第120話 夏蓮の恋慕


 スタジオのお披露目パーティー以降、陽は大忙しらしい。

 新しい作品を次々と産み出す傍ら、アートイベントでの講演依頼や雑誌取材に応え、インターネット番組への出演、肖像画制作と、精力的に活動している。


 夏蓮はと言えば、年末のミュンヘン公演でこれまた忙しく、デートする時間も取れなかった。


 思えば、2ヶ月以上会っていないのだ。

 これは夏蓮にとって驚くべきことだ。いつもなら、相手が自分のスケジュールに合わせてどこへでも飛んでくるのが当たり前だったのだから。別に「来い」と命じた訳でもなく、相手が勝手にそうしていたのだ。




……いや。私が、そうするように仕向けていたのかもしれない。

「会いたい方が会いに来るのが当然」そう思っていたから。


 そして今、私はミュンヘンでの滞在を最小限に切り上げて、飛行機に乗っている。一刻も早く、陽に会いたくて。


 滞在中、何をしていても陽が思い出された。

 この場所で、陽がこんな風に笑った。これを食べて、陽がこう言った。あれを見て、陽はこんな表情をしていた………



 自分でも笑ってしまう。

 まるで10代の少女みたい。こんなに胸を高鳴らせて……いや、10代の頃でさえ、こんな風にときめいたことは無かった。

 陽に出逢うまで、私は本当に相手の才能だけしか見ていなかったのかもしれない。いつだったか、ごーちゃんにからかわれた通り。

 相手への興味はもちろんあったけれど、それは単なる好奇心で、恋愛感情ではなかったのかもしれないとさえ思える。


 『魔性の女』なんて嫌味を言われたこともあった。

 なにを馬鹿な、と笑い飛ばしていたけれど……端から見れば、そう見えても仕方なかったのかもしれない。


 言葉は悪いし、第一そんなつもりも無かったけれど……結果的に、かつての私は相手を使い捨てて来た。


 だって、彼らはいつも勘違いする。

 高価な贈り物、夜景の綺麗な高級レストラン、素敵なビーチリゾート……そういったもので私が喜ぶと思っている。そりゃ、もちろん嬉しいけれど。でも、私が一番欲しいのはもっと違うもの。


 私が欲しいのは、才能の煌めきだ。

 それが私を刺激し、新たなアイディアやちょっとしたヒントを与えてくれる。その煌めきの源は何なのか。それを知りたくて、私は彼らを見つめる。心の奥まで潜り込もうとする。

 すると彼らは……自滅してしまうのだ。

 何故か一様に、才能を手放して私にしがみつこうとする。馬鹿みたいに依存し、束縛し、独占しようとする。



 でも、陽は違う。


 彼の最優先するものは、いつだって、絵だ。

 見つめ合う瞳の陰からふいに、彼の中の芸術家の目が現れる。表情の裏側まで観察されているのを感じる。


 そういう時、私の心はふたつに引き裂かれる。


 もっとよく見て。細胞の隅々まで凝視して、理解して、表して。

 そんな風に見ないで。観察しないで。我を忘れ狂うほど、私を求めて。


 引き裂かれた心は混乱して、ほとんど暴力的な気分にさえなってしまう。胸ぐらを掴んで揺さぶるみたいにしがみつき、陽の視線を、心を独占しようとしてしまう。

 気付けば私は、過去に自滅していった彼らと同じことをしようとしている。



 私は、罰を受けているのだろうか。

 今まで人を傷つけ振り回してしまったから、同じ目に遭わされている?


 だとしたら。

 なんと幸せな罰だろう。

 確かに、気が狂い胸が張り裂けそうになることもあるが、反面、その胸の痛みは熱く甘く身体に染み渡る。その感覚はとても新鮮で、震えがくるほどに心地よい。


 陽への、踊りへの、そして生きること全てへの情熱が掻き立てられる。



 ズキン、と胸が痛んだ。

 陽のことを考えていると、よくこんな風に痛みが走る。熱く、甘い痛み。


 その痛みに誘われる様に指が動き、胸元のペンダントを探る。

 ミュンヘンへ発つ直前、これを渡す為だけに僅かな時間を縫って来てくれた陽が、クリスマスプレゼントにと贈ってくれたものだ。

 金色の五芒星がプラチナの月桂樹の葉で取り囲まれたペンダント。五芒星と月桂冠は、それぞれヴィーナスとアポロンのシンボルとされている。


「気に入ってもらえるかわからないけど……」と、陽がおずおずと差し出したペンダントを見て、私がどんなに感激したか。


 名前にアポロンを、守護星にヴィーナスを持つ陽と、

 守護星にアポロンを持ち、陽のヴィーナスである私。


 ふたりが内と外で反転し合いながら互いを抱き締め合っている。

 五芒星を取り囲む月桂冠は、その様を形にしたものなのだと、私には思えた。



 私はチェーンを長いものに取り替え、心臓のあたりにペンダントがくるよう調節した。陽の紅い痣と同じ場所。


 アポロンとヴィーナス。太陽と音楽の神、愛と美の女神。


 私達は、いつでも繋がっている。



______________________________________




夏蓮「反省? どうして私が? だって彼らが勝手にキリキリ舞いして自滅しただけじゃない。まあちょっとぐらいはね、可哀想なことしたかな、とは思うけど……」

五島「だからカマキリ女だの魔性だのと言われるんだ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る