第131話 貫かれる
陽はおもむろにスケッチブックを開くと、何やら描き始めた。こちらからは見えないが、視線の向きからしてピロちゃんを描いているのだろう。
「絵を描いてる時ってさ、その中に入れるよ。っていうか、描いてるうちに勝手にそうなる。頭の中と目の前のキャンバスと世界がさ、ぼわぁって混じり合って、分け目なんてないんだ。面白いから、自分で描いてみたらいいよ」
「俺、絵は下手なんです」
「設計やってるんだよね?」
「それは、まあ。勉強中だけど」
「なら描けそうなもんだけど。ま、いっか」
鉛筆を走らせる手を止めず、陽は楽しそうに話し続ける。
「じゃあ、想像して。頭の中に、好きな建物を建てる。一軒家でも、大きいビルでも何でもいい。渡辺君が設計した建物、その建物の外側の風景は? 中に誰を入れたい?」
「風景? ……わかりません。真っ白。ただの真っ白」
会話が噛み合っているのか、いないのか。それすらもわからないぐらい、大月陽の独特なペースに飲まれかけている気がする。
話の軸がコロコロ変わって、でも全体的にはちゃんと流れていて。
それぞれ速度の違うエスカレーターをいくつも飛び移りながら進んでいるみたいだ。もしくは、大きな川の流れの中にポコポコと浮かんでは消える小島の上を飛び渡っているみたいな……
大月陽の作り出す流れに追いつくのが精一杯だったが、渡辺は目を伏せて集中した。集中して、想像する。
「待ってください。突然言われても、建物も何も浮かばない………あ、図面引く用の画面が出てきた。でも、白紙です」
「じゃあ、そこに住む人は?」
「中の人も、誰も……特に誰も浮かばない」
「子供の頃の友達とか、好きだった人とか」
「俺の大好きだった人は、死んじゃいました。酷い女に騙されて、酷い死に方で」
一瞬、鉛筆の音が止まった。
だが、陽は何も言わず、すぐにまた鉛筆の音がサラサラと聞こえ始める。
目を閉じたままその音に耳を傾けているうち、段々と心が安らいでいくのを感じた。まるで、鉛筆の音がひび割れささくれ立った心を撫でてくれているみたいだ。
昔、宏ねえがそうしてくれたように。
「……従姉妹のお姉さんだったんです」
気づくと渡辺は、ポツポツと話し始めていた。
「昔から俺の悩みを真剣に聞いてくれて、味方してくれてた。父も母も話すら聞いてくれなかったのに、宏ねえだけが理解しようとしてくれた。でも……自殺しました」
結婚間近だった恋人の心変わりで、突然振られたこと。
その恋人の心変わりした相手が、昔の友人だったこと。
恋人の心変わりは、実は全てその友人の策略で、従姉妹は陥れられたこと。
宏ねえの尋常じゃない最期を不信に思い、探偵に頼んで調べてもらって、全てが明るみに出たこと……
今まで何度も何度も、調査報告書を読み返してはいた。
だが、宏ねえの件を他人に話すのは初めてだった。
なるべく感情を高ぶらせないよう、冷静に話していたつもりだったが、やはり最後には声が震えてしまうのを止めることは出来なかった。
「……宏ねえはそいつに巧妙に唆されて、恋人を道連れに死のうとして……失敗しました。追い詰められて追い詰められて、結局独りぼっちで死んでしまった。悪い奴らは警察にも捕まらず、野放しです」
鉛筆の音は、いつの間にか止まっていた。
聞かれもしない身の上話をしてしまったことにバツの悪さを感じ、無意識のうちに弄んでいたフォークから視線を上げて陽を盗み見る。
彼はスケッチブックに描いた絵をじっと見つめたまま、ぽつりと言った。
「……だから」
続く陽の言葉に、渡辺は激しい動揺を覚えた。
「だから渡辺君は、この世界が嫌いなの?」
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