第135話 続・ワタナベの悩み


「陽がどう言おうと、あいつはいい奴だと俺は思うよ。ちょっと抜けてるところはあるけど、基本的に頭は悪くない。律儀で親切で、真面目で礼儀正しくて」


 優馬が「抜けてる」と評したせいか、渡辺君は笑っていいものかどうか判じかね、曖昧に首を傾げた。そういうふとした瞬間に、育ちの良さが滲んで見える。



「でも、究極的にはさ、あいつは絵以外の事はどうでもいいんだろうと思う。自分のことですら。他人に関心がないっていうのは、多分そういう意味なんじゃないかな。

 他人に積極的に関わる以前に、全てに於いて、画家の目が優先してしまうんだ。画家として独立してからは、特にその傾向が強まってる様に思う。どんな景色も経験も感情も、全部観察して吸収して、みんな材料にして、作品として放出しちゃうんだよな」


 顔の前で指を振り、「画家としての視線」を強調しながら話す。

 渡辺青年が受けたショックを、「陽の、画家ならではの特異な感性への違和感」に摺り替えることで、彼のショックを軽減させつつ陽のカリスマを高めて………って、そんなに上手く行くわけないか。



「まあ、そういう云々を上手く言葉にできないのは、あいつの欠点だな。ほら、奴のアウトプット能力は絵画に特化してるから。要するに、絵は天才。あとはポンコツ」


「そうか……流石、天才ならではですね」


 渡辺君は至極真剣に頷いた。



(まじか……上手く行きすぎだろ! そんなキラキラした目をするのはやめてくれ)


 今言ったのは自分の思うところを話したのであって、嘘を言ったわけではない。たしかに、嘘じゃないんだが………

 純真な悩める青年を舌先三寸で丸め込んでいるような気がして、優馬はそこはかとなく罪の意識を感じてしまう。



「だからさ、陽が言ったこと、そんなに深刻に受け止めなくていいと思うよ。それぞれ負っている背景が違うんだからさ。陽には陽の考え方。君には君の考え方。もし、共感したなら取り入れればいいし、違うと思えば『そう思う人もいるんだな』って思っておけばいい。ね?」


「はい」


「実際俺なんかはさ、ちょっとは周囲に期待しちゃうね。するでしょ、普通。その方が健全なんじゃないかなーって、俺は思うよ」


「……健全、なんでしょうか」

「うん。あくまでも、俺の考え方としてはね」


 渡辺君は頷くと、少し俯いてなにやら思いを巡らせている。



 そうそう。

 君が何に悩んでいるかは知らないけど、みんなそうやって迷いながら自分で選び取っていくんだ。うんと悩んでよく考えればいい。



 彼が陽の絵を必要としていることには、前から気付いていた。

 ただの好き/嫌いじゃなく、陽の描く絵を必要としている。それも、切実に。

 その絵を通じて、陽の中の何かに触れたい、掴みたいと願っているのを感じていた。

 それが何かというのは……わからない。


 心? 魂? あるいは、生きていく為のヒントのようなものだろうか。


 そして陽にとっても、彼のようなファンの存在は必要なものだと、優馬は思っている。

 最近でこそ、カレンさんの影響で知人も増えてはいる。だが、陽の周りには密な人間関係が薄すぎる。

 さっき渡辺君に話した通り、陽は人と関わることに臆病なのだ。裏切られるくらいなら、どうせ去られるのなら、最初から関わらない方がマシだと思っているのだろうと感じる。

 『他人に期待していない』というのは、それを裏返して言っているに過ぎない。



……でもさ。

 と、優馬は思う。



 そんなの、つまんないじゃんか。

 まあ、いいよ? それでもいいけどさ。いくつかは例外的な存在もあっていいだろ? 俺とか、天本さんとかさ。


 大体、口ではそんな冷めて達観したようなことを言ってるけど、こないだ大友先生から転勤の葉書が来たときは思いっきり拗ねてたじゃねーか……




 陽には、絵に集中するあまり、世捨て人みたいになる生き方をさせたくなかった。


 天本さんの紹介で職人の仕事を続けていれば、仕事の繋がりとはいえ、人付き合いももっとあっただろう。

 だが、自分はそれを奪ってしまったかもしれないのだ。

 この世界に半ば強引に誘ってしまった自分には、陽の人生をより豊かにする責任があると、優馬は考えていた。




「木暮さん、俺、ちょっとだけわかった気がします」


 目の前の青年につられ、いつの間にか黙考に沈んでしまっていた。声の主に目を向けると、彼は目を伏せたまま言葉を探している。


「えっと……大月さんの言葉の何がショックだったのか。俺……多分、正解が欲しかったんだ。大月さんなら、あんな絵を描く大月さんなら、全て解決できる道を示してくれるかもしれない。俺のための部屋を、その扉を、示してくれるかもしれないって、無意識に期待してたのかも」


 言葉を切ったが、青年は僅かに眉根を寄せ、まだ頭の中を探って思いの丈を紡ごうとしている。


 優馬は相槌を打つことなく、カウンターの上に僅かに身を乗り出し静かに手を組み合わせて、待った。



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