第123話 広がりゆく世界


 陽のスタジオ設立パーティーが縁で受けた仕事は、そこそこ有名なバンドのPVへの出演だった。

 関係者を自宅へ招いての打ち合わせでこの絵に目を留めた者があり、そこから巡り巡って、この絵をイメージしてPVが作られることになったのだ。

 


暗闇の中、小枝を手にした私の周りに黄緑色の光の点が踊っている。
光を映して緑色に輝く瞳はうっとりと細められ、まるで魔法の小枝で光の群れを操り、共に踊っているかの様だ。
闇に溶け込みながらふわりと回るスカートの裾から飛び立ち、揺れる髪の先に戯れ、白い肌と艶やかな黒髪を幻想的に照らす、無数の光の点………

 

それは、誕生日に陽から贈られた、一枚の絵だった。




   † † †






 あれは去年の夏、陽と共に過ごしたミュンヘンから次の仕事へ向かい、東京に帰ってすぐのこと。

 

私は陽に連れ出され郊外へ向かった。
どこへ向かうかも知らされず、レンタカーに乗せられて濃い緑の樹々が生い茂る山道を走り続けた。

 
途中、川魚を食べさせる店に立ち寄ったり車を降りて景色に見入ったりしながら、人気の無い山の中へ分け入って行き、漸く車を止める頃には辺りは暗くなりはじめていた。

 

舗装された道を逸れて脇道に入り、車を寄せる。
車から降ろされると、眼を閉じるように言われた。陽はそのまま私を抱え上げ、濃厚な緑の芳香の中、川辺の砂利を踏んで進んで行った。

 

街中の暑さと喧騒を忘れてしまいそうにひんやりと心地よい空気を感じ、水音と砂利を踏む音を聞きながらしばらく進むと、陽は私を降ろして眼を開けさせた。




 そこは、無数の光が飛び交う水辺だった。
暗い緑の影の中、黄緑色のホタルの群れが明滅を繰り返しながら飛び回っている。

 

あまりに幻想的な光景に息を呑み、私は思わず言葉も無く辺りを見回した。

しばらくの間、うっとりとその光景に浸っていた私は、陽を振り返った。
少し離れて立っていた陽は、微笑みながら小首を傾げ、私を見つめていた。




「気に入った?」







 † † †






 出来上がったPVは、その曲のほとんどの時間が様々に形を変える光の点を相手に踊る私の映像だったため、私は舞踊関係者以外にも広く存在が知られることになった。
また、映像関係との人脈も広がり、新たな舞台への様々な構想が次々に持ちかけられ始めている。

 

先のミュンヘンでのダンス動画と相まって、今まで以上に私の世界は広がり、それにつれ、あちこちから公私ひっくるめた誘いがかかるようになった……





「ねえ、陽。心配?」

「え、なにが?」


 私の質問に、陽はキョトンとした表情で聞き返す。


「なにって……言ったでしょう? ここ最近私、いっぱい誘われるの。こないだだって、またあのバンドの人からしつこく誘われたし」

「ああ、五島さん経由でね」


 PVの仕事はとっくに終わったというのに、まだしつこく連絡してくるのだ。煩わしいったらない。



「しかも速攻で断ったって」

「そうだけど……」


「それ話したときの夏蓮、すっごくメンドクサそうな顔してたもん。それにさ、五島さんがいつもビシッと断ってくれてるし。第一、夏蓮は自分が嫌なことには指一本動かさない。無理強いなんてされたら、えーっと……何だっけ。蹴り入れて関節外して絞め落とす? でしょ?」



……そんなことも言ったわね。ちゃんと憶えてたんだ。


「だから俺、なにも心配してないよ」

「そう……」


……いいんだけど。確かにその通りだし、別にいいんだけど。



「大体、夏蓮がモテモテなのは、今に始まったことじゃないじゃん。あ……もしかして、心配して欲しかった?」


 悪戯っぽく微笑んでこちらを覗き込む陽はなんだか楽し気で、ちょっと腹が立つ。



「別に?」

 冷たく言い放ち、急いでそっぽを向く。


「ヤキモチ妬いたりとか?」


 そっぽを向いた方にわざわざ回り込んで、また楽しそうに笑う。



……なに笑ってんのよ。本当に頭に来る。マジで蹴り入れてやろうかしら。


 殺気を感じたのか、陽は素早く身体を引くと、「サッ」と言いながら顔の前で両腕をクロスさせた。



……あんなのでガードしたつもりなのかしら。

 そう思いつつ、つい吹き出してしまう。「サッ」って何よ。口で言ったって意味無いでしょう?



 私が吹き出したのを見て、陽は嬉しそうに目尻を下げ、えへらと笑う。この顔を見てしまうと、怒りを持続させるのは難しい。



「でもさ。もし夏蓮が他所に行っちゃったら、ヤキモチじゃなくて……悲しくなっちゃうな。すごく悲しくなる」



……腕をクロスしたまま何言ってるのよ。急に、何なのよ。クロスの陰から覗くの止めなさいよ。可愛いじゃないの!


 熱い手で心臓を掴まれたみたい。甘酸っぱい痛みに、頭がクラっとした。



「馬鹿じゃないの? 他所へなんか、行くわけないじゃない。ほんと、バッカみたい」


 素早く後ろへ回り込み、両手でほっぺたをつねり上げてやった。これなら紅潮した頬を見られなくて済む。


 まだ腕をクロスしたままウガウガ呻いている陽を見てようやく気が済んだので、一旦手を離し、情けない悲鳴をあげるのを無視してほっぺたを思い切りぐりぐりマッサージした後で、解放してあげた。



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