優馬の情報収集の能力だとか、資金援助を固辞する天本静江を如何に説得したかなどという話には興味がないし、そもそもこちらには関係無いのだ。
恩人の不幸に不安なのだろうが、大月陽はさっきからペラペラと喋りっ放しだ。おかげでこちらの打ち合わせが進まない。大事な舞台を控えているというのに迷惑極まりない。
夏蓮も夏蓮だ。
画面に映る大月陽の頭を今にも撫でんばかりの態度。
なにが「あんないい人だもの。きっと大丈夫よ」だ。いつからそんな無根拠なくだらん慰めを言う様になった?
苛ついて腕時計に目をやると、驚いた事にまだ10分程しか経っていない。
もう1時間も聞いているかの様な気がしていたのに。
(……自分で思っていた以上に疲れているのかもしれないな)
たしかに、今手掛けている舞台と次の演目の準備を並行して進めているので、最近とみに忙しくなっていた……
と、そこまで考えて、五島はさらに苛つくことになる。
何故なら、今回の舞台と次に構想している演目の両方とも、大月陽の絡んだものだったからだ。
既に高い評価を得ている、光の点の群れを相手に踊るという演出。
そして次作の、天井から吊った布を用いたエアリアルと呼ばれる空中パフォーマンスで、大月陽の描いた不死鳥を演じる構想。
いや、いいんだ。
舞台自体は素晴らしいものになるだろうし、途切れること無く素晴らしい作品を発表し続けられるのだから、本来なら感謝するべきところだ。
だが。
「道を開けよ」と一言、周囲がこぞって道を譲り、そのど真ん中を闊歩する様に生きてきた夏蓮が、そしてその従者である自分も、大月陽に振り回されているようで、それが気に入らない。
単に慣れていないだけかもしれない。ただ、なんとなく調子が狂うのだ。
放っておけばほとぼりも冷めるだろうと思いつつ、もう2年になる。そろそろ目を覚ましてもいい頃だろう。
夏蓮を道の真ん中に戻さなければいけない。
幼い頃から積み重ねた努力と、不屈の闘志を以ってやっと切り開いてきた、世界最高の舞踏家という道の、ど真ん中に。
(……とはいえ、どうしたものか……)
顔をしかめながら、五島は何度も読み返した舞台装置関連の資料を手に取った。
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