第122話 渡辺博己の告白


「まじか……」


 陽は壁際の棚に両手をつき、がっくりと項垂れている。

 その向こうで、優馬は笑いを堪えきれずに唇を噛み締め肩を震わせていた。


「はい。あの頃僕、単発のバイトでモデルやってて、あのハウススタジオの隅っこにいて……その撮影で、大月さんの絵を初めて見たんです」



「ちょっと俺、お茶飲む……動揺が‥……なんか動揺が凄い」


 ふらふらした足取りで奥のスペースへ向かい、陽はティーバッグの緑茶を淹れはじめた。優馬は構わず、青年に続きを促す。


「俺、片手間でやってたから、他のモデルさんたちにわりとハブられてて。居心地悪いなと思ってたら、大月さんと……木暮さんが、なんかすごい楽しそうに覗き見してて、羨ましいなと思ってたんです。そしたらカメラマンさんが、『あの絵はあの子が描いたんだよ』って教えてくれて」


「あの時ねー……陽も相当ブーたれてたんだよな。写真嫌いだって」

「え、そうなんですか。大月さんの撮影、見たかったなぁ。でもまあ、俺もあんま好きではないかも」


 「僕」と「俺」が入り乱れるほど緊張していた青年が、やっと少し笑った。直立不動の姿勢からわずかに首を傾けると斜めに分けた前髪が揺れ、ほお骨にかかった髪を煩そうに指先で払う。


「で、しばらくして美大の仲間とあの公園の近くを通ったんで、『似顔絵屋さんを見に行こう』って誘ったんです。ああ、カメラマンさんに聞いて、場所知ってたから。……そしたら友達が……あの、宮内っていうんですけど、そいつが大月さんに絡んで」


「うん。宮内くん、憶えてますよ。後で謝りに来てくれたし」


 ティーバッグが入ったままの紙コップを3つ、両手で持ってきて棚に置き、それぞれに配りながら陽が頷く。


「そん時の大月さん、すっげー怖くて。宮内の胸ぐら掴んでブンブン振り回して、投げ飛ばして……」


 優馬が目を見開いて身を乗り出す。話の内容に反し、何故か新しいおもちゃを見つけたような楽しげな表情だ。


「まーじーでー? こいつが? そんな怒ったの? ……想像つかねえ。ウケるわー……ってかお前ね、なんでそんな面白いこと教えないんだよ。言えよ」

「別に面白くないし。それに藤枝さんから電話があった時、ざっと説明はしただろ」


 そっぽを向いて紙コップを咥える陽を優馬がニヤニヤと横目で眺め、青年の方へさらに身を乗り出した。



「で? で?」

「いやあの、大月さんが怒るのは当たり前なんです。あれはほんとに、宮内が全面的に悪かったから……で、その後ブログとか知って、っていうかそれも宮内が教えてくれたんですけど、ずっとチェックしてて」


「ありがとうございまーす!」

「……ありがとうございます」


 優馬につられる様に、陽もひょこっと頭を下げる。



「いえ、そんな……あの俺、大月さんてもっと怖い人かと思ってて……ここに来るのも躊躇してたんです。インタビューとか読むと怖くないんですけど、あの喧嘩のこともあるし、あと外人ばっかのクラブで踊ってたりするし……」


 陽がいきなり咽せ返し、咳き込んだ。しばらくゲホゲホやっていたが、恨みがましい眼で優馬を睨む。


「ほーらー……優馬さんが変なものネットに上げたりするからぁ」

「上げたのは俺じゃないって。俺はちょっと翻訳して転載しただけだから~」


 仕切り棚の隙間へ手を伸ばしてボックスティッシュから数枚引き抜き、陽に手渡す。陽はひったくる様にティッシュを受け取り、鼻をゴシゴシ擦った。


「それに、怖いイメージがついちゃったのは、そもそも公園の喧嘩のせいだもんね?」

「ええ、まあ。俺、喧嘩とか無縁だったからかなり怖かったですし」


「ほーら、俺のせいじゃない~」


 一瞬、おどける優馬をじろりと睨んだが、陽は何も言わずにティッシュを丸めた。



「あ、でも。もう印象変わりました。こないだの横浜のアートイベントもこっそり見に行ったんですけど、優しそうだし、今日こうしてお話ししてみて……まだちょっと緊張はするけど、今は全然怖くないです!」


 瞳をキラキラと輝かせわずかに頬を紅潮させた青年は、気をつけの姿勢で言い切った。



   † † †



 渡辺博己と名乗る青年は陽に握手を求め、購入したばかりの絵を大事に抱えて、まさに胸いっぱい、という面持ちで帰って行った。



「それにしてもお前、よく憶えてたな」

「ね。自分でもびっくりした。なんとな~く、見たことある気がしたんだよね。無意識のうちに刷り込まれてたのかも」


「……お前の無意識は、顕在意識より優秀だな」

「えっと、誉められてないのはわかる」


 陽は3人分のカップをまとめ、片手で潰した。優馬がパソコンを覗きながら、足元のゴミ箱を取り上げて差し出す。そこへ陽がゴミを投げ入れる。


「ナイッシュ!」


 もはや阿吽の呼吸だ。



「……お、藤枝さんからメールだ。あっちも1点売れたってさ。恵流ちゃんの絵は交渉中で、1点50万以上の値がつきそうだって」


 小さなガッツポーズのまま、陽が動きを止めた。


「50万?!」

「おう。2点で100万」


「……すげえ。いいのかな、そんなに」

「妥当だろ」


 パソコンをチェックしながら、優馬は事も無げに言ってのける。


「妥当って……100万だよ? 俺の絵が。100万円……」

「いや、まだ安いね。もっと吊り上げても良い位だ」


 ガッツポーズを解いた陽は、そわそわと腹のあたりを撫で擦った。


「ちょっとそれは……強欲すぎない? 大丈夫?」

「いいんだ。あの絵はそれだけの価値がある。それにな、絵の値段なんて言ったもん勝ちだ。ババーン!ってな」


「怖え……優馬さん、怖え。マジ守銭奴。俺いま、ちょっと戦慄した。」

「誰が守銭奴だよ。ちゃんと営業努力もしてんだろ? さっきみたいに、お客さんと話したりさ。絵の出来映えはもちろんだけど、そういう地道な活動も大事なわけよ」


「なら俺、ずっとここに居て絵を売ってる方がいいんじゃないの?」



 パソコンから顔を上げた優馬は、今度はデスクの引き出しの中を探りファイルを取り出しながら、片眉をひょいと上げてしたり顔をしてみせる。


「それだと絵を描く時間が削られるだろ。それにな、いつでも会えるんじゃ、あれだ。あー……レア感? ありがた味が薄れるじゃん?」


「ありがた味ぃ? ……俺、そんな柄じゃないって」

「だな!」

 優馬が力強く同意する。



「だからチラッとしか出さないんだよ。あんま表に出し過ぎるとボロが出るから。たまーにチョロっとご本人登場!って感じで現れてさ、『アーティストでござい』って顔してるぐらいでギリだよな。お前の場合」


「……ござい……」


「ハッタリ効かないからなー、お前」

「……すんませーん」

全く反省していない様子で、陽が下唇を突き出してみせる。



「だからさ、営業時間不定期にしてまで俺が店番するわけ。お前を呼ぶ時の相手も俺が判断する。怪しいヤツとか単にミーハーなお姉ちゃんとかさ、メンドクサそうな客のときは、呼ばないだろ?」


「……ハイ。すんません、あざっす」

「わかればよろしい」


「んじゃ俺、大人しく続き描いてきまっす」

 陽はわざとらしく踵を鳴らし、敬礼の姿勢を取った。



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