第125話 お絵描き仙人はマイペース



「ねえ、木暮さん。陽って、何か欲しいものとか無いのかしら?」



 久々に会った煌月夏蓮は、前とは少し印象が変わっていた。表情というか、醸し出す雰囲気が柔和になり、優し気に見える。


「さあ、無いんじゃないですかね。着るものにも無頓着だし、メシだって何でもいいみたいだし、時計も車も要らないって言うし……」


「イマドキの、さとり世代とか言うヤツかしら?」


 深い青色の棚に肘をつき、両手で顔を挟んで小さくため息をつく。


「うーん……って言うより、絵以外のことに興味が無いみたいですね。ほんと、いっつも描いてるから。最近特に凄いんですよ、集中度合いが」


 紙コップで悪いですけど……と断って優馬が入れてくれたコーヒーを、夏蓮は両手で受け取った。


「鬼気迫る勢いで、一心不乱にね。もう、お絵描き魔人。いや、仙人だな。お絵描き仙人」


 ふっ、と優しく笑う夏蓮の表情に、優馬は少し驚いた。


(この人、こんな顔も出来るんだな……)



「身体が心配なくらいでね。時々、カレンさんがこうして連れ出してくれるので、本当にありがたいです」


「ホントよ。強引にでも引っ張り出さないと、イーゼルの前から動かないんだもの。もうじき誕生日なのに、それも祝わなくて良いとか言い出すし」


「ああ……」


……あの馬鹿。何なんだくそ馬鹿やろう。どんだけマイペースだ。こんな人にまで気を遣わせるとか。



「えーと、ほら。『いつも洋服とか買ってきてくれるから、申し訳ない』って……よく言ってますよ。今やあいつのワードローブ、カレンさんコーディネート率100パーですから」


 精一杯のフォローに、カレンは少し嬉しそうに肩を竦めた。


「ふふ。正直、苦労するわ。無頓着なわりに変なこだわりだけはあって。襟無し、ゴム無し、ファスナー無しで、身体を締め付けない服……なんて、下手したらそれこそ仙人みたいになっちゃうもの」


「ですよねえ。いっそ、作務衣でも着てりゃいいんだ」


 優馬の軽口に、カレンはハッとして動きを止めた。おもむろに背を伸ばすと、目がキラリと光る。


「……それも似合いそうよね」




 音も無くドアが開き、爽やかな風が吹き込んできた。遠慮がちに入ってきた青年に、優馬が声をかける。


「やあ、渡辺くん。いらっしゃい」

「どうも……こんにちは」


 振り返った夏蓮と目が合い、入り口で立ちすくむ渡辺に、優馬は椅子を指差して勧めた。


「カレンさん、こちら渡辺くん。うちのお得意さんです。渡辺くん、こちらは煌月カレンさん。陽の……」

「お、僕知ってます。動画見ました。大月さんと踊ってた人ですよね」


 俺、と言いかけて僕と言い直した渡辺の声は、興奮の為に少々うわずっている。



「あら、見てくれたのね。ありがとう。嬉しいわ」


 夏蓮はとびきりの営業スマイルを投げかけ、優馬に倣い手振りで椅子を勧める。渡辺は恐縮した様子で、椅子の端に引っかかるように腰掛けた。


「今日は悪いね。なるべく早く……そうだな、3時間もかからずに戻れると思うから、よろしく頼むね。車出して栞を健診に連れて行って、その後実家まで送る予定なんですよ」


 後半は夏蓮に向けて、優馬が簡単に説明をする。栞を実家へ送り届けてここへ戻り、店を閉めたら今度は車で打ち合わせへ向かうのだ。


「忙しいのね」

「おかげさまで。車が1台しか無いんで、今日みたいにふたり用事が重なるとちょっとバタつきますね。そのうち社用車でも買おうかと思ってるんですが」


 紙コップのコーヒーを差し出すと、渡辺はペコリと頭を下げてそれを受け取った。


「今日は渡辺くんが店番してくれるって言うんで、助かりました」


「あ、いえ。ちょうどバイトまでの暇つぶしになるんで。ここ、なんかすごく落ち着くし。絵もじっくり見られるし」


 妙に恐縮した様子で、渡辺は紙コップに口を付けた。熱かったらしく、飲むのを止めて顔を僅かにしかめながら上唇を舐めている。



「学生さんなのね。バイトは何をしているの?」


 夏蓮の問いかけに、渡辺は背筋を伸ばした。


「はい、美大で建築デザインを勉強してます。バイトは探偵事務所で受付と助手を……」

「探偵事務所?!」


 夏蓮が驚きの声を上げた。


「私、探偵さんとかって初めて会うわ。なんだか感激」

「ですよね。普通は縁が無いから」


 渡辺は慌てて首を振った。


「いや、俺は単なる事務のバイトなんで。授業で『人の使う施設を作るなら、人間をよく知らないと』って言われて……ちょっと前に世話になった探偵さんにお願いして、バイトさせてもらってるんです。いや、あんまり面白くはないですね。結構きついです。なんか下世話だったり、ドロドロしてたりするし。人間嫌いが加速しかけて」


「人間嫌い?」

「あ、えっと……」


 興味津々のふたりに答えるうち、失言をしてしまったようだ。しまった、という風に、渡辺はほっぺたを人差し指でコリコリ掻いた。


「人間嫌いっていうか、人間不信? ちょっと上手く言えないけど。あ、でも……」


 深く聞いていいものかどうか……優馬と夏蓮が目配せし合い、一瞬妙な空気になってしまったところに、扉を開けて、陽が現れた。



「夏蓮、お待たせー」


 ニコニコしながら暢気に手を振りつつ、もうひとりの来客に気付いた。


「あ、渡辺くんだ。いらっしゃ~い」

「どうも。お邪魔してます」


 完全に空気が変わった。ほんのりとした気まずさは一掃され、4月末の午後にふさわしい新鮮な風が吹き込んできた様だ。




(……こいつ、能天気で良かった)


 陽のこの空気の読めなさに、優馬は秘かに感謝した。

 時たま、いっそ頭に鳥でも停まってれば似合いそうだと思うこともあるが、今回はその能天気さに救われたというものだ。



「あれ、鳥の羽根ついてる」


 優馬の頭の中を読んだようなタイミングで、陽が呟いた。そっと手を伸ばし、渡辺の背中についていた小さな黄色い羽根をつまみ上げる。


「あ、ピロちゃんのだ。俺、インコ飼ってるんです」



 へえ、と唸りながら、陽はつまんだ羽根をくるくると回し、観察している。


「ねえこれ、貰ってもいいかな? なんかに使えそう」



______________________________________




優馬「何にも欲しがらないくせに、ようやく欲しがったのがインコの羽か……」

陽「え、なに? 急に」

夏蓮「さすがお絵かき仙人だわ」

陽「意味わかんね……」

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