第72話 アヤとチューハイと夢診断
アヤは缶チューハイの蓋を片手で開けた。どうにもオヤジ臭い仕草だが、片手がスマホで塞がっているので仕方ない。
チューハイを少しだけ飲むと、スマホに充電ケーブルを挿し、充電を始めた。どうやら、長い話になりそうだ。
「怖いって、何が」
久々に恵流からの電話だった。仕事の進捗や近況等、メールは頻繁に交わしていたし、ホムセンでも何度か顔を合わせていたが、電話で話すのは数カ月ぶりだろうか。
「んー、上手く言えないんだけど……陽が怖いっていうか、私が? 怖いのかな」
「何それ。意味わからん」
「私も、よくわからないんだ……」
困惑を滲ませた恵流の声は、どうにも不安気で心許ない様子だ。
「ついこの間だって、『花火大会の特等席で見れたぁ♡』とかなんとか、大喜びでメール寄越したじゃない?」
「うん……その特等席もね、カレンさんの絵のギャラが入ったからって、後から言われて。複雑っていうか」
「ただの仕事でしょ」
「それはわかってるんだけど」
グダグダと煮え切らない恵流の言葉を聞き流しつつ、チューハイを呷り枝豆を齧る。風呂上がりにクーラーの涼風を浴びながら飲むチューハイは格別だ。ありがちな恋愛の愚痴も、炭酸の効いた爽やかな酒とともに喉を滑り降りて行く。
「要するに、ヤキモチね。前にも、カレンって人の絵がある間は部屋に入りたくないとか言ってたし」
「うん………ヤキモチっていうか……」
「その人の絵を描いてるところを見たくなかったんでしょ?」
「……そこまで言ってないよ」
「でも、そういうことでしょ?」
「……うん」
恵流はいかにも認めたくなさそうに呟く。
アヤは枝豆を次々に口に放り込んだ。10粒くらい口の中に溜めて、おもむろに噛み砕く。この食べ方が一番美味しく感じる。少々お行儀が悪いので、もちろん家の中でしかやらないが。
「で。何がどう怖いの?」
恵流は電話の向こうで言い淀んでいる気配がする。こちらはチューハイを飲みながら黙って待つしかない。
暫くの沈黙の後、恵流はおずおずと切り出した。
「変なこと言ってるって、自分でも思うんだけど……」
何を今さら、と正直思う。アンタが突飛なことを言い出すのは、今に始まったことじゃないっつーの。
「最近、夢を見るの。何度も、同じ夢」
† † †
場所は、いつも決まって陽の部屋。壁の一部が緋い光に染まっているから、時間は多分夕方くらい。
ほぼ向かい合わせに、ふたりは床に座っている。
陽の周りには画用紙が散らばっている。
陽が恵流の手を取り、指を一本ねじり取る。ギュッ、クルクルクル、スポン。
ねじ切った指の切り口から滴る血をチュルッと吸い、「恵流の血は美味しいね」と陽が微笑む。そして、その指を筆代わりに、床に散らばった画用紙に絵を描き始める。
血が出なくなると、その指をモグモグと食べてしまう。
だんだんと、部屋の中が暗くなってくる。日が傾いているのか、血液が失われて目の前が暗くなっているのか、わからない。
全ての指が無くなると、今度は手首を折り、手を食べる。菓子パンかなにかを齧るみたいに、美味しそうに食べる。
流れ出る血を受ける大皿に血液が溜まっていき、両腕を食べた終えた後に、その血を筆に取り絵の続きを描いていく。
「恵流の血は、綺麗な赤だね」
陽がそう言って、恵流に優しく笑いかける。
痛みは全く無い。恵流はその間、途方も無い幸福感に満たされながら、自分の血で描く陽を微笑んで眺めているのだ……
† † †
「……グロいんだけど。具合悪くなりそう」
ありありと想像してしまったアヤは、口の中の苦い唾液を追い払おうと残りのチューハイを一気に飲み下した。
「そうだよね、ゴメン。でも、夢の中の私は、ものすごく幸せなんだ。うっとり、っていうか……陶酔? してるみたいな。でも、目が覚めるとやっぱり怖くて」
「それを、何度もみるわけね? 同じ夢を」
「そうなの。全く同じ」
アヤは少し考え込む。何度も繰り返し見る、不吉な夢……
「そりゃあちょっと、不安になるのもわかるわ」
「うん。ただの夢だって、思おうとするんだけど」
おもむろに立ち上がると、アヤはベッドボード上のPCを起動し、テーブルに移動させた。
「夢判断、やってみよう」
「え?」
「アンタも部屋にPCあるでしょ? たぶん、無料の夢判断とかどっさりあるから。調べてみよう」
ああ、その手があったか! と感心する恵流の声を聞きながら、アヤは冷蔵庫から新しい缶チューハイを取り出した。アルコール度数強めの、レモンライム味。
受話器を片手に、検索画面を覗き込む。
「で、纏めると……アンタは今、大切なものを失いそうだと不安を感じていて、平穏な生活と安心感を求めている、と。どう? そのまんま当て嵌まってるみたいだけど」
「ほんとだね……笑っちゃうくらい、そのまんま……」
電話の向こうで、恵流のため息が聞こえた。
「あのさ、恵流。そういうの、悪いことじゃないんだよ」
「そういうの、って?」
「不安に感じたり、ヤキモチ妬いたりとか。アンタ、そういう自分が嫌いなんじゃない?」
「……うん」
「人を好きになったらさ、綺麗事ばっかじゃいられないよ」
「うん、そうだけど……でも、陽はあんなに私のこと大事にしてくれてるのに、私は勝手にグルグルぐちゃぐちゃしてて。浅ましいっていうか醜いっていうか……自分にうんざりしちゃうんだ」
「まあ、わかるけど。そういう自分が嫌だって気持ちと、大月くんのこと好きな気持ちと、どっちが大きい? 大きい方を選べばいいんじゃないの? よくわかんないけど」
「……」
「キヨラカな心の自分を守りたいなら、別れればいいよ」
「……アヤさん、もしかして私、ちょっとメンドクサイ?」
「うん。まあ、若干?」
「……ゴメン」
「どういたしまして」
電話の向こうで、恵流が小さく息を吐いたのが聞こえた。
「……あのね。別れたいなんて、微塵も思ってないんだけど……見透かされそうで、怖い気がするの。陽って、普段何も考えてないみたいなのに、急に鋭かったりするから」
「ああ、あるね。そういうとこ。天然絵画馬鹿のくせにね」
ふふ、と恵流が小さく笑う。
「ま、それでアンタのこと嫌いになるようなショボイ男なら、用無しってことでいいんじゃない?」
「え」
「大月くん、そこまでショボくないと思うよ。想像してみ? 『うわ、こいつヤキモチ妬いてるよ。キモ!』とか、言うと思う?」
恵流が吹き出した。
「フフッ……それは無いと思う。さすがに」
「でしょ?」
声が少し明るくなったみたいだ。もう一押し。
「前にも言ったかもしれないけど。不安があるなら、直接話しなさい。ちゃんと整理して、言葉選んで。出来るでしょ?」
「うん。ずっとモヤモヤしてたんだけど、アヤさんに聞いてもらって、頭の中がちょっとスッキリした気がする。不安の原因がわかってきた」
「あと、アンタはもうちょっと、甘えたり我が侭言ってもいいんじゃない?」
「え、私けっこう我が侭言ってると思うけど」
「そう? ならいいんだけど。怒ったり、嫌なことは嫌って言ってもいいんだからね。我慢しすぎると続かないよ?」
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