第83話 恵流の回想
医者に病状を告げられ、これからどうなるのかを聞かされた時、まっ先に考えたのが陽の事だった。
陽が奪われてゆくのを見なくて済むという安堵感と、醜い自分を見られたくないという気持ち。
まったく私は、なんという負け犬根性の持ち主だろう。
闘って奪い返す気概も、全てを晒して甘える強さも無いのだ。
でも。
気概も強さも、持っていて何になる?
何をどう足掻いたって、私は死ぬのだ。
ならば、引き際を綺麗に飾ったっていいじゃないか。嘘ついて逃げたっていいじゃないか。それくらい、許されるべきじゃないか。
だって私は死ぬんだから。
陽に別れを告げると決めたものの、私は中々言い出せずに居た。
だって、大好きだったのだ。
ずっとずっと大好きで、付き合える事になって、本当に夢のようで、毎日毎日が楽しくて、キラキラしてた。少なくとも、煌月カレンの出現までは。
でも、陽は相変わらず鈍くて。
煌月さんの舞台本番を見た後でも「凄かったー!! 人間の身体って、あそこまで出来るもんなんだね! デッサン人形とか意味無いよね」などと無邪気に興奮していたし、自分の持つ煌月さんへの関心を、仕事や美しいものへの興味以上には思っていない。今は、まだ。
陽が彼女への気持ちに気付いたら………
そう思うと、血の気が引き身体が震えた。真っ暗な奈落の底へと引きずり込まれるような気がした。
自分の病状を知った時よりよっぽど現実感があり、恐ろしかった。
陽はきっと、すごく悩む。苦しむ。
私の病気の事を知りながら彼女の方に行くなんて、考えられない。彼は優しいから気持ちを封印して、きっと最後まで側に居てくれようとするだろう。
もしかしたら、一旦は彼女の事を忘れてくれるかもしれない。
でも。
彼らはいずれ惹かれ合うだろうと思う。
才能と才能が惹き合う瞬間が、私には見えた。いや、見えたというより、全身で感じた。
やっぱり、何も知らせずに私が消えるのが一番いいんだ。それが、最良の道。
同じところをぐるぐる廻ってるみたいに、何度も何度も考えた。自分の中で、既に結論が出ているのに。
だって。
だって、やっぱり大好きなのだ………
やりきれない気持ちのまま、それでも久々に手作りのお弁当を持って、陽の部屋へ来た。
私が彼にあげられる、最後のお弁当。
土曜の午前中にここへ来るのは、久しぶりだった。最近はお互い忙しくて、朝から一緒にいられる機会も減っていた。
特に、検査の結果がわかってからは、Skypeでの会話すら避け、電話やメールの遣り取りだけだった。
私を出迎えた陽は、顔を見るなり私の僅かな異変に気付いてくれたが、「仕事がたて込んでいて忙しい」と嘘をついたら納得したみたいだ。
「よく効く栄養ドリンク買って来てやる」と大急ぎで部屋を出て行った。
そんなもの、今の私には無駄なのに。
キッチンの小窓から、走ってコンビニへ向かう陽の背中を見送る。
胸がぎゅーっと苦しくなった。涙が溢れそうになったけれど、大きく息を吸込んでなんとか堪えた。
振り返り、部屋をぐるりと見渡す。ここも今日で見納めだ。
壁際にずらりと絵が立てかけられている。
初冬の外は肌寒く、小窓以外の窓は閉まっている。部屋の中は絵の具の匂いが籠っているけれど、不快な匂いではない。既に嗅ぎ慣れたその匂いは冬の空気と相まって、むしろ落ち着くほどだ。
ゆっくりと、部屋の中を歩き回る。部屋のそこここに、ふたりの思い出が残っている。
お揃いのグラス、お揃いのクッション、いつの間にか増えてしまった食器や調理器具。寒がりの私の為に買って来てくれたブランケット。
そういえば、もうすぐクリスマスだ。去年のクリスマス、部屋の飾り付けを子供みたいに喜んでくれたっけ……
ふと、棚の上にあるクロッキー帳が目に留まった。
ただひとつ、中を見せてくれないクロッキー帳。
いつもは描きかけの絵やデッサンなんかは全て見せてくれる。頼まれて私がモデルを務めたデッサンも見せてくれていた。浴衣姿の絵なんて、それはもう得意げに見せてくれた。
でもこれだけは。いつも「今は駄目」と言って、絶対に見せてくれなかったものだ。
普段は絶対にそんなことしないけれど、私は初めてそれを開き覗いてみた。
そこにあったのは、全て私のデッサンだった。
花火大会の浴衣の柄。編み込んだ髪と髪飾り。
大笑いしている顔、本を読んでいる横顔、毛糸の指編みをしている手元、体育座りで膝に頬を乗せて眠っている顔、拗ねている顔、料理している時の真剣な顔。まだ公園で似顔絵を描いていた頃、別のテーブルで手芸をしていた私の姿絵もある。ああ、これは森の中で花火とシャボン玉で遊んだ時だ。
そして、嬉しそうな楽しそうな表情で振り向いた顔。
これは、私が陽を見ているときの顔だ。キラキラして、なんて幸せそうなんだろう。くすぐったくなるぐらい、喜びと幸せに満ち溢れてる。
陽には、私がこんな風に見えていたんだ。
そして、私の知らないうちに、描き留めていてくれたんだ。
もう充分だ、と思った。
私はちゃんと、愛されてた。この絵を見ればわかる。
2年に満たない期間だったけど、私達は幸せな恋人同士だった。
不安になった事もあったけど、陽はちゃんと私を想っていてくれた。
こんなにもあったかい絵で、ちゃんと示そうとしてくれてたんだ。
私はクロッキー帳を閉じた。
胸の奥から熱い塊が噴き出して来そうだったが、必死で飲み込んだ。
泣くのは家に帰ってからだ。
陽、ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。
私は今から、酷くあなたを傷つけます。
でも、これからもずっと、大好きです。
今までありがとう。私はとても幸せだった。ありがとう。
私は、陽の帰りを待った。
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陽「恵流、顔色悪かったしずいぶん疲れてるみたいだな……あ、これこれ!竹内さんが超効くって言ってた栄養ドリンク。すみません、これくださーい」
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