第109話 なし崩し成立


 数回のコールの後、栞が電話に出た。


「陽くん、おかえりー」


 あっけらかんとした声に、陽は少し怯む。


「……ただいま」

「ドイツ、どうだった? 今は良い季節でしょう? ビールいっぱい飲んだ?」


 いつもの通り、明るく朗らかな声だ。


「はい、おかげさまで……って、そうじゃなくて! あの、仕事の話なんですが」

「あぁ、聞いた聞いたー」


「あの……俺が独立して、優馬さんが、その……」

「うんうん。いいと思うよ?」


 慌てる陽を、優馬がニヤニヤしながら眺めている。


「そんな……そんな、ポップな感じでいいんっすか」


 あはは、と楽しそうに笑う栞の声が、優馬の耳にも届いた。電話越しで聞いても、良い響きだ。幸せな気分になる。



「あのさ、陽くん。優馬、『任しとけ』って言ってなかった?」

「……言ってました」


「なら、任せちゃって大丈夫よ。そういう人なの」


「え……」


 陽は茫然と、優馬を見つめた。

 優馬は片方の眉をヒョイと上げ、得意気にニヤリと笑ってみせる。



「……あのね、陽くん」

 栞が少し声のトーンを落とした。聞き漏らさないよう、陽は耳を澄ませる。


「優馬の育ってきた環境、知ってる? ……そう。あの人ね、年の離れた双子の兄と姉がいるの。おまけに、優馬は子供の頃喘息を患っていてね、中学高校と父方の田舎で育ったの」


「ああ……岡山の?」

「そうそう! だからね、こっちの家族の中で、ちょっとした疎外感? みたいなものを感じてるんだと思う。決して家族仲が悪い訳じゃないのよ? でも、思春期にずっと別々に過ごしてきたわけで……」


 栞は小さなため息をついた。


「そんなこんなで、優馬は君のこと弟みたいに思ってるんじゃないかな。きっと、世話焼きたくて仕方ないのよ」


 受話器越しに、うふふ、と忍び笑いが陽の耳に潜り込む。


「元々、お節介なくらい世話焼きな人だしね。だから悪いけど、付き合ってあげてくれない? あとね、私も結構稼いでるの。育休開けたら復職するし、いざとなったらなんとか子供2、3人養えるぐらいにはね。それに、お尻蹴飛ばしてでも優馬を、それこそ馬車馬の如く働かせるから、こっちの家計は心配しないで」


「それって……馬車、ゆうま……ってこと?」

「あはは、そうそう。それ、いいわね」


「なんかー、酷いこと言われてる気がするー」

 優馬が棒読みで茶々を入れる。


「でも俺、サラブレッドだからな。その辺の馬と一緒にしてもらっちゃ困る」

「え。馬車馬は否定しないんだ」

「いいの。栞と子供専用の馬車だから」

「俺は?」

「お前は自力で並走な」

「……」


 一旦優馬を無視することにして、陽はクスクス笑っている栞との電話に戻る。


「……あの、でも」


「それにね、優馬、今の仕事辞めたがってたの。編集なんかじゃなくて詐欺の片棒担いでるみたいで、嫌だって。前から転職するつもりで動いてたのよ。だから、優馬にとってもいいタイミングでもあるのよね」


「……はあ……」


 早口でもないのに流れるような栞の口上と、妙に説得力のある口調に気圧され、反論する隙が無い。


「そういうことだから、もし迷惑でさえなければ、よろしく頼むわね。」

「……はあ……あ、いや迷惑だなんて。こちらこそ、よろしくお願いします」



 あっさりと通話を切り上げられてしまった陽は、暗くなった画面を茫然と見つめた。



「……よろしくお願いしちゃったな」


 優馬が盛大にニヤニヤしている。


「あ……つい、つられて言っちゃった……」



 優馬は思わずハンドルに突っ伏し、笑い出した。誤って短くクラクションを鳴らしてしまい慌てて身を起したが、まだ笑っている。


「つられてやんの。あんなにグズグズ言ってたくせに、ばーっかでえ」

「うるさいな、笑うなよ」


「笑うなって方が無理だろ。あー、腹いてえ。腹筋割れるわ」

「……馬鹿なのは、あんた達だよ。夫婦揃って……」



 しばらく腹を抱えてヒクヒクしていた優馬だったが、なんとか持ち直した。大きく息を吐き、エンジンをかける。


「さて。なし崩し的ではありますが、一応独立決定な。まあ、俺を信じられなくてもさ、栞を信じろ。アイツが大丈夫って言うなら間違い無い」


 陽はそっぽを向いたまま、コクリと頷いた。


「よし。まあ、今日明日に工房が無くなるってわけじゃなし、気楽にやろうや」


「……うん」



 陽は背もたれに体重をあずけ、目を閉じた。

 カチカチとウインカーの音がして、車が流れに乗るのを感じながら、大きくため息をつく。


「……疲れたか?」

「うん。ちょっとね」


 優馬は少しだけ窓を開けた。湿気を孕んだぬるい風が通り抜ける。



「なーんかさぁ……」

 目を閉じたまま、陽は両手を重ねて額に乗せ、肩の力を抜いた。


「なんか俺、最近すごい周りに流されて……いや、翻弄されて生きてる気がする」

「人生が大きく動くときっつーのは、大抵そんなもんだ。一気にガガッとくるもんなんだよ」


「そうなのかな。でも……なんつーか、あちこちで良いように丸め込まれ続けてる気がするんだよね」


 ハハッ、と短く息を吐き、優馬は笑った。


「いいじゃん、丸め込まれ上手な人生。それで上手く転がるなら、万々歳だ」


「夏蓮さんにも、勢いに呑まれて押し切られた感が否めないし」

「ん? また絵の依頼か?」


「いや、付き合うことになった……って、さっき言わなかったっけ?」



 優馬が大きく咽せた。一瞬、ハンドルがふらついた。何度か激しく咳き込んで、優馬はなんとか声を取り戻す。


「まじか……急展開だな。何でまた」


「俺も不思議でさぁ、俺のどこがいいのかって聞いたんだ」

「お前それ、よく聞いたな」


「だって、夏蓮さんだよ? 俺、ほんとにわかんなかったんだもん。そしたら、『絵の才能とルックス』って即答されてさ」

「……お前、なんかムカつくな」


「俺が言ったんじゃないし。でもそれ聞いたら、ちょっと気が楽になって」

「……ちょっと、舌打ちしていいですか?」



 陽がシートを少し倒した。口調が段々とぼんやりしてくる。


「夏蓮さんも優馬さんも、オヤジさんも……みんな言ってくれるから。俺、もう少し自分を信じてみる。才能、あるかもしれないって、出来るかもしれないって、思ってみるよ……」

「おう。自信持て」


 優馬が助手席を見遣ると、陽があっという間に穏やかな寝息をたて始めている。


(寝んのかよ!自由か!)



 優馬は窓を閉め、エアコンをかけた。


(まあ、キツい一日だったろうし、仕方ないか……)


 丸めてドアポケットに突っ込んであるブランケットを引っ張り出した。片手で器用に広げ、陽にかけてやる。



「俺、頑張るから……すごい絵、いっぱい描くから……」


 眠りに落ちる寸前なのか、既に寝言なのか。陽はトロトロと呟いた。




______________________________________




陽「やけにノリノリで動画拡散させてると思ったら、こういうことか……」

優馬(ニヤリ)

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