第64話 舞踏家との出会い


 恵流が陽から誘いを受けたのは、学友との卒業旅行から帰ってきて間もなくのことだった。


 共同でネットショップをやっている友人2人との旅行は新たな発見や驚きに満ち、とても刺激的で満足出来るものだった。

 そんな、興奮と未来への希望で溢れ出さんばかりの状態で聞いたその報せに、恵流は天にも舞い昇る気持ちになったものだ。



「ある舞踏家の肖像画を依頼されたんだ。100号の大作だよ」


 おそらく高額になるであろう絵を描くにあたり、モデル本人と直接面談したうえで、どのような絵にするか決めたい、という話だった。



「そういうわけで、今度その人の練習風景を見に来いって誘われたんだけど、一緒に行かない?」


 思わず「行く!」と即答した恵流だったが、関係ない自分も同行してもいいのだろうかと不安になる。



「大丈夫。優馬さんと栞さんも一緒だし、そんなに大所帯でなければいいってさ。俺もその人とは初対面だから、人数が多い方が気が楽なんだ」


 確かに、人見知りとまでは言わないが、陽は初対面の人間といきなり親しく話し込めるタイプではない。優馬の場合は、まあ、特例だったのだ。


 そういうことなら、と、恵流は二つ返事で参加を表明した。プロの舞踏家に会えるなんて、しかも、練習風景を見学出来るチャンスなんて滅多に無いだろう。



 なんでもゴールデンウィークに公演を控えているとの事で、その練習を見に行くのは3月最後の週、陽が仕事を終えてから赴く事に決まった。




   † † †



 栞は早々に気付いていた。


 優馬や陽は、恵流の「ネットショップの仕事と、会社の研修を兼ねたアルバイトで連日忙しい」という理由を鵜呑みにしていた。

 だが、煌月カレンの舞台稽古を観て、だんだんと恵流の顔色が冴えなくなっていったのには、別の理由がありそうだった。


「卒業旅行から帰って以来、かなり忙しそうだったものね。無理もないわよ」

 栞がそうフォローすると、恵流が感謝するような眼差しをチラリと向けてきたので、確信した。



「そっか。誘っちゃって悪かったかな。疲れてるのにごめんな」


 陽が済まなそうにそう言うと、恵流は慌てて両手を振って遮った。


「ううん、そんな。私も楽しみにしてたし、見に来られて良かった! 練習とはいえ、すっごく素敵だったし。感動したよ!」



 恵流の言葉に、嘘は無いだろう。

 だが、煌月カレンの存在が恵流の精神力を相当削り取ったであろうことが、栞にはよくわかった。



 初対面での挨拶の時から、彼女は圧倒的だった。


 襟ぐりの広い、足首までの黒のレオタードに、細かい襞の入った膝丈の真っ赤なラップスカート。緩いウエーブのある艶やかな黒髪は後ろで一つにまとめてある。

メイクの必要も無さそうな派手な顔立ちは、秀でた額に太く真っ直ぐな眉と強い輝きを放つ瞳、美しい鼻梁にふっくらとした赤い唇。日本人離れして長い手足。充分に人目を惹く容貌だ。


 自分の才能、美貌、信念に対する揺るぎない自信。

 努力で勝ち獲った実力と実績への信頼。

  そして、何かを達成しようとする強靭な意志。


そういった様々なものが、全身から強く放射されていた。仕事柄たくさんの人間を見てきた栞でさえ、一瞬目眩を覚えた程だった。



(もし、オーラとかいうものが目に見えたとしたら……目が眩んで直視出来なかったかもしれない……)


 見学を終えて感じている若干の気怠さは、真夏の灼熱の太陽に長時間晒された後の脱力感に似ていた。

 さっきから「いやー、凄かった。凄かった」と連呼している優馬でさえも、どこか呆然としたような、妙にそわそわと浮き足立った表情をしている。


 ただ、陽だけが、終始カレンの発するオーラに負けること無く対峙していた。

 どんな絵にするか、という案を楽し気に話し合っているふたりの、互いが互いのオーラを引き出し呷り合っているかの如く膨張していく様は、傍から見ていて気が遠くなりそうだった。


  栞は思わず、「仕事のお話の邪魔になるから」と恵流を連れて一時退避した程だ。


 恵流はあの時、完全に萎縮していた。

 圧倒的な存在感に押しつぶされ、消し飛ばされそうな恵流を見ていられなかった。


 しばらく優馬と3人で劇場の中を見て廻った後、陽との話し合いを終えたカレンのステージ上での練習を見学している間も、畏れに近い表情を浮かべながら恵流は彼女から目を離せずにいた。

 そんな恵流の背中を、撫でてやりたかった。ステージと恵流の間に立ちはだかって、ほんの数秒でも視界を覆い隠してあげたかった。




 怖い、と思った。


 きっとこの感覚は、説明しても優馬にはわからないだろう。

 そもそも言葉にするのは難しい。どれだけ言葉を並べても、上手く伝えられる気がしない。

 確かに彼女はずば抜けて美しい。だが、容姿の美しさだけの話ではない。

 きっと、女性同士だから、わかるのだ。本能的に感じる脅威があるのだ。



 逃げなければ。

 私は、あの放射に耐えられそうにない。長く傍に居れば、きっとじわじわと焼き尽くされてしまうだろう。



 でも、恵流ちゃんは。上手く逃げられるだろうか‥……



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