第112話 倉庫改装中
世間はお盆休みも終わり近く、夕暮れに近い倉庫の周囲はとても静かだ。
陽はひとり、ガランとした工房で作業をしていた。
資材倉庫をギャラリーに作り替える為、自分の部屋や物置に積まれていた棚を運び込み加工しているのだ。
倉庫の中の木材は既に全て運び出され、壁には石膏ボードが貼られている。仕上げに貼るクロスも今日届くはずだ。
作業の手を止め、陽は顎から滴り落ちる汗を拭った。
壁際に置いたスチール椅子に腰掛けペットボトルの生ぬるい水を飲むと、大きく息をつく。改めて部屋の中をぐるりと見渡した。見慣れた倉庫はほぼがらんどうで、やけに広く感じられる。
陽は少しだけ水を含み、水分を浸透させるべく口内に留めた。そのまま目を伏せ、先日の最後の打ち上げを思い返す。
8月初旬のある日、天本製作所の最後の仕事が終わった。納品を済ませ工房に戻って来た3人を、静江が笑顔で迎える。
不要になった機材が次々に搬出され、だいぶ淋しくなってしまった工房で、最後の打ち上げが行われた。
陽がドイツから持ち帰った5リットル樽のビールのおかげか、打ち上げは湿っぽくならず、和気藹々とした雰囲気で進んだ。
静江が語る、ドイツビールが飲めなくて拗ねていたという天本の話で盛り上がり、この工房での思い出を語り合い、今後のそれぞれの身の振り方について報告しあい‥‥気付けば日は暮れ、酒も静江の心づくしの料理の数々も尽きようとしていた。
そんな中、村本と竹内が2階から運び降ろしてきたのは、彼らから陽への内緒のプレゼントだった。
それは、漆黒に塗られた大きな木の看板。
中央に白く浮き出た、四分の一の太陽と三日月。陽の落款の意匠だ。
そのシンボルを挟むように、小さな文字で
大月 陽 アートスタジオ / YO - artstudio と描き込まれている。
うんと近寄らなければ見えないが、黒一色に見える面にはびっしりと波の紋様が施されており、独特の風合いを醸し出している。村本の手によるものだ。
対照的に、白く浮き出たシンボルと文字にはツヤツヤとした光沢があり、近寄れば顔を映すほどだ。こちらは、竹内が数日がかりで手磨きした成果だった。
「独立の餞(はなむけ)に」と、ふたりがかりで作製してくれたのだという。
ボロボロと涙を流す陽をからかいながら看板を設置し、彼らはその下で記念写真を撮った。写真には、目の縁を赤くして唇をひき結び中央に立つ陽と、その両脇で陽の肩に手をかけて笑うふたりが写っている。
目を伏せたまま、陽はゆっくりと少しずつ、口の中の水を飲み下した。
少し気を抜くと、つい感傷に浸ってしまう自分に苦笑いしながら、陽はペットボトルの蓋をきつく閉め直し立ち上がる。
と、その耳に、聞き慣れた声が近づいてきた。
「大丈夫、今日中に行くってば。もう着くところだから切るわ。じゃあね、ごーちゃん」
この声は、と思う間もなく飛び込んで来たのは、もちろん煌月夏蓮だ。
「陽!」
飛びついてくる夏蓮をなんとか抱きとめた。さっきまで座っていた椅子が大きな音をたてる。
「夏蓮、どうしたの? 仕事は?」
「早く終わって少し時間が空いたの。だから来ちゃった♪ 驚いた?」
首に腕を回ししがみついている夏蓮を引き剥がそうとしながら、陽はとりあえずペットボトルを置こうと後ろ手に椅子を探る。
「うん。それはもう、びっくりだよ。あのさ、夏蓮? ちょっと離れて。俺、汗まみれだから」
「私、最終の新幹線に乗らなきゃいけないの。汗なんか構ってる暇は無いのよ」
夏蓮は陽の瞳を見つめながら、急に身体を引いた。が、その両手は陽の肩をがっしりと掴んでいる。
「もしかして、迷惑だった?」
口ぶりこそ殊勝だが、その視線には有無を言わせぬ力があり、口元には自信たっぷりに微笑が浮かんでいた。
「……いえ。嬉しい、です」
押し切られた様な、ちょっと情けない笑顔が可愛らしくて、夏蓮は再び陽に抱きついた。虚勢を張らない、感情が素直に顔に出てしまう陽の反応は、夏蓮にとってはとても新鮮で楽しいものだ。
漸く腰に回された陽の腕に満足し、夏蓮は首筋に鼻先を埋めクスクス笑った。
「ん? 何? やっぱ汗臭いかな」
「ううん」
猫を思わせる仕草で顔を擦り付け、夏蓮はまた笑う。
「さすがに、ちょっと暑いなって思って」
「……ひでえ。自分からくっついてきたくせに」
陽はそのまま夏蓮を持ち上げると、ぐるぐる回り出した。
「おりゃ。人間扇風機だ」
きゃあ、と夏蓮が嬌声を上げる。
外では賑やかな蝉の鳴き声が、ガランとした工房の中にはふたりの笑い声が響いていた。
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天本「わしのドイツビール……(iДi)」
陽「瓶のやつはまだありますから(^▽^;)」
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