第129話 準備万端


 掃除は、した。

 普段から無駄な物を置かない主義なので、掃除はすぐに済んだ。大月さんの絵も、額の埃を払って真っ直ぐに直した。小さな冷蔵庫には数種類の飲み物も入っている。


 ピロちゃんの部屋も綺麗にした。餌も水も取り替えた。


「よし」


 ぐるりと部屋を見渡して確認すると、渡辺は鳥かごの扉を開け、そっと指を差し入れた。すぐさま「ピロッ」と声がして、ピロちゃんの温かな重みが指先に伝わる。



「ピロちゃん、今からお客さんが来るんだよ。来客自体久しぶりだし、初めて会う人だけど、大丈夫だからね。いい子にしてるんだよ」


 指先に留まった黄色いインコは首を傾げて渡辺の声を聞いていたが、やがて腕を這い登り肩に止まると、うんと体を伸ばし渡辺の長めの前髪を啄ばみ始めた。

 頰にかかる前髪で遊ぶのが、ピロちゃんのお気に入りなのだ。おかげで渡辺は、前髪を切ることが出来ずにいた。



 しばらくインコと戯れていると、玄関のチャイムが鳴った。


「来た! ピロちゃん、いっかいお部屋に入ろうね」


 インコはおとなしく渡辺の差し出した指に飛び乗り、鳥かごへ戻された。前の飼い主のおかげか、ピロちゃんはとても聞き分けの良いインコなのだ。

 渡辺は客を招き入れるため、部屋を抜けて玄関へ向かった。




「これ、お土産。優馬さんが持って行けって」


 大月陽から手渡されたのは、隣駅前のアップルパイだった。見慣れた箱から甘酸っぱい香りが漂っている。


「うわ、俺の大好物です。木暮さん、なんで知ってるんだろ」


 渡辺は甘いものが好きだったが、何故か生クリームは好まない。和菓子か焼き菓子、パイやタルトには目が無い。中でもこの店は、子供の頃から贔屓にしている店だった。



「さあ。でも、店と商品名指定で言ってたよ。どっかで話に出たんじゃ……ないのか」


 首を振る渡辺に、陽はちょっと不思議そうな顔をした。が、すぐに当たり前のように笑った。


「ま、優馬さんてそういうとこあるし。なんでもお見通しみたいな? ……あ、おれ要らない。甘いもの苦手なんだ。それ、あったかい方が美味しいらしいから、食べて食べて」


 一緒に食べようとして断られ、しかたなく渡辺は陽に飲み物を勧める。


「ありがと。甘くないのなら何でもいいです。それより、あの、インコを……」


 そわそわと首を伸ばし鳥かごの方を窺いながら床に置いたクッションの上で膝立ちになり、陽は大きなバッグの中からスケッチブックを手探りで取り出している。


 渡辺は陽の後ろを回り込み、鳥かごからインコを連れ出した。


「ピロちゃん、おいで。ほら、おもちゃだよ」


 低いテーブルの上で鈴のついたおもちゃを振ると、黄色いインコは渡辺の爪を啄むのを止め、テーブルに飛び移った。



「わあ、すごい慣れてるんだね。咬んだりしないの?」

「そうですね。いじめたりしなきゃ、大丈夫だと思います。そのおもちゃ、鳴らしてあげると喜びますよ」


 陽は布製のおもちゃを摘むと小さく振った。ちりちりと可愛らしい音が鳴り、インコがそれをつつく。音を鳴らしながら左右に動かすと、よちよちパタパタと付いて回る。


「やっばい、可愛い。俺、ペットとか飼ったことないんだよね。動物は好きだけど、飼うのはなんか怖くて………あはは、なんだこれ。ヤバい、ちょう可愛い」



 ピロちゃんはひとしきりおもちゃで遊ぶと満足したのか、陽の手に飛び移った。


「うわ、これどうしよう。どうしたらいい? 助けて」


 陽はピロちゃんの止まった左腕を突っ張ったまま硬直し、視線だけで渡辺に助けを求めてくる。

 渡辺は食べかけのアップルパイの皿を置くと、手を伸ばしピロちゃんの首のあたりをこりこりと掻いてやった。ピロちゃんは気持ちよさそうに目を細めている。


 それを見て、陽もおそるおそる指を伸ばす。

「こう? ……こんな感じ? ………おお」


 ピロちゃんが目を瞑ると、陽はとても嬉しそうに、でも、小さな声で笑った。


「ヤバい、可愛い。そんであったかい」


 ピロちゃんを驚かせないためか、声をひそめながら「うりうり、いい子だ」とピロちゃんに構う陽は、子供みたいだ。


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