第101話 波紋の一滴


 翌朝の新聞には、果たせるかな、夏蓮の記事が載っていた。と言っても、扱いはそれほど大きくはなかったが。

 むしろ、ネットにあげられた画像が早くも話題になっている。



 夏蓮の部屋から、陽がフラフラと出て来た。


「……おはようございます」

「おはよう。二日酔いか?」


 陽は力なく頷き、壁に手をついて寄りかかった。


「あの……夏蓮さんは」

「ご機嫌で入浴中だ。メインの方のバスルームで」


「すげえ……あれだけ飲んでおいて……」


 陽はぐったりとソファに倒れ込む。顔にかかるボサボサの髪を払う事もせず、背もたれにしがみついている。


 昨夜夏蓮は、部屋に着くなりワインボトルを2本引っ掴み、問答無用の勢いで自室に陽を拉致していたのだ。



「だいぶ飲まされたみたいだな。しじみのみそ汁でも飲むか? インスタントだが」


 頷いて立ち上がろうとする陽を制し、五島がキッチンへ向かう。棚からみそ汁のパックとカフェオレボウルを取り出し、ポットの湯で味噌を溶き始めたあたりで、陽の素っ頓狂な声が聞こえた。



 みそ汁を持って戻ってみると、陽が怪訝な顔で新聞を見つめている。


「五島さん、これ、俺も載ってる……」


 五島はみそ汁をテーブルに置いた。


「そりゃそうだろう」


 五島の翻訳によると、紙面には「日本の美しきダンサー、サムライスタイルの男と共に観客を魅了」と題された写真が載っていた。言うまでもなく、陽の肩に乗った夏蓮の写真だ。


「記事の内容は、夏蓮の紹介と昨夜のダンスの賞賛だな。こっちも出てるぞ」

 ノートパソコンをぐるりと回し、陽に見えるようにした。



「……サムライスタイルって、なんすか」

「さあ。君の髪型の事じゃないか?」


 おそらく、低く結ったポニーテールを指して言っているのだろう。


 おそるおそるパソコンを操作していた陽が、情けない声を上げた。


「うわぁ、早速名前出されてるし……」

「ああ、木暮さんにメールしておいたから、彼じゃないか? 君のブログとFBが貼られてるだろう」


「まじか……あの野郎」



 そのとき、肩にバスタオルをかけた夏蓮が入ってきた。


「あら、やっと起きたのね。おはよう」


 陽は咄嗟に頭を上げたが、すぐに顔をしかめて額を押さえた。二日酔いの頭痛はかなり辛そうだ。



「……おはようございます……あの、夏蓮さん」


 夏蓮は陽を無視してキッチンへ向かう。グラスに水を注ぎ、鉢に盛った果物をつまんでいる。



「夏蓮さん?」


 まるで陽の声が聴こえていないかの如くに振る舞っているが、非常にわざとらしい。

 陽はしばらく耳たぶを引っ張っていたが、仕方なく、おずおずと言ってみる。



「えっと……夏蓮?」


 途端に振り向き、一転して華やかな笑顔を浮かべた夏蓮が足早にやって来て、陽の座るソファの肘掛けに腰かけた。


「なあに? 陽」


「や、その……あ、椅子どうぞ」


 陽が立ち上がりかけたところを、片足を反対側の肘掛けに渡す。なんとも行儀の悪い通せんぼのせいで、陽は立ち上がれなくなってしまった。


「あ、これ借りちゃった。ありがと」


 髪を留めていた黒い輪ゴムを外し、陽に手渡す。


「で、なあに?」


「あの……」


 五島の目を気にしつつ、ちらりと上目遣いに夏蓮を見上げ、目が合って慌てて視線を逸らす。


「後で、ちょっとお話が……」

「そう? もう仕事に出るから、夕方以降になるけどいいかしら?」


「はい、もちろん」


 夏蓮は足を降ろして優雅に立ち上がり、テーブルの上のカフェオレボールを陽に押し付けた。


「じゃあ、また後で。さっさとそれ飲んで、お風呂入りなさい。髪、クシャクシャよ?」


 手を伸ばして陽の髪をクシャクシャと乱し、肩にかけていた湿ったバスタオルを陽の頭にバサッと被せてから、夏蓮は弾む足取りで自室へと戻って行った。




   † † †




 膝まで丈のある真っ赤なカーディガンの裾を押さえながら、夏蓮が助手席に滑り込む。額にかけていたサングラスをかけ、シートベルトを締めた。


「ネットの方、どうだった?」

「上々だな。木暮さんも早速仕掛けてくれているし」

「あら、ありがたいわね」

「大月くんにとってもメリットが大きいからな。SNSやら匿名の掲示板で色々やってるみたいだ」


 合流待ちで停まっている間に、ポケットからスマホを取り出し操作する。


「これ、見てみろ。さっき見つけた」


 手渡されたスマホの画面をちらりと見て、夏蓮は思わずサングラスを外した。


「ちょっと、何よコレ。面白いじゃないの!」


 画面には、1年半ほど前に掲載されたウェブ雑誌が表示されている。陽がほぼ無理矢理モデルをやらされた、例の雑誌だ。


「陽、顔が固まってる……」


 画面をスクロールしながら、肩を震わせている。


「何でこんな面白い事言わないのよ、あの子ったら! ……あ、インタビュー記事も発見」


「それもおそらく木暮さんの仕業だろうな」

「仕事が早いわね。ノリノリじゃない」




 順調に車を走らせる中、夏蓮はしばらく黙って記事を読んでいた。



「ねえ、この記事読んだ?」

「いや、俺がさっき見た時は見つけられなかった。どんな内容だ?」


 夏蓮が要約して話した内容は、なかなかに波瀾万丈な話に思えた。



「……よく考えたら、私たち陽の事あまり知らないわね」

「いや、よく考えなくてもそうだろう……いいのか?」



 五島は夏蓮のプライベートに口を挟むつもりは無かったが、一応マネージャーらしく聞いてみる。


「んー、まあ別に、経歴を見て人を好きになるわけじゃないから」

「確かに、お前は人の才能しか見てないからな」

「失礼ね。それだけじゃないわよ」

「あと、見てくれか」

「見てくれ、って。せめてルックスと言ってよ。それに、ルックスだってひとつの才能よ。でも、ちゃんと性格とかも……」


「性格、か……」


 五島の記憶では、結構なクズも多かったように思うが、それ以上は言うまいと口を噤む。


「そういえばあのダンス、最初から決めてたのか?」

「まさか。即興よ」


「……彼が踊れることは知ってたのか?」

「ぜーんぜん。まあ、予想はしてたけど。でも私が思ってたよりもずっと対応出来て、ちょっと驚いたわ」



 第一に姿勢が良いこと。背筋が伸びていて下半身が安定しており、身体の芯がブレない。

 そして、審美眼があること。美しいバランスの取り方をよく理解している。

 観察眼が鋭いこと。人の動きを立体的に見て、頭の中で瞬時に整理出来る。


「そういうのって、きっと絵を描いていて身につけたんでしょうけど……あの子、基本的に頭と運動神経が良いんだと思う」


「……なるほど」


「踊れるかどうかって、ダンスやってる人間なら、相手の立ち居振る舞いを見ればある程度わかるものよ」

「最後の大技もか」


 ふふっ、と夏蓮は笑った。

 

「あれはちょっと悪ノリし過ぎたわね……でも、もし陽がキャッチに失敗したところで、私が無様に落っこちたりすると思う? 何がなんでもカッコ良く決めるわよ」


 いかにも夏蓮らしい言い草に、五島の頬が緩む。


「それもそうか」

「そうよ」



 夏蓮は外していたサングラスを再びかけた。



______________________________________




五島「大月くんもまだ辛い時期だろう。あまり無茶してやるなよ」

夏蓮「私の辞書に自重の文字は無くってよ」

五島「他にも色々と欠陥の多そうな辞書だな」

夏蓮「有り余る美貌と才能でカバーするから問題無いわ」


五島(……遠慮、謙虚、謙遜、慎み……)



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