第121話 午後の来客


 優馬の目論みは見事に当たり、絵の制作過程を撮影した動画が話題となって、陽の絵はさらに好評を得た。その動画欲しさに絵を買っている者もいるのではないかと噂されるほどだ。

 今では優馬が売り込みに走り回らずとも、様々な絵の依頼が飛び込んで来る。

 肖像画を初め、飲食店に飾る大きなサイズの絵画や商業施設の壁画、本の表紙絵と挿絵、CDジャケット、果てはTシャツのデザインまで。

 その他にも、アートフェスにゲストで呼ばれたり、絵画教室の特別講師等の仕事も入ることがあり、さすがの陽も人前で話すことや写真を撮られることに慣れてきた様子だ。


 おかげで優馬は拘束時間が短く済み、家事と育児に多く係わることが出来るようになったので、栞も大喜びしている。




「もしかして栞さん、そこまで読んでた?」

「あはは、どうだろうな。今はともかく、最初の頃はあちこち飛び回ってかなり不規則だったしなぁ」


 優馬は冷蔵庫から取り出した惣菜を温める一方で、生野菜を切って簡単なサラダを作った。昼下がりに出勤して陽に早めの夕食を用意するのが日課となり、料理の腕がだいぶ上がった。これも栞がスタジオを起ち上げたことを喜んでいる理由の一つだ。



 優馬は小さなダイニングテーブルの上に手早く料理を並べた。

 蒸し鶏と生野菜のサラダ、小松菜と油揚げと卵の炒め煮、豆腐とわかめの味噌汁。それと、家から持ってきた(栞作の)豚の角煮。


 陽は早朝と夕方の2回しか食事を摂らないので、一回毎の食事量は結構なボリュームになる。栞のアドバイスを受けながら、バランスの良いメニューになるよう心がけている。

 少々おせっかいな気もするが、こうでもしないと陽はすぐに絵を描くのに夢中になり、食事を摂るのを面倒がってさぼるのだ。



 ほかほかのご飯をよそっていると、玄関のライトがパシパシと点滅し小さく電子音が鳴った。階下のギャラリーのドアが開くと、音と光で知らせる仕組みだ。


「お客さんだ。いいよ、俺が行く。お前はメシ食ってろ」


 優馬は玄関の装置のスイッチを切り、外階段を下ってアトリエのドアを開けた。



「やあどうも、いらっしゃいませ」



   † † †



 30分ほどかけて全ての作品を見回った客が、漸く絵の購入を決めた。陽の絵のファンで、以前からブログ等見ていたのだという。


「ブログから申し込もうとも思ったけど、やっぱり実物を見てみたくて。何度か店の前を通ったんですけど、閉まってて」


「ああ、すみません。たまに留守にしちゃうんです。事前にご連絡いただければ都合付けますから」

「いえ、僕も用事のついでに寄っただけでしたから。でも、こうして……実際に実物を見たら、全部欲しくなっちゃいました」


 頬にかかる前髪の陰からでもわかるほどの興奮した面持ちで、青年は嬉しそうに笑った。吟味に吟味を重ねて決めた一枚の絵をほれぼれと眺め、かと思うと他の絵に名残惜し気な視線を走らせる。


「いっぱい迷っちゃって……お時間とらせてしまって、すみません」

「いえいえ、いいんですよ。ゆっくり見てもらって構いません。その方が大月も喜びます」


 優馬が差し出した紙コップのお茶を恐縮して受け取った青年は、勧められるままスツールに腰掛けた。

 奥の事務スペースで絵を丁寧に梱包しつつ、優馬はこっそりメールを送信する。


『いま、降りてこられるか?』




 支払いを済ませ、世間話などしながら時間を稼ぎつつ領収書を作製していると、ガラスのドアが開き、冷たい風が入り込んだ。


「陽、こちらのお客さん、『水曜のリリーベル』をお買い上げだ」


 優馬の声に、青年は弾かれた様に立ち上がり背後を振りかえった。息を呑んで固まる青年に、陽がにっこりと笑いかける。


「ありがとうございます。その絵、気に入ってくれて嬉しいです」


 ひと気の無い古風な喫茶店のテーブルに落ちる、ステンドグラスの影。

 テーブルにすずらんの意匠が斜めに歪んで落ち、夕暮れ間近を思わせるはちみつ色の光が辺りに満ちて、コーヒーの香りが漂うほの暖かな空気の密度が感じられる作品。

 優馬と栞の思い出の店。そう、恵流との交際が始まった日に、ふたりの結婚を祝った店……『喫茶リリーベル』の午後のひと時を描いた絵だった。



「ブログやなんかも、前から見ててくれてるんだって」

「そうなんですか。それは、ありがとう……あれ?」


 優馬の言葉に妙にアワアワしている青年に改めて向き直った陽が、首を傾げた。


「前にどっかで会ってませんか?」



 青年は空になった紙コップを握りしめたまま、勢い良く頭を下げた。


「はいっ、実は前に、2度ほどお目にかかってます!」



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