第90話 陽の年末年始
仕事納め、作業服に付いた木屑をブロワーで吹き飛ばしている陽に、天本は声をかけた。
「陽、今年の正月休み、なんか予定あるのか?」
「特に無いけど、絵を仕上げようかと思ってます」
ひと月ほど前からどうも元気が無いと心配していたら、恋人と別れたことを聞いた。
仕事自体は問題なかったが、昼食をほとんど食べなかったり、昼休憩中にフラッとどこかへ消えてしまうことが続き、気になっていたのだ。
「そうか。忙しいのか?」
「そうですね。肖像画の発注も入ってるし、完成品の発送もあるし……休み目一杯使っちゃうかも。でも、結構評判良いみたいなんで、気合い入れて頑張りマス!」
ニカッと白い歯を見せて笑う。
最近はメシの量も増えたし、ようやく元通りの陽に戻ってきた。が、それでも時たま、暗い翳りが一瞬目元を過ることがある……気がする。
「そうか。無理しないでな、ちゃんと飯も食って、ちゃんと寝ろよ」
「ラジャ! ……ってオヤジさん。俺、ガキじゃないんだから」
正月休みと言えど、天本には親戚付き合いや組合の慰安旅行やらの予定が詰まっており、多忙だ。陽のことは心配だったがどうしようもない。
いくら成人した社会人とはいえ、身寄りが無く、しかも傷心している陽が、これから一週間ほどの休暇の間ひとりで過ごすのだ。過保護と言われようと、つい気になって余計な口を出してしまう。
まあ、最近はまた新しい友人も増えたようだし、大丈夫だろう。いやしかし、正月休みだ。その友人達と会えるかもわからないし……
いやいやいや、やっぱり過保護は良くないな。陽の言う通り、ヤツは立派な成人男子だ。
……まあ、ちょっと危なっかしいところはあるが。
「そうだな。じゃあ、後は頼んだぞ」
「うぃっす」
天本は年末の大掃除を従業員達に託すと、自分は得意先への挨拶に出掛けた。それが終われば、いつもの店で忘年会だ。
† † †
「よーう、生きてるかあ」
ドンドンと玄関の扉を叩くと、しかめ面の陽がドアを開けた。
「生きてるよ。さっき電話で話したばっかだろ‥………すげえカレー臭い」
「カレー食いたくて買ってきた。って、新年の挨拶がそれかよ」
優馬はさっさと部屋にあがると、ダイニングテーブルの上でテイクアウトのカレーを広げ始めた。
「挨拶はさっき電話でしたじゃん」
「そうだっけか。あ、カレーお前の分もあるから」
大盛りのカレーを瞬く間に食べ終えた優馬は、テーブル脇の棚にあるポテトチップスをめざとく見つけた。
「お、ポテチ発見。食っていい?」
「どうぞ。それ、こないだ優馬さんが持ってきてくれたやつだよ」
プラスチックの容器を片付けている陽に、聞かれてもいない言い訳を始める。
「いやぁ、おめでた報告ついでに親戚回りしてたら、あちこちでモチ攻めおせち攻め喰らってさあ。年寄りっつーのは、なんでこっちが無限に食えると思ってんだろうな? とにかく年末年始そんなだったから、舌がジャンクに飢えてんだよ」
ゴミを捨て終えた陽が、冷蔵庫からビールを出し黙って優馬に手渡す。優馬が抱えているポテトチップスの袋に手を突っ込むと、数枚まとめて口の中へ放り込んで噛み砕いた。
「サンキュ。お前、飲まないの?」
「まだ梱包作業があるんだ」
「間に合うのか? 手伝う?」
「いや、これで最後だから」
手をパンパンと払い、陽は中断していた作業を再開した。
「どんくらい売れた?」
「えっと……この休み中の発送分だけで、8点。あと、藤枝さんの方で数枚予約入ってるって」
「順調だな」
「連休中の受け取り指定が集中したからね。それと、休み中に注文の入った写真起こしの肖像画」
陽の指差した先には、イーゼルに掛けられた下絵入りのキャンバスと見本の写真があった。近づいて写真を見てみる。
「……7人て。肖像画っていうより団体画だな。どんだけ描くんだよ」
「それだけじゃないよ」
陽は事も無げに言って指を差した。
「この辺全部同時進行で描いてるし、あっちは描き終わって乾燥中」
優馬は愕然として部屋を見回した。
「お前、これ……もしかして、休み中ずっと描いてたのか?」
「うん。ってか連休前から、時間取れるときはずっと」
「じゃあ、クリスマスも年越しも……」
「そうだよ。悪かったな」
工房の仕事が終われば完成品を運送屋へ持ち込み、ついでに夕食をとって帰り、そのまま下絵描き、深夜倒れる様に寝て明け方には起きて、出勤時間まで別の絵の色塗り。
連休中は、明け方から日が暮れるまでずっと、同時進行で複数の絵を描く。
そんな生活を続けていたというのだ。
聞いて優馬は崩れ落ちた。床に手をつき四つ這いになって大袈裟に項垂れる。
「陽、お前な……もうちょっと、こう……」
「だって、しょうがないじゃん。普段よりたくさん時間取れるし、描くものいっぱいあるんだもん」
「……わかった。流石になんかイベントなりあるだろうと思ってた俺が悪かった。任しとけ、俺が女の子紹介して」
「いらない」
言い終わらぬうちに、キッパリと断られてしまう。
「いや、年も明けたことだしさ、ここはひとつ」
「いらないって。そもそもそういうの嫌いだし、忙しいし、第一まだそんな気になれないよ」
「……新年だよ?」
「それ関係ないから。あと、首傾げるのやめて下さい。気持ち悪いから」
そうか……と呟いて首をまっすぐに戻す。と、優馬はふと思い出した。
「そういや、恵流ちゃんのウェブショップ、調子いいみたいだな。作品数がすごい増えてるし、売上ランキングも上がってるって」
「……そうなんだ。良かった、頑張ってるんだ」
陽は作業の手を止めて視線を落とした。
「やっぱまだ引きずるか」
優馬の言葉に、陽は苦笑いして緩く首を振る。
「引きずるっていうか……そんなすぐには切り替えられないよ」
「まあ、良い娘だったもんな……」
陽は独り言の様に呟いた。
「俺、恵流の気持ちが変わったこと、言われるまで全然気付かなかったんだ。鈍感にも程があるよね」
「……言いづらいが、それは同意する」
「何が駄目だったんだろね」
「心当たり無いんだろ?」
「うん。喧嘩もなかったし……あ、でも。すごく脱力されたことがあった」
「ほう」
「少し前にさ、いつから自分を好きになったのかって聞かれたんだ。
だから正直に、『いつからかはわかんないけど、バイトの初給料を何に使うかって話になった時に、” 東西家紋大全集買いたい” って言ったの聞いて、仲良くなりたいって思った』って言ったんだ。そしたら、『ええ?! そんなことで?!』 って」
「・・・・」
……それは酷い。恵流ちゃんの数年に渡る片思いに対し、陽の側のきっかけが「東西家紋大全集」とは……っていうか、そもそも東西家紋大全集って何だ?
「でも、その直後に大笑いしてたから、大丈夫だと思ったんだけどなぁ。やっぱりガッカリさせちゃったのかな」
……恵流ちゃんのチョイスも謎だが、陽のツボもかなり変だ。
が、今それを云々しても仕方ない。
「まあ、そりゃ脱力はするかもな……でも多分、別れた理由それじゃないだろ」
「だよね」
「あとな、笑ってたらオッケーってわけじゃないことは、憶えとけな?」
「そうなの? ……そっか。憶えとく」
(それにしても……)
梱包の仕上げを再開した陽を眺めながら、優馬はふと淋しく思った。
(あのふたり、やっぱり似合いのカップルだったな……)
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優馬「んで、お前は初給料で何買ったの?」
陽「人体骨格標本。60センチの」
優馬「……そう(やっぱお似合いだったな)」
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