第126話 ギャラリーにて思う
陽はインコの羽根を厳重に保管すると、夏蓮と連れ立って出掛けて行った。優馬はいくつか注意事項を挙げた後、渡辺に店を任せ慌ただしく外出した。
ひとりきりになった渡辺は、シンとなったギャラリーを見渡す。人が居ないと、急に広く感じられた。
深く濃い青色の壁に囲まれた店内は、夜の海を思わせる。渡辺は立ち上がると、まるで海底を散歩しているかのように、ゆっくりと歩き出した。
珊瑚に群がる美しい魚を覗き込むみたいに、ひとつひとつ絵を観て行く。じっくりと、注意深く。
領収証の書き方も習ったし、印紙の保管場所も教わった。来客用のコーヒーやお茶の準備も万端だ。
でも、と渡辺は思う。
もうしばらく、この場所を独り占めしていたい。
数々の素晴らしい作品を心ゆくまで堪能し、大好きな絵に囲まれそのパワーを浴びていたい。
……売上はあった方がいいのはわかっているけれど。でも、誰も来なければいいな。
† † †
小一時間も過ぎただろうか。
来店するたびに入れ替わっている絵を存分に楽しんだ渡辺は、カウンターに頬杖をつき物思いにふけっていた。
憧れの画家さんとお近づきになって、店番まで任されるようになるなんて、思ってもみなかった。
特に、宮内の件もあるのに……あんなに失礼なことをした男の知人だというのに、当たり前のように受け入れてくれて。なんて大らかな、優しい人達なんだろう。
それどころか、親からの援助を打ち切られて海外での生活が苦しいと言っていた宮内に、アドバイスまでしてくれた。
『外国人の名前に漢字を宛てて、その文字からイメージする絵を描く』という陽のアイデアが大受けし、とりあえず当座の生活には困らなくなったらしい。宮内は悔しがりつつも感謝していた。
「こないだドイツ行ったとき、漢字がやたら受けてて……自分でやろうと思ってたけど、なんか忙しくなっちゃったからさ。良かったら宮内くんやってよ」
……そう言ってヘラっと笑ってたけど、自分のプランをあっさり人にあげちゃうなんて、なかなか出来ることじゃないと思う。
俺だったら、誰にも話さずにあっためておいて、じっくり熟成させつつ、時間が出来たら自分でやるだろう。
挙げ句、お礼の話になった時には。
「そんなのいいよ、俺は思いつきを話しただけなんだから。上手くやって成功させたのは、宮内くんの実力でしょ? 権利? 何それメンドクサーイ」
……ってニコニコしてたけど。木暮さんも「陽がそれでいいなら」とか言っちゃうし。大丈夫かな、あの人達。商売っけがなさ過ぎる。優しいを通り越して、お人好し過ぎるよ。
お人好し? んー、なんか違うな。余裕? 自信? 器のデカさ?
木暮さんのPCで一緒に宮内の作品を観た時だって、「おー、いいじゃんいいじゃん」なんて軽く言ってたし。なんならちょっと嬉しそうだったし。
なんか、ゆる~くてウエルカムな感じ? 何でもオッケーみたいな……いや流石に、何でもってわけじゃないだろうけど。
ああ、壁か。心の壁が薄い? 低い? ……っていうか、無い? 常に窓全開? いやいやいや、まさか。でもホントにそんな感じだしなぁ……
そういえば……と思いあたり、渡辺は立ち上がって改めて陽の絵を眺めてみた。
初めて陽の絵を見た時の衝撃を思い出す。
衝撃と言っても、それは温かく柔らかで、穏やかな海の温んだ波が優しく寄せるような……心に纏った固い殻をふわりと撫でられたような……そんな感覚だった。
陽の絵は、優しい。限りなく優しい。
色んなものを飲み込んで、受け入れて、流して、解き放って、包んでくれて……
愛、という言葉が唐突に浮かんだ。
その瞬間、経験したことの無い痛みが、胸を熱く貫く。
まさか、そんな。
この自分から、そんな言葉が出てくるなんて。
あまりに唐突に、またあまりに意外な言葉が思い浮かんだことに動揺し、渡辺はひとり額を擦った。
まさか、そんな。
でも。
大月陽の絵の前に立った時に、確かに感じる何か。
ほんの少しだけれど、肩の力が抜けて呼吸が楽になる感じ。絡み合い凝り固まった心の僅かな隙間に温かい空気が潜り込み、ふわりとほぐれるような。
ああ、あれだ……冷たい風に晒されて凍え縮こまっていたところに、急に陽射しが指す瞬間。あの、安心してちょっと涙ぐみそうになる、ほっとする瞬間に似てるんだ。
大月陽の絵は、柔らかな陽射しみたいだ。
寒くて苦しくて震えていても、その絵の前では少しだけ楽になれる。ほんのひと時、赦されている気がする。こんな自分でも。
その赦しが欲しくて、大月陽の絵を求めてしまうんだ。
気付けばほろほろと涙を流しながら、渡辺は部屋の真ん中に立ち尽くしていた。
心の奥底で秘かに望んでいたことを自覚し、それがおそらく叶わないことを悲しみ、声も出さずに泣いていた。
悲しくて辛くて申し訳なくて。でも、赦されたくて。
大月陽の絵を全身に浴びるかのように、渡辺は密やかに涙を零しながら静かな呼吸を繰り返した。
† † †
結局その日、客は来なかった。
木暮優馬が戻る頃には、渡辺は既に平常心を取り戻していた。感情を抑えるのはわりと得意なのだ。
「出先でチャチャッと作ったんだけどさ、陽の作品画像集。壁絵とか、色々デザインしたヤツとか、特典動画を作ってない絵ばっかり集めたんだ。メールで送っといたから。今日のバイト代替わりってことで」
そう言いながら木暮さんは、オープン記念の時に作った非売品のグッズやおまけのポストカードなんかもたくさんくれた。
たかが3時間ほどの店番で、ここまで大盤振る舞いしてくれるなんて、やっぱり商売っ気が……
「権利関係問題ないやつばっかだから、人に見せてもネットに上げても大丈夫。ってことで、気が向いたら宣伝ヨロシク~」
ニコニコしながら両手でピースサインを作り、指をチョキチョキしている。商売っ気があるんだか無いんだか……この人も、なんだか不思議な人だ。
でも、素敵な人だ。すごく、素敵な人だ。
人間不信は相変わらずだけれど。
ひとくちに大人と言っても、色んな人がいるんだよな。うちの親や教師みたいなのばかりじゃないんだ。そんな当たり前のこと、何で今まで気付かなかったんだろう。
大月陽の作品だけではなく、陽本人とそれをとりまく人達にも、いつの間にかほんのりとした好意を抱き始めている自分に気づき、渡辺は少し嬉しくなった。
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