第124話 おまじない
次の舞台では、映像をふんだんに取り入れようと思っている。今までのような照明による効果のみに比べ、より多彩な表現が可能になるのだ。
例のPV絡みで映像関係者との繋がりが出来たおかげで、予算等の都合で先送りにしてきた構想が、実現に向けて急激に進みつつある。まだ始まったばかりのプロジェクトだが、しっかりした手応えを感じる。
「あの絵のおかげよ。陽のおかげで、ずっとやりたかったことが形になりそう」
「絵はただのきっかけだよ。あとは夏蓮の実力」
「ふふ。実力については否定しないけど。でもね、なんだか色んなことが上手く回り始めてて、今まで以上に好調なの。運気が上がってるっていうか……追い風に吹かれてるみたい。陽はほんとに、私の守護神」
胸の痣をそっと撫でると、陽はくすぐったそうに身を捩った。
「夏蓮はその痣、ほんと好きだよね」
「だって、花の蕾みたいなんだもの」
歪な紡錘形の痣は、ほんの少し大きくなったように見える。花の蕾が膨らんだみたいに。夏蓮はその蕾に水を与えるかのように、いつもそっと、指先を這わせる。
陽の胸に咲くのは、夏蓮の好きな真紅の薔薇か、それともほの紅い蓮の花か。
蓮の花だったらいいな、と秘かに思っていることは、絶対に口にしないつもりだ。あまりにも少女趣味じみて、恥ずかしすぎる。
胸元のペンダントを手繰り、月桂冠に囲まれた五芒星を紅の痣に押し付ける。
「今度は何? おまじない?」
「まあね」
ペンダントごと、陽は夏蓮の手を握り、さらに強く押し当てる。
「何のおまじない?」
「教えない」
……ちょっと意地悪をしたくなってしまった。
『でもさ。もし夏蓮が他所に行っちゃったら、ヤキモチじゃなくて……悲しくなっちゃうな。すごく悲しくなる』
悲しくなる、とは言うけれど、陽は「行くな」とは言わなかった。「他所へ行ったら嫌だ」とすら言わない。
陽は、私に何も求めない。押し付けない。
そりゃ、無闇に束縛されるのは御免だし、過去の男達のように異常に縋り付かれるのも鬱陶しい。
でも。
ちょっとぐらい、何か言ってくれてもいいじゃない?
泣きながら跪いて愛を叫べとまでは言わないけど(正直、ちょっと見てみたいけれど)、たまには……そう。「お前は誰にも渡さない!」とか……
カッと、頬が熱くなった。
……馬鹿みたい。まるっきり、浮かれた馬鹿女だわ。こういうの、前は本気で馬鹿馬鹿しいと思ってたのに。
恥ずかしくなったので、陽の手に噛み付いて誤摩化した。陽はクスクス笑うばかりで、されるがままになっている。
いつもそうだ。
陽は穏やかに微笑みながら、ただそこに居る。
太陽みたい。
自分は動かず、光を、温もりを、喜びを、ただ分け与えてくれる。
「……実は俺もね、おまじないしてるんだ」
「?」
噛み付いたままなので喋れない私は、目だけで陽を見上げた。目が合うと陽は、これ以上無いというほど優しく微笑みかけてくれ、そしてすっと目を逸らした。
「『ヴィーナスシリーズ』にはね、全てアポロンとヴィーナスに関するモチーフを忍ばせてる。気付いた?」
いまや十点以上はあるだろうか、私をモデルにして描いた一連の絵は、いつからか『ヴィーナスシリーズ』と呼ばれ、人気作品となっていた。
「ミュンヘンで描いた最初の水彩画から、ずっとだよ。星座とか月桂樹の葉っぱとか、五芒星。クリスマス以降の絵にはこのペンダントを描いてるし、あのホタルの絵で夏蓮が持ってるのは、月桂樹の枝なんだ」
……ペンダントには気付いてたけど、他には気付かなかった。
私は陽の手を齧るのを一旦中止した。
「何のおまじないなの?」
陽は口籠って、解放された手で耳たぶを弄くり始める。
「えっと、あの……ずっと一緒に居られますように、的な?」
「的な? って、何よ」
「いや、恥ずかしいじゃん。今の話の流れでさ、言わないと内緒にしてるみたいになっちゃうから白状したけどさぁ……いざ口に出して見ると、我ながらたじろぐほどキモイわ」
どうやら陽は、本気で照れまくっているらしい。顔が赤い。
「あのね、最初はさ、なんていうか……記念? 記録? みたいな気持ちで描いたんだ。ほら、夏蓮が『運命の恋人同士』って言ってくれたのが、強烈に印象的だったから」
陽は目を逸らしたまま、まるで弁解するみたいに早口で話し続ける。
「でもなんか、だんだん……そうありたいって。ほんとに運命で、ずっと続いていけたらいいなって、思って……おまじないって言うか、願掛けに近いかなぁ」
……なんで願掛けなんてしてるのよ。この人、馬鹿じゃないかしら。って、私も似た様なことしてたんだっけ。
「なんで私に直接言わないの? こっそり願掛けなんてしてるより、私にそう言えばいいじゃない」
「だってさぁ……」
何か言いかけて、陽は口を噤むと身体を捻ってうつ伏せになった。組んだ両手の上に顎を乗せる。
「そんなこと言ったら迷惑かな、と思って」
言葉を変えたのが、分った。
言い難いことを言うとき、陽は目を逸らす。耳たぶを弄るのは、自然に俯くのに都合がいいからだ。
で、嘘を言う時には顔を背けるのね。声のトーンも下がってるし。全く、嘘が下手すぎる。
……本当は何を言おうとしたのか、気にはなるけれど。言いたくないのなら、聞かないでおきましょう。
「何よ、迷惑って。じゃあ陽は、私が『ずっと一緒に居たい』って言ったら迷惑なわけ?」
「そんなわけないじゃん」
陽はムキになったみたいに急いで振り向いた。うっすらと微笑む私を見て、ちょっと慌てたように再び目を逸らす。
「迷惑になんて、思うわけないじゃん。‥……嬉しいよ」
「私だって嬉しい。だから、ちゃんと言ってよ。口に出して」
「……でも、キモくない?」
「ない。いいから言って。聞きたいのよ」
……グズグズしてないで、さっさと言いなさいよ!
ちょっといらついたので、陽のつま先を何度も蹴飛ばしてやった。
「わかった。えっと……夏蓮と、ずっと一緒にいたい、です………出来れば」
……ああ、もう! 何なのよ! 煮え切らないわね!
「なんか、最後に余計なのついてたけど」
「だってさぁ……」
陽は少し眉をしかめた。下唇を引き込むように噛みしめていたが、絞り出すように、頼りな気な声を出す。
「……口に出して言ったら………言いさえすれば、ずっと一緒にいられるの? 絶対に? ……ずっとだよ?」
……そうね。
母親も父親も失踪、元恋人とは死別。臆病にもなるわよね。じゃあさっき言いかけたのは……「そんなこと言っても意味が無い」みたいなことだったのかしら。
この関係もいつかは終わるのだ、いつ終わるのかと怯えを抱きながら、ひっそりと願いを込めて描く。そんな陽を思うと、鼻の奥がツンとして涙が浮かんでしまいそうだ。なんて、いじらしい。健気すぎる。
でも、我慢して。
こんな時こそ、いつもみたいに強気に! 自信満々の笑顔で!
「じゃあ、小指出して」
「……また齧るの?」
思わず吹き出してしまい、鼻の奥にあった涙の気配は消え去った。良かった。
「違うわよ。ほら、指切りげんまん。約束するの。ずっと一緒、って」
陽の瞳に一瞬、怯んだ様な揺らぎが見えた。
……そんな顔したって、逃がさないわよ。
「そんな子供みたいなこと……」
モジモジしている陽を無視して、強引に手首を掴み指切りの形を取らせる。
「子供だろうが大人だろうが、約束は約束。いいわね? はい、ゆーびきーりげーんまん、嘘ついたら……針千本飲ませてから丸坊主にして油性ペンでおでこに肉って書いてピンヒール履いてお腹の上でフラメンコおーどる! 指切った!」
絡ませた指を離した後も、陽は自分の小指を困惑した表情で見つめている。
「……なんか、俺の知ってる指切りと違う。しかも、お仕置きは俺がされる側限定だし」
「いいのよ、破らなきゃ良いんだから。何か問題でも?」
思いっきり高圧的な感じで微笑みかけると、陽は少し安心したみたいに、笑った。
「問題、無いです。へへ」
……何なのよ。男のくせに、はにかむんじゃないわよ!
……
………
…………かわいい。
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