第63話 画商の目


 初めて会った藤枝という男は、トカゲに似ていた。


 顎が極端に細く頬がこけた顔。鋭い刃物で切れ目を入れただけみたいな薄い唇の隙間から、二股に別れた細い舌がちょろりと覗いても違和感が無さそうだ。

 色素の薄い、細かく波打った髪は、後ろへ向かって撫で付け固められており、それがさらに爬虫類を思わせる。

 薄い身体を包み込む仕立ての良いスーツは少し緑色がかったグレーで、陽は思わず心の中で勘弁してくれ、と呟いた。


 なんでその色を選ぶ? これじゃまるで、トカゲのコスプレじゃないか。自らトカゲに寄せていってないか? 今この人が、壁に貼り付いてこちらを振り向いたら……笑いを堪える自信が無い………



 壁にへばりついて音も無く壁を登り、こちらを見下ろしてくる藤枝を想像してしまい、陽は描きかけで並べてある絵を順番に眺めて回っている男から目を逸らした。


 顔がにやけるのを止めようと、咳払いなどしてみたが効果はなかった。仕方ないので、先ほどから口の中で舌先を噛み、なんとか堪えている。



 さっきから微妙な表情で黙り込み、今は一心不乱に絵筆をくるくると弄んでいる陽を横目で気にしつつ、優馬は片目では藤枝の様子を窺っていた。


「ふうん……」

 すべての絵を見終わり、藤枝が感心した様に溜息を漏らした。


「面白い。面白いですねえ。やはりパソコン画面で見るより断然良い。秀人の言っていたとおりだ」


 絵の並べられた作り付けの棚から離れ、少し距離を取って再び全ての絵を見比べる。


「作品ごとに、画風が見事に違う。非常に独創的で、自由……」


 柔らかな動作で腕を開き、絵を指し示す。


「繊細で儚気であり……一方こちらは力強く、ある意味暴力的とすら言える………かと思えばこちらでは、温かく包み込むような、同時に溢れ出るような優しさの中に、悲しい程の狂気の欠片が潜んでいる……」


 藤枝は、熱に浮かされた様にひとり呟いている。瞳はぬらりと光り、白い顔は最初に顔を合わせた時より更に血の気を失っていた。


 宮内といいこの男といい、興奮すると青ざめるのは血筋なのかもしれない。



「技術的にはまだ未熟な部分もあるが、それを凌駕する才能を感じますね。独特の空気感。絵が呼吸をしている。周囲の空間ごと、キャンバスに閉じ込めている様だ‥……いや、閉じ込めているんじゃない。そうじゃない……」


 藤枝は言葉を探す様に目を閉じ、妙につるりとした額に手をかざした。自分の言葉に陶酔し、やたらと芝居がかって見える。


 陽は上目遣いで優馬を見遣り、「どうすんの? これ」とばかりに僅かに肩をすくめた。優馬は視線だけで「黙ってろ」と伝えてくる。



「閉じ込めつつ広がっていく……爆発と収縮を無限に繰り返し……そう、宇宙的な広がりと絶え間なく続く反転………」


 眉間に深く皺を刻み、藤枝は両手の指先で額に触れたまま動かなくなった。いや、よく見ると、右手の先だけがゆるやかに動いている。まるで、神託を待っている神官だ。実際、上手い表現が降りてくるのを待っているのかもしれない。



「えっと……あの、ありがとうございます」

 異様な空気に耐えきれず、陽がボソリと言った声に反応し、藤枝はくるりと振り向いた。夢から醒めたかの如く我に返り、ぎこちない笑顔を浮かべる。



「あの騒がしい店。名前はなんでしたっけ……ああ、そう。そうでした。HEAVY DOOR。あの絵も面白かったですねえ。ところどころにベタ塗りのイラスト風な絵が紛れて遠近感を惑わせていたり、スナップの絵の隣に本物のポラロイド写真が貼られていたりと……」


「写真?」


 オープンから程なくして、来店の記念にとせがむ客に応えた形で、あの壁絵には本物のポラロイド写真が貼られる様になっていた。

 なるべく絵を隠さないようにと、主にチェッカーフラッグの部分に貼付けられた写真は着々と増殖を続け、日に日にカオスの度合いを増しているのだ。


 不思議そうに見上げてくる陽と、まだ少し陶然としている藤枝のふたりに向け、優馬はそう説明した。



「ほう、そうでしたか。でも、そういうアレンジをも許してしまえるだけの包容力のある絵ですよ。あれは。奇妙な魅力がある」


 藤枝ははたと動きを止めた。


「奇妙な魅力……そう。あなたの絵には共通して、言うに言われぬ、奇妙な魅力、引力がある……ずっと見ていたい。もっと別の絵も見てみたい。そう思わせる。否応無く惹き付けられる……魔力。うむ。むしろ魔力と言ってもいいかもしれない」


 自分の言葉にようやく納得したらしく虚ろな目でしきりに頷いている藤枝に気圧され、陽は「はぁ……どうも」と間抜けに呟くことしか出来なかった。



   † † †



 優馬はまだニヤニヤしている。時折、思い出した様に「ブフッ」と吹き出し、その度に陽がサラサラと描いたイラストを眺めては、またひっくり返してテーブルの向こうへ押しやるというのを繰り返していた。



「いつまで笑ってんだよ」


 さすがに呆れて、陽はそのイラストを手に取り、改めて見直した。


「絵が完成したらご連絡下さい」と再三言い置き、ひんやりと冷たい手で陽の両手を握りせっかちに握手をして帰って行った藤枝を見送った後、即座にクロッキー帳に手を伸ばし描き上げたものだ。


 壁に斜めに貼り付いた格好の藤枝が首だけこちらへ振り返り、口からくるりと伸びた二股の舌先には「どうも、藤枝です」と書き込まれた吹き出しが浮かんでいる。

ギョロリとした爬虫類のような目の横には小さな星がキラリと光り、小づくりな鼻はうんとデフォルメされ、ただの点でしかない。

撫で付けた髪のテカテカした艶が、より爬虫類っぽさを際立て、極めつけはジャケットの裾から伸びた細長い尻尾だった。


 思わず「フッ」と息が漏れ、口の端が持ち上がった。



「お前だって、自分で描いて笑ってんじゃんか……そっくりだよな、それ」

「うん。我ながらそう思う」


「そーいう、イラストみたいなのも描けんのな」

「ああ、あれだけ特徴のある人だとさ、イラスト向きなんだよね。そう描かずにはいられないっていうか……正直、我慢するのキツかった」


 およそ4頭身ほどにデフォルメされた藤枝の絵を、陽は写メに納めた。後で恵流に送ってやる為だ。

 写真の写り具合を確認すると、陽は携帯を充電器に繋いだ。長く使っているので、すぐに充電が切れてしまう。



「あの藤枝って人、ちょっと変わってるけどさ、悪い人じゃ無さそうだったね」

「ああ、まあな。最初にギャラリーで話してた時は、やっぱインチキくせえと思ったんだけどさ……Takさんとこの絵を見に行った途端、目の色が変わったんだよな。本気になったっつーか……やっぱ最初はカモろうとしてたんだろうな」


「へえ、そうなんだ」


「さっきさ、放浪中のナントカくんの話、一切出なかったろ?」

「宮内くん?」

「そうそう、宮内くん。ほんとに心配してて、お前に原因があると思ってんなら、話が出るだろ? それが出なかったんだから、お前は気にしなくていいんだ」


「……だよね」


「そもそも、成人した男がちょろっと旅に出たぐらいで、ぎゃあぎゃあ騒ぐ程の事じゃない。俺だって大学ん時はしょっちゅう旅してた」

「そうなんだ」

「おう。バックパックひとつで世界中あちこち廻ってさ」


「それ言ったら、うちの親父なんて4年も放浪中」


 優馬は一瞬ぎくりと動きを止めたが、すぐに声を立てて笑い出した。


「負けたわ」

「でしょ?」


 陽も、さも可笑しそうに笑った。


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