第98話 五島さんは心配性
「おはよう。あら、陽は?」
「バルコニーで絵を描いてる。俺より早く起きてた」
読んでいた新聞を畳み、五島は椅子から腰を上げた。
「呼んでこよう」
朝食室に降りて来た一行は、ブッフェ形式のテーブルに並んだ。
「このホテル、レストランは無いんだけど、こうして朝食だけ出るの。けっこう美味しいのよ」
白いテーブルクロスの敷かれた長テーブルには、スライスしたハムやソーセージ、何種類ものチーズ、生野菜や果物、温かいスープ、パンなどが、たくさん並べられている。
別のテーブルには、小さなトースターとコーヒーメーカー、ジャーに入った数種類のジュース、カップのヨーグルトと、生オレンジジュースの機械があった。
機械にグラスをセットしてスイッチを押すと、山盛りになったオレンジが一つずつ、アームの上をコロコロと転がり、自動的に半分にカットされてジュースが絞り出される。
その仕組みが楽しくて、陽はオレンジジュースを2回おかわりした。
「今日は何をして過ごすの?」
チーズを載せた茶色いパンにたっぷりとイチジクのジャムを塗りながら、夏蓮が訊ねる。
「一旦部屋に戻って描きかけの絵を仕上げてから、近くを散歩してみます。街の様子を見たいから。で、明日は美術館に入り浸って、明後日はお城の観光。五島さんが手配してくれました」
「そう。昼食は? ここでサンドウィッチでも作っちゃう?」
料理の並んだテーブルをなんとなく指差す。
「いえ。外で適当に済ませます」
夏蓮の真似をしてチーズとジャムを乗せたパンを、おそるおそるひとくち齧り、陽は一瞬顔をしかめた。が、すぐに目を見開いて頷く。気に入ったらしい。
「帰る時に電話する。出掛ける際には携帯を忘れないようにしてくれ」
陽はだぶだぶなパンツのポケットから携帯を取り出し、五島に示した。
「現金は持ってるか? カードやTCをを使えない店も多いからな。ただし、あまり大金は……」
「ちょっと、ごーちゃん。大丈夫よ、心配性なんだから。お母さんみたい」
「いや、何かあったらと……」
ばつの悪そうな五島に、陽は別のポケットから現金を取り出してテーブルに並べて見せる。
「小さいお札で10ユーロと、コインがこれだけ。足りるかな?」
「ああ、充分だろう。ただし、外では現金を広げないように………よし、そろそろ出掛ける時間だ」
陽は大急ぎで皿に残った食べ物を頬張り、コーヒーで飲み込んだ。
† † †
夏蓮を仕事現場まで送り届けると、五島はミュンヘンの道場へ向かう。
夏蓮の留学中に臨時で教えていた伝手もあり、海外へ行く度に現地の道場で臨時講師を務めることにしている。
空手や柔道は海外でも盛んで、本場日本からの講師ということで喜ばれるのだ。こちらも刺激を受けるし、良い副収入にもなる。
正直、夏蓮のダンスの収入だけでは、ふたり分の生活を賄うので精一杯だ。
夏蓮も、本職以外のダンスや日舞を教えたり、様々なエクササイズや身体的なリハビリテーションのメソッドの開発などに携わったりもしている。
だが、収入の面だけでこうした体制を取っている訳ではない。時たま離れ、各々ダンス以外の仕事をすることは、それぞれにとって息抜きにもなるのだ。
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