第139話 動揺


 陽から電話がかかってきたのは、打ち合わせの帰りだった。


「どうした? そんな深刻な声で」

「オヤジさんが、また入院したって。ねえ優馬さん、俺、いま貯金どれくらいある?」


「なんだ突然。ちょっと待て、移動するわ」



 足早に駅のホームを離れ、煩いアナウンスから遠ざかる。

 切羽詰まった様な怒った様な声で、とにかく早急に纏まった現金が必要なのだと繰り返す陽を落ち着かせ、話を聞き出す。


 数日前、天本さんが家でのリハビリ訓練の際に誤って階段から落ち、現在も意識不明であること。

 頭と背中を強く打っており、大きな手術が必要だということ。

 そして、手術と介護費用を工面するのに苦労しているらしいこと・・・・


 話を聞きながら、素早く頭の中で計算する。


「いくら必要なんだ?」

「それが、聞いても教えてくれなくって」


「わかった。話は帰ってからだ。お前、今どこだ? ……そうか、じゃあ取り敢えずうちに帰れ。俺もすぐ帰るから。焦ってジタバタするなよ? 大丈夫だから、俺に任しとけ。いいな? ……よし、電車乗るから切るぞ」



 再びホームへと向かいながら、優馬は栞に宛て、器用にメールを打つ。電車が来るのを待つまでもなく、すぐに返信が来た。


「それだけの情報では、どういう容体かわからない。手術内容も金額も同様。入院先の病院に知り合いは居るが、家族以外の人間に情報を教えるのは、いくら同業者であっても無理」


 要約するとそんな内容だった。


(ま、そりゃそうだよな……)


 やって来た電車に乗り込み、優馬は考えを巡らせる。


 陽の個人的な預金だけで数百万、会社としてもある程度は用意出来る。なんとか力になりたいという陽の気持ちもよくわかる。だが、陽の話の様子では、先方がすんなり受け取るとも思えなかった。


(おかしな言い方だが、上手く話を運ぶ必要があるな……)



 ここは、” 口が上手い ” マネージャーの出番か……


 先日の陽の言葉を思い出し、小さなため息と共に苦笑した。

 状況としては、とても笑えるものでは無かったが。



   † † †



 玄関に鍵を刺すや否や、向こうから扉が開いた。

 優馬が帰るまでの間、ジリジリと待っていたのだろう。取り乱した陽が、噛み付かんばかりの勢いでまくし立てる。


「遅いよ! ねえ、面会すら出来ないって、かなりヤバイって状態だよね? 意識不明の重体って……介護が必要って、どういう意味? 寝たきりになるとかそういうこと?」

「落ち着け。お前にわからんことを、俺がわかるわけ無いだろ? とりあえず、俺たちに出来ることが何か考える。だから、お湯沸かして?」


 陽の動きが止まる。

 ポカンとした表情の一瞬ののち、珍しく苛立った様に声を荒らげた。


「お湯って何だよ!」


「まあまあ、焼酎でも飲んで一旦落ち着こう」

「そんな場合かよ!」


 優馬は落ち着いた仕草で椅子を引き、浅く腰かけた。

 薄いファイルをテーブルに置き、胸ポケットからは事務所の金庫にしまってあった預金通帳を取り出す。


「当面、俺らに出来るのは金の融通ぐらいだ。それはわかるな? お前の預金も含めて、すぐに用意できるのが1千万弱。少し時間がかかるが、もうちょっと工面出来る」


「いっせんまん? ……そんなにあるんだ……」

「おう。今後の運営を考えても、それぐらいはな。なかなかの優良経営だろ?」


 テーブルの向こうをトントンと叩いて座るよう促すと、陽はおとなしく腰かけた。思いがけず大きな金額に面食らったのか、少し呆然としている様子だ。



「さっきも言ったが、今の状態で出来ることは資金援助。で、俺らは多少なりとも力添えが出来る。あとは病院に任せるしか無い。な?」


「うん……」


「お前が天本さんを大切に思ってるのはよく知ってる。不安になるのもわかる。でも、だからこそ、俺たちは冷静にならなきゃいけない。焦って暴走したら、静江さんのフォローどころか、余計な負担になるだろ?」


「……うん。わかった」


「よし。なら、そんな顔すんな」

「そんな顔って?」


「半べそ。迷子になった時の優侍にそっくりだ」

「……半べそじゃねーし!」


 優馬は立ち上がると、手の甲で鼻の下をゴシゴシと擦っている陽に両手をぶらぶら振って見せた。


「ほら、こうやって。いいから真似してみろ」


 怪訝そうな表情で見上げるのに構わず、両手をさらに強く振る。

 表情はそのままに、それでも陽は大人しく従った。


「そうそう。お湯沸かしてくるから、続けてろよ」



 ゆっくりと席を離れ、薬缶に少量の水を汲み、コンロの火を付ける。戸棚からマグカップを2つ取り出して、流し台の下に仕舞ってある焼酎の瓶を開け、とぷとぷとカップに注いだ。

 冷蔵庫を開ける‥‥が、つまみになりそうな物は入っていない。今日は互いに外で昼食を摂った為、何も作っていないのだ。


 冷凍室を開けると、スライスされた食パンがあった。とりあえずそれをトースターへ突っ込み、加熱する。


(たしか、サバ缶があったはず‥‥)


 非常食用にとストックしてある缶詰を開けるので、一応陽に了承を得ようと振り返った優馬は、思わずフッと笑みを零した。

 僅かに眉根を寄せ、真剣に肘から先を振り回している陽の姿があったからだ。


 いや、と優馬はすぐに思い直す。


 普段なら軽口のひとつふたつ叩くであろう陽が、行為の意味さえ聞かずに、一心不乱にただ腕を振るという、一見下らなく思える動作に没頭している。

 やはり相当不安なのだろう。何かしておらずにはいられないのだ。


 優馬は結局声をかけずに、缶詰を開けて水煮の汁を捨てた。

 マヨネーズと醤油をかけ、ほんの少しだけ塩を振り、フォークでほぐしながら軽く混ぜ合わせる。

 トースターから食パンを取り出して皿に取り、調味した鯖を乗せた。冷蔵庫から海苔とスライスチーズを取り出すと、千切ってパンの上に散らす。

 熱の残るトースターにアルミホイルを敷き、ずっしりと重くなった食パンを入れて再加熱。


 手早いことこの上ない。


 コンロの火を消し焼酎のカップに湯を注ぐと、片方にだけ氷をいくつか入れ、テーブルに運んだ。


「よーし、オッケー。終わりね。はい、深呼吸ー」


 陽は言われるまま動きを止め、深呼吸を数回繰り返す。


「よし、飲め」

 たっぷり入ったマグカップをぶつけると、ゴツンと重い音がした。



「‥‥っ! あっち!」

 またもや素直に従った陽が、顔をしかめた。


「猫舌用に氷入れたんだけど」

「んー、大丈夫。こうして混ぜれば‥‥」


 人差し指でくるくるとかき混ぜると、あっという間に氷は溶けてしまった。


 ふたくち、みくちと飲むうちに食欲を唆る香りがたち始め、トースターがチン、と音を立てた。

 優馬はアルミホイルごと引っ張り出すと、ザクザクと音を立ててパンを切り分け、再び皿に盛る。


「ほい」

「いただきます」


 ふたりは熱々の鯖トーストを頬張り、焼酎を啜った。

 猫舌の陽は何度も息を吹きかけ冷ましながら、優馬は「七味があればもっと‥‥いや、カレー粉かな?」など独り言ちながら。




「ちょっとは腹、あったまったか?」


 優馬の問いに、陽はトーストを頬張ったまま頷いた。

 空になった皿の上で手を叩いて指についたパンの粉を落としつつゴクンと飲み込むと、口元を拭ってニヤッと笑ってみせる。


「空腹の時に悪いこと考えちゃダメなんだよね」

「おう、そのとおり。憶えてたのか」


 陽がドイツから帰国した日、天本社長が怪我をしたことを告げた際に、優馬が言った言葉だ。



「うん。もう、大丈夫。だいぶ落ち着いた。たぶん」


 焼酎の最後の一口を呷り立ち上がると、優馬のカップを指差し目顔で訊ねる。差し出されたカップを受け取り、陽は流しへ向かった。


「ねえ、さっきの腕ブラブラ、何だったの?」

「あー、あんま意味はないな。強いて言えば、血行が良くなるように、かな」


「ふうん」


 2杯目を作ってテーブルへ戻って来る。お湯が少し冷めたので、今度は氷は入れていない。



「あの鯖のパン、美味かった」

「だろ? 思いつきで作ったわりにな。今度はもっと美味いの作ってやるから‥‥よし、では!」


「緊急対策会議だね」


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