第117話 夏蓮の色



 珍しく淡いすみれ色の洋服を手にして立ち尽くしていた夏蓮に、五島が声をかけた。


「どうした?……珍しいな。それを買うのか?」


 ハッとして顔を上げた夏蓮は、困った様な笑顔を浮かべた。


「……ううん。こういう色、似合わないのよね、私」

「そんなこともないと思うが」


「んん。着ててしっくり来ないの」


 夏蓮は曖昧な色の服を好まない。原色や鮮やかな色を好み、全くの無地、又は大きな柄や大胆な幾何学模様の服を選ぶことが多い。


 手にしていた服をハンガーにかけ、名残惜し気に布地を撫でた。


 小花が散る、柔らかな優しい色合いのすみれ色。

 藤枝のギャラリーに飾ってあった、浴衣の少女の絵が脳裏に浮かぶ。


 顔ははっきりと描かれてはいなかったが、あれは、清水恵流だ。若くして亡くなった、悲劇的で心に刺さる幕引きをした、陽の元恋人。


 あの絵を見た時、突然胃が燃え上がる様に熱くなった。ナイフで切り裂くなり汚水をぶちまけるなり、何でもいいから滅茶苦茶にしてやりたいという衝動に駆られた。二度と、誰の目にも触れないよう、滅茶苦茶に。



 優しい風合いで、丁寧に丁寧に描かれた、2枚の絵。

 包み込む様な暖かな愛情に身を委ね、文机に凭れ安心しきって眠る若い女性は、とても幸せそうだった。

 月を見上げている女性は、陽が声をかけると儚気に振り向いて、小さな花が可憐にほころぶみたいに、穏やかに微笑むだろう。


 儚気で、それでいて全てを受け止めるような強さを持った、たおやかで柔らかな雰囲気を纏う女性。


……私とは、正反対。


 本当は、陽はああいったタイプの女性が好きなのかもしれない。そう思うと、胸の中がジリジリと焼け焦げてゆく気がする。

 彼女のことを忘れなくとも構わない。あの時、陽にはそう言った筈なのに。



「ねえ、カズ。私、初めて同性に嫉妬したかもしれない」

「……そうか」


 ごーちゃんは、唐突な私の言葉を何の説明も求めずに受け入れる。

 言いたいことがあれば勝手に言う、言いたくないことは聞かれても言わない。そういう私の我が侭を認めてくれているのだ。

 私はいつもそれに甘えてしまう。



「私って、嫌な女だと思う?」

「……何を今さら」


 皮肉っぽく片方の口角だけで笑う彼を軽く睨むと、冗談だ、というように軽く払うような仕草をして笑った。


「あー……バカ正直で不器用で誤解されやすいきらいはあるが、煌月夏蓮は嫌な人間ではない。と、思う」


 こういう時、ごーちゃんは誤摩化したりせずにちゃんと答えてくれる。


「自分本位で甚だ傲慢に見えることもあるが、少なくとも嘘はつかない。人によっては高慢ちきだと言う者もあるかもしれんが、実際には他人を貶めることはしない。自分に自信を持っていて、正直に振る舞っているだけだ。

 ただ、正直であるというのは間違い無く美点だが、謙遜を美徳とするこの日本では、自信満々だとあまり受けは良くないだろうから、若干の改善の余地があるかもしれない」



……誤摩化したりせずに、ちゃんと……答えてくれる………けど。率直すぎる言葉は、時に胸に刺さる。ま、私が言えた義理じゃないわね。



「私だって、ちゃんとわかってるのよ……」


 ちょっと拗ねた様な口調になってしまったけれど、本当に、ちゃんとわかってはいるのだ。


 ただ、目の前のことに集中すると、ついズバズバとはっきりものを言ってしまう。後で反省したりもするのだが、いざそういう場面になると反省は活かされず、やはり本質を突くもの言いを選んでしまう。相手によって態度を変えるということが出来ない。誰に対しても、いつでも、ストレートに振る舞ってしまうのだ。


 そのせいで反感を買ってしまうこともある。

 他人を振り回すという印象を与えてしまうこともある。思ったままに行動しているだけで、振り回すつもりなんて全く無いのに。




 滑らかな布地にもう一度目を遣ると、夏蓮はハンガーラックに背を向けた。


「買い物する気が失せちゃった。陽のパーティーには家にある服で出席するわ」

「そうか」

 


 陽のアートスタジオのお披露目パーティー、あれを着ていこう。

 買ったはいいがまだ卸していない、白地にシルバーを編み込んだニットのミニドレス。眼の覚める様なブルーのフェイクファーを纏って、足元はシルバーグレーのゴツめなエナメルパンプス。

 プラチナにブルーサファイアをあしらったゴージャスなネックレスと、お揃いのピアス。目元はグレー系のグラデーション、目尻には深みのある赤をアクセントで。  リップはグロスのみで唇本来の赤味を引き立たせ、下品にならないように。ネイルはシルバーラメと、スタジオの内装と同色の青紫の配色。


……うん、完璧。あのスタジオの内装の色に、きっと映えるはず。



 私には、曖昧な色は似合わない。




______________________________________



五島「あと、人遣いは荒いし食の好みはうるさいし服や靴へのこだわりも厳しいし頭と性格の悪い人間への態度は非常に辛辣だが、だからと言って決して嫌な人間というわけでは……」

夏蓮「それもう、普通に悪口よね? ( ̄~ ̄#」



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