第108話 任しとけ



 助手席の陽はむっつりと押し黙っている。

 病院を出るときにはまだ呆然とした様子だったが、時間が経つにつれ腹が立ってきたらしい。


 優馬はさして気にせず車を走らせていたが、しばらく走ったところで口を開いた。


「なーんだよ。まだ怒ってんのか?」

「当たり前だろ。あんな風に、騙し討ちみたいにさぁ」


「騙し討ちなんて、人聞きの悪い。当事者が揃ったところで話すのが一番だろ」

「俺の気持ちも考えてみてよ! 旅行から帰ってきていきなりオヤジさん倒れたって聞いて、挙げ句いきなり独立しろって、何だよ。頭が追いつかねえよ」


 苛立った声の陽を、優馬は横目でちらりと窺った。本気でへそを曲げているらしい。


「じゃあ、何日後なら良かったんだよ。オヤジさんが倒れたことは、どっちみち今日知ることになったろ。あれか、一旦家に帰ってシャワーの一つでも浴びてから聞きたかったってか。ふざけんな、俺だって仕事抜けて来てんだよ」


「それは……悪かったと思うよ。迷惑かけて」


 まだ口を尖らせてはいるが、少しシュンとして視線を落とした。


「迷惑じゃねえ。俺が勝手にやったことだ。まあさすがにな、帰ってきていきなりこんな話になって、追いつけないってのもわかるよ。でもさ、俺が自分の時間を使ったのも事実だ。だから、こういう時は……?」


 あまり言いたくなさそうではあるが、陽は小さな声で言った。


「ん……ありがと」



 こういう素直さが、陽の美点だ。優馬は思わず微笑んでしまう。


「よし。じゃ、お前はキリキリ絵を描け。後のことは俺に任しとけ」


「それとこれとは」

「まーだグズグズ言ってんのか、うるせえな。お前は黙って好きな様に好きなだけ描いてりゃいいんだよ! 今までだってそうだったろ? これからはもっと、大掛かりに宣伝してくだけだ」



 陽は絶句し、胸の前でシートベルトをしっかりと握りしめた。

 時折陽の様子を見遣りながら、優馬も黙って運転を続ける。


 やがて、陽がポツリと呟いた。


「……俺、自信無いよ」

「俺はある」


「だってさ」

 助手席で身を捩り優馬に向き直った陽の声には、不安が満ちていた。


「俺はいいよ。でも、優馬さんと栞さん、まだちっちゃい優侍と、これから増えるかもしれない家族の生活が、俺ひとりの肩にかかるんだよ!? そんなの無理だよ。責任持てないよ」


「自惚れんな、バーカ」

 優馬はほとんど半泣きの陽を睨み降ろすと、車線変更し、ゆっくりと車を路肩に停めた。


「だれがお前におぶさるっつったよ。お前と! 俺で! やるんだよ! 何度言わせんだ。お前が描いて! 俺が、売るの!」


「……何でそんなに自信満々なんだよ。何で、そんなに……」


 優馬の強い口調に、陽はさらに涙声になって俯いた。

 

「おい、こっち見ろ。陽」


 俯いたまま動かない陽の頭を優馬が上から掴み、強引にこちらを向かせた。陽は唇を噛み締めて優馬を睨みつける。


「前に言ったこと、忘れたか? 俺は、お前の絵が、好きなんだよ。だから、お前の絵を世界中の人に見て欲しい。スゲエだろ! って見せびらかしたい」


「……憶えてる、けど……」



 前に、電話で言われたことがあった。モデルの仕事をやりたくないとごねていた時のことだ。陽ははっきりと憶えていた。



********



「俺は、お前の絵が好きだから、皆に見て欲しい。『こんなすげえ絵を描くヤツがいるんだぜ!』って、言いふらしたい。で、お前の絵を見て すげえって言ってる奴らに、『コイツはこれからもっと凄い絵を描くんだぜ!お前ら見てろよ!!』って、世界中に大声で言って廻るんだよ」


「なあ、陽。俺が何故、編集の仕事してると思う? 俺は、そういうのが好きなんだよ。性分なんだ。俺自身には特別な才能は無いからさ。そのかわり、知られていない才能を引っ張り上げて、広めて、それが世に認められるのを見たいんだ。だって、せっかくの才能がもったいないじゃんか。

いいか、お前には才能がある。俺が言うんだから間違い無い」



********



「……いいか、陽。お前には才能がある。俺が言うんだから、間違い無い。俺が保証する。自信を持て。お前には、才能がある」


 陽の頭を掴んだまま、言葉を刻み付けるように、強く繰り返す。優馬を睨みつける陽の目が、僅かに潤んだ。


「それ……昔、親父も同じこと言ってた。俺が子供の頃」


 涙を堪えて、唇をひき結ぶ。優馬はそんな陽の頭を乱暴に振り回すと、ぐいと突き放した。


「男がメソメソすんじゃねえ」


「……してないし」

 袖口で急いで目元を拭う。

 小さく洟をすすると、陽はハッとして再び優馬に向き直った。


「そうだ、栞さん! 栞さんには話したのかよ」

「当たり前だろ、生活かかってんだから。快諾だよ、快諾」


「……うっそだぁ」


 思いっきり疑わし気な声に、優馬はスマホを取り出した。

「電話してみ」


「あ、俺、自分のでかける。番号知ってるもん」


 陽は半信半疑の表情のまま、ゴソゴソと自分の携帯を取り出した。


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