第104話 籠絡の朝


 身支度をしてリビングへ行くと、部屋を出ようとしている陽にかち合った。


「あ、五島さん。おはようございます」


「おはよう。今日は早いな」

「ええ、明け方から絵を描いてたから。俺、ちょっと朝メシ取りに行ってきます」


 陽は目を逸らすように会釈すると忙しなく出て行ったが、五島がコーヒーを淹れ終わる頃、ビュッフェから調達してきたのであろう朝食をトレイに満載して戻って来た。



「今日は部屋で食べようと思って、貰ってきちゃいました。えっと、夏蓮さんには紅茶と、果物と……」


 後半は独り言をブツブツと呟きながら、慣れない手つきでごちゃごちゃやっている。

 遠くでドアを開く音が聞こえたが、陽は気付いていない。足音こそ聴こえないが、夏蓮がこちらへ来る気配が……


 と思う間もなく、夏蓮が廊下の端から信じられない距離を一足とびにすっ飛んで、陽に齧りついた。いきなり夏蓮の全体重突撃を喰らった陽は、倒れかけてカウンターに肋骨を打ちつける。


 ぐおっ!だか、ごふっ!だかわからない声を上げ、夏蓮の腕から逃れようとするが、夏蓮が力一杯しがみついているので苦戦している。



「ちょ、夏蓮さん。おはようございます。苦しいから離して。一回離して」

「陽! 朝からなんて素敵なプレゼント! ほんとに素敵! ありがとう!!」


 朝からテンションマックスな夏蓮を、五島は横目で見遣った。

 夏蓮は構わずにしがみつき続け、さらに足をバタバタさせて更なる負荷を与えている。あれ、わざとやってるな。



「死ぬ! 死ぬ! やめて夏蓮さん、俺潰れて死んじゃうから!」


 ようやく手を離し陽の背中から飛び降りた夏蓮は、コーヒーをカップに注いでいる五島に向かい、まるで戦利品を掲げるかの如く得意気に、手にしていた紙を突き出した。


「これ! 陽が描いてくれたの」


 スケッチブックから破り取った紙には、暗い木立を背景に、月と星の光を浴びて立つ夏蓮が幻想的に描かれている。波打つ黒髪を銀色に輝かせ、今着ているのと同じ白いシルクのワンピースにガウンを羽織った姿だ。



 五島は黙って頷き、コーヒーをひとくち啜った。


「どう? 素敵でしょ?」

「ああ。よく描けている」


 満足げに頷く夏蓮に、陽が首をさすりながら声をかける。


「夏蓮さん、いま部屋に紅茶持って行こうと思ってたとこ」


 その言葉に、夏蓮は風が起こるほどの速さで振り向いた。


「……私、お部屋に戻るわ」


 ガウンの裾を翻しふわふわと走って廊下の向こうに消えたかと思うと、「ちゃんと寝たふりするから」と大声で言い終えてドアを閉めた。



 陽は突っ立って夏蓮の奇行を眺めていたが、すぐに気付いたらしい。


「……五島さん、あれって『部屋に持って来い』って意味ですかね」

「だろうな」


「朝からMAXで元気ですね……」



 誰のせいだろうな……そう思いながらも、口には出さない。


「全く、朝っぱらから騒がしいヤツだ」



   † † †



 シーツを鼻先まで被って寝たふりをしながら、夏蓮は口元に笑みが浮かぶのを堪えることが出来ずにいた。



 今朝目覚めると、ベッドの上にあったあの絵。

 昨夜の刷り込みはかなり上手く効いた様だ。咄嗟のアドリブ力の高さに、我ながら惚れ惚れしてしまう。


 反面、陽のことがちょっと心配だ。

 初めはちょっと頑固かと思っていたけれど、口からデマカセのこじつけにあんなに容易く流されちゃうなんて。まあ、単に私の手管が素晴らしかっただけかもしれないけれど。



 小さくノックの音がして、トレイを持った陽が顔を覗かせた。


「夏蓮さん、改めて、おはようございます」


 夏蓮はシーツを顎先まで下げ、「敬語禁止」とだけ言うと、すぐにまた引き上げる。


「あ、そっか」


 部屋に入ってドアを閉めると、陽は夏蓮の隣に斜めに腰掛け、膝の上にトレイを置いた。紅茶のカップと、不器用に盛られた果物が少々。



「おはよう、夏蓮」

 差し伸べた夏蓮の両腕を引っ張って起こすと、マスカットを一粒つまみあげる。


「おはよう、陽」


 陽はまるでご褒美の様に夏蓮にマスカットを食べさせると、その頭を撫でた。



……何よ、陽のくせに。生意気だわ。

 そう思いつつも、お腹の中がくすぐったい。



 夏蓮もマスカットを一粒つまみ、陽の口に乱暴に捩じ込んだ。されるがままにマスカットを食べた陽は、美味しそうに「んふふー」と笑う。



……何よ、可愛いじゃないの。


 夏蓮は手を伸ばして陽のほっぺたをつねろうとしたが、陽はさっと両手を上げ、自分の両頬を押さえてガードした。


「暴力反対」


 得意気にニカッと笑うのが、なんとも憎らしくて愛おしい。なので、鼻を思いっきりつまんでやった。


「うあっ」


 鼻を押さえて涙目になっている陽を横目で眺めながら、夏蓮は優雅に紅茶を口に運んだ。



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