第137話 夏蓮の告げ口
突然、勢いよくガラスの分厚い扉が開けられ、弾んだ声が響く。
「なぁにー? なんか楽しそうじゃない?」
「おお、カレンさん、おかえりなさい。あれ、今日はやけにご機嫌ですね?」
「そーう、やっぱりわかる? 楽しくって、いっぱい飲んじゃった♪」
夏蓮が店に足を踏み入れた瞬間、部屋の中の光量が増したように感じた。
新緑の季節によく合う、ピーコックグリーンのたっぷりしたドルマンスリーブプルオーバーに、白のクロップドパンツというカジュアルなスタイルの夏蓮は、くるりと軽やかに回転しながら中央の机を避けた。大きく開いた背中が一瞬見え、襟元のビジューがキラッと光る。
ほとんど踊るようにカウンターにたどり着いた夏蓮が、にっこり笑ってポーズを決めた。
確実にご機嫌のようだ。
優雅な決めポーズのまま、夏蓮は立つか座るか判断がつかずモジモジしている青年に視線を向ける。
「こちらはえっと……そうそう、渡辺くん。よね?」
「あ、はい。どうも」
「インコのピヨちゃんはお元気?」
「ピロちゃんです。ピヨちゃんじゃなくて」
渡辺は律儀に訂正した。
「ああ、ごめんなさい」
夏蓮は芝居がかった身振りで額に手を押し当てた。
「ピロちゃん、ピロちゃんね。陽がね、よく話してるの。インコが可愛いかったって。だからね、私は不死鳥になるのよ」
意味がわからない。
戸惑いの滲む視線で助けを求められ、優馬は渡辺に曖昧な笑みを返した。
酔っ払いの戯言だから気にしなくていい……と言いかけた時、陽が分厚いガラスの扉を背中で押し開け、「ただいまー」と入ってきた。
後ろをタクシーが過ぎ去っていくのが見えた。
「おぅ、おかえr…」
「ちょっと聞いてよ、優馬さん! 陽ったらね」
陽が現れた途端、さっきまでご機嫌だった夏蓮が頬を膨らませ、怒った様子を演じ始める。
まずい、という風にアワアワしている陽に構わず、夏蓮は口を尖らせた。
「人のこと、『人喰い花』呼ばわりするのよ?酷いと思わない?」
「ヒトクイバナァ? なんだそれ」
「あー……」
陽は両手で頭を抱え、項垂れながらぐるりと回転した。
「違います、違いますって! 夏蓮が着てた服の柄がね、なんていうか、こう……大胆な花の模様で。そんな柄を着こなせるのは夏蓮ぐらいだよねって……褒めたの! 褒めたつもりだったの!」
† † †
陽がタクシーで迎えに来てくれた時、私はすでに準備万端整えて待っていた。
買ったばかりの、白地に手のひら大の花柄が散るワンピース。裾に近づくにつれたくさんの花がひしめき、まるで本当に空から鮮やかな花束をばら撒いたみたい。
白いシルクニットのロングカーディガンを合わせて、思いっきり豪華に、優雅に。メイクもネイルもバッチリ。
だって今日は、陽のお誕生日を祝うお出かけだから。
玄関まで出迎えに行った私は、陽の姿を見て思わずため息を漏らした。
模様織りが控えめな光沢を放つ白のカットソーに、袖口を捲った明るい紺色のジャケットが映えている。赤いステッチのワンポイントが効いたごく淡いグレーのボトムスに、涼しげな白の靴。
これでもかというくらい爽やかな、王道ともいえるコーディネイト。
わりと誰にでも似合うけれど、素の容姿が優れている人が着ると格段に差が出るスタイル。
陽はしきりに照れながら、「どう?」とおどけたポーズを取る。
贅沢を言えば、「サムライスタイル」と称されているちょんまげをやめて、顔周りをもうちょっと飾ればいいのに……とは思うけれど。でも。
「すごく似合ってる。私が選んだんだから、当たり前じゃない?」
おどけて広げたままの両腕に飛び込もうとした時、陽がニコニコと言った。
「夏蓮もその服、ちょう似合ってる。そんな人喰い花みたいな模様の服を着こなせる人なんて、なかなか居ないよ」
私はその場でフリーズした。
お誕生日の花束をイメージして、一昨日から揃えていたコーディネート。
バッグ等の小物はもちろん、メイクやネイルだって完璧に整えた。朝からお風呂に入って、ウキウキと。
それを、それを……
「人喰い花ですってえええ?」
その時、玄関の脇の部屋のドアが開き、カズが出てきた。
おどけたポーズで固まったまま怯んだ陽の姿が、一瞬遮られる。
「あー、ちょっと急用で出かけてくる。しばらく戻らないから」
カズは目を合わせないように顔を伏せ、普段とは似つかずそそくさと靴を履く。陽の横をすり抜ける時、「やらかしたな」と呟いた。
……聞こえてるわよ、ごーちゃん。逃げたわね?
「え、あの、ちょっと待って……五島さん、タスケテ……」
縋るような眼差して五島の背中を見送った陽が、ギギ、ギ、ギ‥‥と軋む音が鳴りそうな動きで向き直る。その顔にはハッキリと、「しまった……」と書かれていた。
「えと、そうじゃなくて……意味が、その……ごめん、ね?」
「着替えてくる」
私は冷徹な声でそう言い、踵を返し階段を上った。
「ごめん! 言葉を間違えた。ほんと、褒め言葉のつもりで……」
情けないほどオロオロした声が聞こえたけど、無視して自室のドアを閉めた。
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