第128話 律儀で生意気、ちょっと天然


 最近の陽は、少し沈んでいる。



 きっかけは一通の転居通知葉書だった。


 差出人は陽の高校時代、美術部の顧問だった教師。

 それまで自己流で描いていた陽に、絵の描き方を教えてくれたという恩師だ。今年から転勤になり、すでに遠方へと転居しているとの報せだった。


 「大友政直」という戦国武将の様な名前に見覚えがあり資料を見返したところ、その名前は藤枝のギャラリーの芳名帳にあった。陽の絵に興味を示した客のリストを、こちらのギャラリーの芳名帳と合わせて共有管理しているものだ。


 その名前は、今年に入ってすぐ、藤枝のギャラリーでのみ記帳しており、こちらには記名がなかった。



「優馬さんが言うように、たまたまこっちが留守だったとしてもさ、連絡ぐらいしてくれればいいじゃん? メールでもコメントでもさぁ」


 初めは口を尖らせてブツクサ言っていただけの陽だったが、先ほど天本社長に電話した際、実はだいぶ前から転勤が決まっていたことを聞かされ、本格的にしょげてしまったのだ。

 いや、しょげたというより、自分だけが知らなかったことに拗ねた、という方が正しいかもしれない。



「お前ね、いい大人がそんなことでヘソ曲げてどうするよ。長年勤めた学校を転勤だろ? そりゃ相当忙しかったんだって。天本社長には、見舞いのついでにでもに話したんだろ。大体さ、大勢いる卒業生、全員に転居通知出したと思うか? 可愛い教え子だから、お前は特別に貰えたんだろ?」


 慰めるつもりでそう言うと、陽はほんの少し表情を和らげた。


「そうかなあ……あ、でも、そっか。住所変更だけなら、暑中見舞いや年賀状でも済むんだもんね。なのに、わざわざ報せてくれたのか」


「な? ……ってお前、年賀状も暑中見舞いも出してんのか」


 陽は、当然のようにこくりと頷く。

……今時珍しい、律儀な奴だ。俺のところには来ないが。俺のところには来ないが。



「え、なに? もしかして優馬さんも、年賀状欲しいの?」


 考えが顔に出てしまったのだろうか、しょぼくれた様子から一転、わざとらしい苦笑いでからかうように覗き込んでくる。前言撤回、なんと生意気な若造か。



「さっきまで『せんせぇ、黙ってお引越しなんて酷いよぉ』とか拗ねてた奴から欲しいものなど、何も無いね。大体ヤローから年賀状なんてもらって嬉しいか」


「拗ねてないし! どうせ来たならこっちの絵も見てって欲しかったってだけだし! ってか今の口調キモイんだけど」



 ムキになって言い返すところを見ると、やはり図星だったらしい。優馬は笑いを堪えながら、壁時計を指し示した。


「それはそうと、時間はいいのか? 渡辺くんちでインコ見るんだろ?」

「あっ! そうだった。行かなきゃ」



 水彩画セットを抱えあたふたと走り出て行った陽を、優馬は急いで追いかけた。


「おい、陽! 鍵! チャリの鍵忘れてるぞ!」

「あ、わりぃ。あざっす」



 行ってきまーす! と元気に挨拶し、立ち漕ぎで自転車を飛ばす陽を見送りながら、優馬は小さく笑った。


……全く。やっぱあいつ、どっか抜けてるわ。

 ま、しばらくはカレンさんも忙しいみたいだし、いい気分転換になるだろ。



 優馬は大きく背伸びをして、ぐるりと肩を回した。


 特典動画の編集が終わったら、店じまいにしよう。今日は久々に早く帰って……あ、領収書溜まってんだ……




 領収書整理は家でやるか。優馬は瞬時にそう決めた。


 同じ仕事でも、栞や優侍の声や気配を感じながらの方が楽しくできるというものだ。

 優馬は鼻歌を歌いながら、分厚いガラスのドアを開けた。


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